GRヘリテージパーツ取材[後編]-名車トヨタ2000GTのパーツ復刻。多くの人々に支えられ、匠のプライドと伝承への熱き思いが結実したプロジェクトへ

GRヘリテージパーツプロジェクトの第二弾としてトヨタ2000GTの部品の復刻がスタートしている。トランスミッション関係の部品は8月1日から販売がはじまっている。このほど、デファレンシャル関係の部品も9月1日に発売となる。

GRヘリテージパーツプロジェクトは、トヨタ、そしてGRが始めたトヨタ車の絶版パーツを復刻するプロジェクト。トヨタのクルマを愛車として長年乗っているユーザーに、末長く「走る・曲がる・止まる」における満足する性能を発揮してもらいながら乗り続けていってほしい、という想いから始まったプロジェクトである。

第一弾は、A70/A80スープラ用のパーツ復刻で、すでにプロペラシャフト、ヘッドランプ、ドアハンドルなどさまざまなパーツの販売が開始されている。

トヨタ2000GTでは、5速マニュアルトランスミッション用の各種ギヤ、ベアリング、シンクロハブなどと、デファレンシャルの復刻パーツから供給がスタートする。

5速マニュアルトランスミッションの部品復刻については前編でお届けした。

今回は、デファレンシャルについて、その開発の裏側と技術者の想いをお届けしていこう。

  • 石川清成氏パワートレーンカンパニーBRパワートレーン開発室 主任
    石川清成氏
    パワートレーンカンパニー
    BRパワートレーン開発室 主任
  • 都築幹夫氏明知工場 デフ製造部 技術員室技範
    都築幹夫氏
    明知工場 デフ製造部 技術員室技範
  • 高橋誠一氏明知工場 デフ製造部 生産支援課 シニアエキスパート
    高橋誠一氏
    明知工場 デフ製造部 生産支援課 シニアエキスパート

今回復刻されたデフ関係の部品は、2000GTの前期型・後期型それぞれのファイナルギヤキットとリングギヤセットボルトだ。後期型ファイナルギヤキットは9月1日に、前期型用は2020年冬のオーダー開始を目指している。

デフの復刻を担ったのはトヨタ自動車内で駆動系足まわり部品の生産を担う明知工場である。

明知工場(愛知県みよし市)では、さまざまな車種のデフが製造されている

「明知工場だったからできたっていうのはありますね。
とは言っても関係各部の協力、とりわけパワートレーン生技部 伊藤技範の協力は不可欠でした」とベテランの都築幹夫さん(明知工場 デフ製造部 技術員室 技範)は言う。

明知工場のデフ製造部には、量産ラインとともに試作ラインがあり、そこでトランスミッションのギヤと同様に復刻部品を製造することが可能だったからだ。
そして、後述するが、「技術の伝承」ができる素地が明知にあったことも、このプロジェクトが短期間で成果を残した要因でもある。

  • 後期型のリングギヤとドライブピニオン
    後期型のリングギヤとドライブピニオン
  • 粗材からの加工の変遷が分かる(右から左へ)
    粗材からの加工の変遷が分かる(右から左へ)

デフのファイナルギヤキットとは、リングギヤとドライブピニオンのセットをいう。トヨタ2000GTは、FR(フロントエンジン・リヤドライブ)だから、エンジンとトランスミッションからプロペラシャフトを介して車両後方に伝えられた回転駆動力を、シャフト先端についているドライブピニオンとリングギヤによって後輪を回転する方向に変換する部品である。
この2つをあわせてハイポイドギヤともいう。
トランスミッションとともに重要な役割を果たす部品であり、自動車の歯車の中でも製造が最も難しい歯車の一つといわれている。

数々の困難を乗り越えたプロジェクト・メンバーとしてのプライド

まず、最初の関門は「図面」だった。後期型のハイポイドギヤの図面は残っていたが、前期型は一部残っていなかった。図面を探した石川清成さん(パワートレーンカンパニー BRパワートレーン開発室 主任)は、「話が来たときには図面がなかったんです。どこにあるかすらさっぱりわからなくて、とにかく図面を探し当てるのにものすごく苦労しました」と語る。
手がかりは、当時発行されていたパーツカタログだけ。粘りに粘って探した結果、今度は似たような図面がたくさん出てきたという。

「例えば、2000GTの最終減速比である4.375のハイポイドギヤもスプライン(ギヤの歯)の歯数が10歯のものと23歯の両方の図面が出てきたのです。じつは並産されていたようで、どちらかが2000GT用なわけです。もちろん、図面を間違えたらお客様のところで組み付けられないことになってしまう。すごいプレッシャーでした」と石川さんは振り返る。

左上は茂木英雄氏と共にプロジェクトのまとめ役を務め、今回の取材に協力いただいた結城貴虎氏(GAZOO Racing Company GRブランドマネジメント部 事業・モータースポーツ推進室)。時計回りに石川清成氏、高橋誠一氏、都築幹夫氏
左上は茂木英雄氏と共にプロジェクトのまとめ役を務め、今回の取材に協力いただいた結城貴虎氏(GAZOO Racing Company GRブランドマネジメント部 事業・モータースポーツ推進室)。時計回りに石川清成氏、高橋誠一氏、都築幹夫氏

部品の復刻で難しいのは、車両の生産期間と部品の生産期間が違うことだ。2000GTのデフユニットの場合は、車両の生産が終了したあとも、脈々と生産が続けられていた。「オリジナルとはどれか?」を特定することが、難しかったという。
開発チームは、トヨタ博物館所蔵の2000GTを借り、ファイナルギヤキットを分解して測定、現代の視点で見直してオリジナル部品と合うことを確認した上で、再び図面を起こしたという。

「実をいうとトヨタ博物館の2000GTの部品も本当に純正品なのかということに悩んだりして、本当にこの図面でいいのかを確かめるのに2カ月かかりました」と石川さんは言う。

石川さんが「この図面だ」と確信したのは、今年の2月。そこから7月発表、9月発売に向けての動きが加速した。現場は「2月に試作を依頼されて5月頭に事前の走行確認用のものがほしいと言われました」(都築さん)というから、とにかく時間がなかった。通常なら不可能な納期である。

「ブランク材も当初はなかったので、外注メーカーさんにお願いしてなんとか造ってもらいました。ギヤの歯を削る刃物も手配に通常3ケ月はかかります。
幸運なことに後期型は量産用で使っている刃物とほぼ一緒のものが使え、粗材(材料)も量産用のものが流用できました。」と都築さんは続ける。

ドライブピニオンのブランク材が、明知工場の試作ラインにあるさまざまな汎用の加工機と熟練の職人による技術で、歯切り加工が施されていく。歯切りの工程では、熱処理での歪みを考慮してミクロン単位での歯面の調整が求められる

納期はギリギリ。それでも、間に合わせたのは、「それぞれの部署のプライドです。受けたからには、『できませんでした』なんて言えないし、『納期に遅れました』とも言えないですよ」とサラっと都築さんは言うが、並大抵なことではないことは想像できる。

高橋誠一さん(明知工場 デフ製造部 生産支援課 シニアエキスパート)は、「50年前のハイポイドギヤの復刻ということで、とくに時間がないなか、じつは最新の工法と従来の工法を組み合わせたハイブリッド的な造り方をしました」と説明してくれた。「古くて新しい、という感じですね」と都築さんが続ける。

今回のデフの部品復刻は、ファイナルギヤキットとリングギヤセットボルトだ。素人考えでは、「デフケースも含めたデフユニットで復刻した方が楽なのでは?」と思ったのだが、これは素人の浅はかなアイデアだった。
「デフユニットとして出荷した方が、僕たちとしては安心できます」と高橋さんは言うが、「デフケースを造るとなると、それはそれで大変なんですよ。デフケースの外側はいいんですが、デフピニオンがはまる球面になっている部分の加工など内側の加工が非常に難しいんです。2月に言われたらきっと間に合っていませんね。粗材も無いですし(笑)」と都築さんは被せていう。

  • 浸炭焼き入れ工程
    浸炭焼き入れ工程
  • リングギヤとドライブピニオンを噛み合わせ流体刃具であるラップ液を掛けながら加工するラッピング加工。調整作業には長年の経験が必要
    リングギヤとドライブピニオンを噛み合わせ流体刃具であるラップ液を掛けながら加工するラッピング加工。調整作業には長年の経験が必要

リングギヤとドライブピニオンの歯当りとかみ合い振動を測定する

最終的には、復刻したトランスミッション部品とデフ部品をトヨタ博物館の2000GTに組み付けて(つまり古いデフケースに今回復刻したファイナルギヤキットを組み込んだわけだ)、走行確認したという。それは、想像以上に難しいことであり、おそらく感動的なシーンだったのだろう。

スープラの部品復刻では、おそらく社内に当時開発に関わった人たちがまだ残っていただろう。しかし、2000GTは半世紀前のクルマだ。プロジェクトを進めるにあたって、OBの力を借りたのかを問うと、都築さん、石川さんの両ベテランは「ギリギリ間に合わなかったんです……2000GTの当時現役で設計していた安井さんが最近お亡くなりになりました。復刻したデフギヤ、見せてあげたかった」と少し残念そうだ。

石川さんが新入社員で入った当時は本社工場のデフ製造ラインに前期型・後期型の加工ラインは残っていたという。当時の製造ラインを知っている人はトヨタ社内に残っているが、世代交代は近づいている。

硬度や歯面形状などの測定がしっかりと行われ製品化されていく

「やって見せてやる」 技術伝承への熱き思い

今回のヘリテージパーツプロジェクトが「技術・技能の伝承の場」として機能したことはトランスミッション編でも述べたが、デフでも同様だった。

「当時の加工機(米国グリーソン社製。現在は国産)とか技術、品質管理を知っている人が担当したほうが現代の技術・工法との違いがわかります。50年前の図面をいま作るのに何に注意すべきか、経験でわかるのです。だから私は今回、最後の機会と思って参加させてもらいました」と都築さんは語る。

石川さんも「若い人に技術やノウハウを引き継いで残していきたい気持ちは大変強いです。でも自分の若い時もそうだったんですが、受け取る側はなにが重要なのかっていうのは当然わからない。そういったなかで伝承していかなくてはならないという想いは、いまになってわかります。50年前にどんな想い、技術があったのか、そしていまだにそれを求めるお客さんがいらっしゃるんだよ、じゃあ我々はどうしたらいい? そういうものをどうやって後輩に渡していったらいいんだと考えたとき、最終的には、『やって見せてやる』っていうのが一番かなと思いました」と熱く語る。

「だから製品を残す。その製品を現代に造るんだったらどういうステップでやっていくのかを後輩の前で見せてあげる。具体的に販売までもっていくのを目の前で見せてあげる。もうしばらくすると僕らは引退します。後輩がもし苦境に立ったときに『あの時、そういえば先輩がこうやっていたよな』というものをちょっとでも思い出してもらえたら、それが『伝承』かなって思っています。だから今回はできるだけ正しいステップで期待に応える。そういう進め方をしました」と続けた。

実際の開発・製造は、ベテランと若手がペアになって進めたという。
「入社3年目、4年目の若手と一緒にやって、なにを見なければいけないのか、なにをしなければいけないということを教えながら進めました」と都築さんが言えば、受け取る側の高橋さんはこう語る。
「品質確認では最新の三次元測定機を使って測定して評価したうえで、そのデータを使って歯面へのフィードバックをかけたりします。その中で、ベテランがもっている、たとえば刃物の径を調整しての歯面修正などを若手に伝授しながらやってきました。今回ハイポイドギヤを復刻することができたので、本当に人材の育成という面でも良かったと思います。」

トヨタ2000GTはベテラン、若手問わずモチベーションを上げる

言うまでもなく、トヨタ2000GTは日本の自動車史上に燦然と輝く金字塔であると同時にトヨタの誇りでもある。デフ製造部 長谷部長は「2000GTのハイポイドギヤの復刻は名誉な仕事だ。しっかりやって欲しい」と話したという。
忙しい通常業務のなかに部品の復刻が差し込まれても、「『2000GTの』から始まる仕事は、みんなやる前提なんですよ。もちろん他の車種と同じようにお小言を言われることもあるんですが(笑)、なぜか優先的にやっていくというのは、僕もいろいろな車種に関わりましたが、2000GTがもつカリスマ性なのではないでしょうか」(石川さん)

今回の2000GTのデフの復刻部品は、試作ラインで製造しながらも商品として発売されるわけなので号口(完成)品としてラインオフされる。当然品質チェックも号口と同じスタイルでやるのだという。そのため品質チェック標準等を一から作る必要があった。
「試作でまとめて造って、はい終わりなら楽なんです。でも、そういうスタイルはとらず、受注後生産し供給するというのが我々のスタンスです」(都築さん)というのだ。ハードルを自ら上げ、それをクリアしていく姿勢には、本当に驚かされた。

結果から見ると、今回の2000GTの部品復刻は思った通り、いや思った以上の成果を挙げたわけだが、プロジェクトのスタート時点では「絶対にいける、という自信はなかった」(結城さん)という。

2019年5月にA70/A80スープラの部品復刻を発表した時点で、次は2000GTでという話はあったそうだが、「意気込みだけがあった」(結城さん)というのが真実のようだ。通常、トヨタという大企業は、なにか新しいことをする際、すべて段取りして関係者全員が「握れた状態」で世の中に発表する。

ところが、今回のプロジェクトは、「なにもない状態で発表してそこから頑張って進めていくというこれまでにないチャレンジングなやり方をしました。1年ちょっと前まで本当になにもないところからここまで来られたのは、協力してくださった関係会社の皆さん、それからトヨタ社内のさまざまな部署の方、そして当然オーナーズクラブのオーナーの方、メンテナンスガレージの方のおかげです。とにかく多くの人たちに支えられてここまで来ることができました。本当に感謝しかないです」と結城さんは語る。

トヨタとしても異例のプロジェクトだったわけだ。

スープラの次が2000GTだったというのは、プロジェクトに関わる人の熱量を上げ、技術を伝承し、将来行われることになるであろうトヨタが得意とする大量生産ではない「多種少量生産」の基盤作りへも発展したという意味で、正解だったと取材を通して強く感じた。

『2000GTの次』の構想はまだ検討中で明確には話せないという。ただ、次の車種に現在でもファンが多く多数のクルマが現役で走っているセリカ(初代1970-77年)が来ても、AE86レビン/トレノ(1983-87年)が来ても、はたまた今なお旧車として人気の高いトヨタスポーツ800(1965年-1969年)が来ても、2000GTをクリアしたメンバーなら必ずプロジェクトを成功させるだろう。

撮影が終了しても、参加したプロジェクト・メンバーの話は尽きない
撮影が終了しても、参加したプロジェクト・メンバーの話は尽きない

GRヘリテージパーツプロジェクトは、2000GTのトランスミッションとデフの部品復刻で、ひとつの山を越えて大きく前進した。プロジェクトはこれからも続く。その先になにがあるのか。楽しみに見続けていきたい。

[ガズー編集部]

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