銀座がタイムトリップ?! 思わず二度見する「動くミュージアム」クラシックカーイベント 1/3

江戸時代は、日本橋、京橋を中心に下町として栄えた東京都中央区。現在は銀座を中心に人と文化が集まる、東京を代表する街となっている。その中央区と中央区文化・国際交流振興協会の共催により、中央区の文化的な魅力に触れてもらおうと「中央区まるごとミュージアム2016」が開催されている。
今年で9回目を迎えるこのイベントでは、中央区全体をミュージアムに見立て、茶会、演奏会、舞踊、技術や産業などが町の各所で体感できる。区内をバスや船で回遊しながらさまざまなアトラクションを楽しめ、スタンプラリーもできる。 そのなか「晴海客船ターミナル」では、「晴海Autumn Festival 2016」として館内での凧づくり、ロープワーク、白バイ展示、海洋生物展示、ジャグリングショーなどのコンテンツとともに、屋外ではキッチンカーの飲食コーナーやクラシックカーの展示と走行する「THE銀座RUN」が用意された。20世紀の自動車史に残るクルマを中心に70台を超えるミュージアム級のクラシックカーが集まった。そして展示だけに留まらず、中央区内の名所を悠々と走る「動くミュージアム」として盛り上がった。

モーターショーが22回開催された晴海

東京湾の玄関口として豪華客船や海外の帆船が停泊したり、南極観測船しらせの発着港として有名な晴海ふ頭には、1991年より東京湾開港50周年を記念して「晴海客船ターミナル」が誕生した。東京湾で海上交通の拠点のひとつとして知られる晴海だが、クルマにとってもゆかりのある場所だ。1959年から晴海の日本貿易センターで屋内展示式のモーターショーが開催された場所だからだ。第6回全日本自動車ショーから晴海で開催され、第11回から翌年の乗用車輸入自由化を前に東京モーターショーに改名。以来1987年まで22回開催されたモーターショーで盛り上がった。

左)DEVIN ALFA(1957)、右)FIAT SIATA 508S MM(1936)
ふだんはなかなかお目にかかれない名車に釘付けの大人たち
右前)ホンダ・S600(1964)と左)トヨタ・スポーツ800(1967)。モーターショーが日比谷から晴海に移ってからほどなくして誕生したクルマたち
中央区内を走る直前まで展示された名車たち
コンディションのいい稀有な名車は、特に人だかりができるほど大人気
おそらくお父さんの生まれた年より古いクルマを息子さんは、まったく新しい乗り物として感じているのだろう

晴海から隅田川を越えて銀座へ

中央区の湾岸エリアから銀座へ向けて20世紀の名車たちが走る。先導するのは、21世紀になって誕生した燃料電池自動車のトヨタ・ミライ。万国博覧会の開催に向けて国家的プロジェクトで建造された勝どき橋を渡ると、東京の台所である築地となり、歌舞伎座そして銀座と名所が目白押しだ。

もともとは隅田川を渡る渡しがあったところに勝どき橋が架けられた。1940年に完成した勝どき橋は、跳開橋として東洋一の規模を誇っていた。先導車のトヨタ・ミライのドライバーはプリウスで世界中を旅し、日本でもPHVプリウス、ミライで走り、エココンシャスなヒト、コト、モノを紹介し、未来のモビリティについて提言する自動車環境評論家の横田紀一郎さん。アメリカ最大のクラシックカーレースであるグレートレースにも参戦経験を持つ
偶然並んだ新旧スポーツカー
和の代表でもある歌舞伎座前でも融合する美しいスタイリングのSTANGUELLINI 508C
威風堂々たる風格が似合うBentley Mallalieu(1951)
突然、銀座通りに現れたクラシックカーの列に、沿道では慌てて撮影する方々が多い
銀座には最新デザインも伝統的なデザインも似合う
Lotus ELAN 45(1969)を先頭に銀座4丁目交差点をゆったり走る。後ろには9月にオープンした銀座プライスがあり、かつての日産銀座ギャラリーはNISSAN CROSSINGとして生まれ変わった

自動車ショーの聖地、日比谷公園前を駆ける

銀座をさらに西へ進み、一度中央区を出て千代田区に入ると皇居や日比谷公園など、空が大きく緑豊かなエリアになる。日比谷公園は1954年4月に日本で初めて全日本自動車ショウ(当時はショーではなくショウと表記)が開催された日本の自動車史に残る記念すべき場所だ。その公園前を、敬意を持って走る。

英国車が4台、信号待ちで並ぶ
DEVIN ALFA 750Twin。1967年までアメリカ・ラグナセカを走っていたレーシングカー。このFRPボディは12台のみ製造されたそうだ
Renault Alpine Le Mansを追う白いランボルギーニに赤いフェラーリ