ミニカトッポで日本一周。1年間の車中泊旅を終えた青年

三菱・ミニカトッポは、1990年に販売開始され、1998年の軽自動車規格改正により販売終了となったハイト系軽自動車の先駆けともいえる一台だ。セダンの軽自動車の屋根をそのまま高くしたようなファニーなディメンション、愛嬌のある丸目ライト、横開きの大きなリアゲートが特徴のこのクルマは、販売終了から20年が過ぎた現在では見かけることも少なくなった。

しかし、そんなミニカトッポで日本を一周した青年がいる。しかも、そのほとんどは車中泊だったと話す。奈良県出身の辰巳雄基さん26歳。その旅について聞いてみた。

旅の理由は自身の企画「JAPANESE TIP」を普及させるため

辰巳さんは京都造形芸術大学を卒業後、隠岐・海士町にIターン、同町教育委員会に所属し「集落支援員」として活動していた。その一方で、自身が大学在学中に立ち上げた企画である「JAPANESE TIP」の活動も継続して行っていた。

「JAPANESE TIP」は、飲食店でのアルバイト中、客が残した箸袋で折られた造形物に目をとめたことに端を発する。「お客さんが帰ったあと、箸袋がさまざまに形を変え、テーブルに残されているのを見たとき『ごちそうさま』の声を聞いたように感じたんです」と当時を思い返す。

「『箸袋で何かを作ってね』と呼びかけることで、お客さんと店の『声なき対話』が生まれるのではと思いました。チップ制度のない日本で、心を込めて折られた箸袋が、お客さんから店へ感謝の気持ちを伝える手段となるのでは」と話す辰巳さん。

その思いが強まり、全国に広めるため、クラウドファンディングで資金を捻出。協力してもらえる飲食店を探して2016年3月19日、隠岐・海士町からミニカトッポに家財道具を満載し、日本一周の旅に出た。

本土へ渡ったミニカトッポはあまりに非力だった

実家のある奈良で準備を整え、まず宮城県へ向かった。宮城県、岩手県、青森県から北海道へとルートを取る。奈良から宮城へはラリーでいうところのリエゾン区間。リエゾンといえども900km近くありそうだ。まずは移動について聞いてみた。

「高速道路には乗りませんでした。というより、乗れませんでした」と話す辰巳さん。聞くと「(アクセルペダルを)踏んでも周囲について行けるようなスピードが出ない」とのこと。海士町は周囲100キロほどの小さな離島。信号はひとつしかなく、スピードに乗って走る機会はほとんどない。平成8年登録・20年落ちのミニカトッポは離島だからこそ、生きながらえることができたのかもしれない。

運転席で座ったまま寝るのが一番落ち着く

「車中泊で巡った」と聞いたので、みっちりと荷物が積まれた車内を眺めつつ、どのようにして寝ていたのかを尋ねると、驚きの答えが返ってきた。「運転席に座って寝ます」と言うのだ。「出会った方のおうちに泊めていただく機会もありましたが、広い布団で寝てもどこか落ち着かないと思うようになりました」とも。いやはやタフである。

一番大変だったのは「東京」

飲食店を回るという目的があるので、毎日0時ごろまで街を歩き、情報収集や交渉にあたる。道ばたや駐車場に泊めた愛車に戻り、座ったまま眠る毎日。47都道府県で一番大変だと感じたのは「東京都だった」と話す。

その理由は「クルマを持っていくことができなかったから」とのこと。東京にクルマを置いておくのは、コストがかかる。田舎暮らしをしている身からすると、その金額はとても大きく感じる。「知り合いの家にクルマを置かせてもらい、単身東京へ向かいました。東京は14番目に訪れた都道府県。すでにクルマは家、もしくは生活の一部になっていて、離れているとそわそわしてしまい、落ち着かなかったですね」と笑いながら思い返してくれた。

節約生活でも、自炊はほとんどしない旅

高いルーフに棚を作り収納スペースにしている

1年間の日本一周にかかったコストは、133万3,644円。総走行距離は25,961km。343泊344日の車中泊の旅で「持って来たけれど、ほとんど使わなかったもの」について尋ねてみると、意外な答えが返ってきた。「テントをはじめとするキャンプ道具」と「懐中電灯」だそうだ。日記によると「食べ物・飲み物を恵んでいただいた回数」は281回あり、「さほど自炊の必要性を感じなかった」とのこと。「コンビニでお湯をもらってインスタント食品を食べたり、食べきれないほどの食べ物をいただいたり、たくさんの方のご厚意に支えられていましたね」と話す。

ちなみに「持って来てよかったもの」としては、「クルマ用網戸」、「運転中腰に当てるパッド」と「ラジオ」を挙げてくれた。

ミニカトッポはノントラブルで走破?

引き出し式の収納。入浴アイテムはすぐ取り出せるようにカゴに入れ、取りやすい場所へ

何から何まで規格外の辰巳さんの日本一周クルマ旅。20年目のミニカトッポは大丈夫だったのだろうか。辰巳さんは「途中でバッテリー、ブレーキパッド、前輪のタイヤ、オイルを交換しました。それ以外は特に何もなかったです」と話す。「あ、エアコンの冷房が出なくなっていたので辛かったです」と付け加えたが。

島に暮らしていると運転時間が短い上、それほど気温が高いわけではなく、熱気を追い出すため窓を開けているうちに目的地に着いてしまう感覚のため、エアコンの必要性はそれほど感じない。夏は神奈川・千葉・山梨・長野を回っていたそうだが、エアコンなしだと相当に汗をかきそうだ。

これからが本番

1年をかけて全国を回って多くの人に出会い、179店舗・6団体の協力を取り付けた辰巳さん。「ミニカトッポでの日本一周は、必要な通過点のひとつにすぎませんね」と話す。そして、「日本中から続々と『箸袋で折られた作品』が届いてきています。作品集を作って、展示会を東京と隠岐・海士町で開催することが目標です。気を引き締めていきたいですね」と結んだ。

目標に向けて、ぶれずに突き進む辰巳さん。「ミニカトッポでの日本一周」はそれだけで1本の物語になるほどの、出会いとエピソードに満ちたものだった。それを気張らずにさらっと語る。上手な笑顔と持ち前の人なつっこいキャラクターで、全国で人との出会いを積極的に楽しみ「JAPANESE TIP」の魅力を伝えてきたのだろう。作品展が楽しみだ。

(上泉純+ノオト)

[ガズー編集部]