ジャガー XK120

1949年1月~1954年1月

ジャガーXK120 ロードスターは、戦後の英国で事実上はじめて発表された戦後型スポーツカーであった。1948年10月、発表会場となったロンドンで開催された戦後初めてのモーターショーの会場に飾られたXK120は、バトル・オブ・ブリテンにかろうじて勝利したものの、いまだ戦争の傷跡をそこここに残すロンドンの市民にとって、まさに宝石のごとく輝いて見えたという。今に続くジャガー・デザインの原点とも評される、曲線でつづられたボディラインは、戦前のそれと明らかに一線を画すモダンなものであり、またその低く長いエンジンフードの下のエンジンこそ、このときウイリアム・ライオンズをしてスポーツカーを製作せしめた高性能な新型であった。戦前のSSカーズ社時代、スタンダード社からエンジンの供給を受けていたライオンズであったが、独自のエンジンを開発するべく優秀なエンジニアを集め、既に戦争前より新型エンジンの開発に着手していた。ビル・ヘインズ率いる開発チームは戦時も開発をつづけ、Xシリーズエンジンの開発コードは既に“K”に達していた。“XK”エンジンは、当初直列4気筒の2リッターバージョンと6気筒の3 1/2リッターバージョンが企画されたが、結局大型の6気筒版のみがこのXK120と、その後サルーンにも搭載され、最終的には1997年までの長寿を誇る傑作エンジンとして、ジャガーを成功へ導くことになる。ショーでの大評判とは裏腹に、発売までの最終開発には存外の時間を要し、結局ランニングモデルが報道関係者に公開されたのは、半年を経た1949年5月31日であった。この日、出席者は空路ベルギーヘ運ばれ、当時ヨーロッパで唯一の舗装直線路であったヤベック(Jabbeke)の公道でのテストに立ち会った。ジャガー社のテストドライバー、ロン・サットンは132.596mph(約213.393km/h)を記録した直後、XKエンジンのフレキシビリティーを披露するため、集まったジャーナリストの前を、トップギアのまま時速10マイル(16km/h)で走行してみせたという。ライオンズは翌1950年、ル・マン用マシーンの開発をヘインズに命じた。XK120には、1951年にフィクストヘッドクーペが、また1953年には巻き上げ式ウィンドーと内張のついたトップにより閉幌時の居住性が向上したドロップヘッドクーペが加わった。3モデルの総生産台数は12,120台。生産台数の9割以上が北米を主とする外国へ輸出され、当時英国にとってなにより貴重であった外貨をもたらした。写真はフィクストヘッドクーペ。

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グレード名 型式 排気量 ドア数 シフト 駆動方式 ※1 定員 燃費 ※2 価格
(名称なし) - 3442cc 2 4速MT フロア FR 2 - -

1.ドライバーが任意で駆動を2輪・4輪を切り替える事が出来る4WDを「パートタイム」、車両の設定で常時又は可変又は切替えを行う事を主とするものを「フルタイム」として表示しています。

2.燃費表示はWLTCモード、10・15モード又は10モード、JC08モードのいずれかに基づいた試験上の数値であり、実際の数値は走行条件などにより異なります。

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