夢は五大陸制覇。高校生からランクル(BJ41V)に乗り続けてきた理由とは?

ランドクルーザーが生まれて、もうすぐ70年。戦後、日本が産業や経済の復興に勢いづいてきた時代にランドクルーザーは誕生した。1トントラックのシャシーや4トントラックのエンジンを流用して作られた大きく、頑丈なクルマは、重い荷物を運び悪路走行をしながら日本を支えてきた。

自宅ガレージで、ランクルBJ41をメンテナンスするのが趣味という菊地能充さん。彼もまたランドクルーザーに魅せられた1人である。
菊地さんのランドクルーザー(BJ41V)はショートモデルのハードトップで1980年製。『ヨンマル』と呼ばれる3世代目のマイナーチェンジモデルで、国内向けディーゼル車の中では最も走りがたくましく、人気が高かった型式だ。

子供の頃からクルマが大好きで、幼稚園の頃、仕事に使うトラックを購入しようとしている父親に「頼むからフロントブレーキはディスクにして!」と注文をつけるくらいクルマに対するこだわりが強かったという菊地さん。
小学生になると近所のカーショップに出入りするようになり、そこで仲良くなったランクルオーナーにドライブに連れていってもらったりしていたという。

「ランクルは、角ばったフォルムとか、どんな道でも進んで行けそうな姿がかっこよくて、憧れのクルマでしたよ。乗せてもらうたびにワクワクしていました」

そんなある日、いつものようにカーショップに行くと『ヨンマル』に乗っていたオーナーが別のクルマに乗っているのを見かけた。尋ねると、古くなったから田舎に置いてきたという。それならばと交渉し、高校1年生の時に1万円で譲ってもらったのが、菊地さんと愛車との出会いだった。

「今でこそ旧車ブームの影響で価格が高騰していますけど、当時は古くてボロボロの個体が多く安かったんです。だから少々ぶつけても大丈夫みたいな感じで雑に乗っている人もいましたけど、僕はそれが嫌だったんですよね。高校1年生の時に購入したので、免許がとれる高校3年生になるまでの2年間でこのランクルを綺麗に修理して、大切に乗ろうと思いました」

そこから、菊地少年とランクル40のストーリーは動き出した。早く修理したいという気持ちから、学校には教科書だけでなくランクルのサービスマニュアルを持っていくようになった。サービスマニュアルに書いてあることをノートに書き写し、頭に叩き込んでいく。頭の中はランクルのことでいっぱいだった。

そうして、ランクルを知れば知るほど、菊地さんの中に修理するにあたってのポリシーが生まれたそうだ。
それは、耐久性に優れたランドクルーザーとしての品質を落とさない整備をすること。シンプルな構造で丈夫なクルマだからこそ、余計なことはしないと決めたという。

必要に迫られ、整備や改造をするというスタンスを貫きながらレストアを進めていった。まずは故障していたエンジンを、自宅にあったフォークリフトなどを使いながら載せ換えた。彼女とデートに行くためにクーラーもつけた。サスペンションがヘタってきたら交換したし、オーディオやETCを載せるための収納スペースも自作した。

そして、部品はいつ取り替えたか分かるように、パーツに日付を書き、ノートにも記入する徹底ぶり。これは大人になった今も受け継がれている。だからこそ22年間も、大きな故障がなく走れているのだろう。
走行距離50万kmを超えたあたりで交換したというメーターは、もうすぐ17万kmに到達しようとしている。

「純正部品のクオリティや、年数が立っても供給が安定しているところが好きだという話をすると、ノーマル至上主義者だと思われることがあるんですけど、それはちょっと違うんです。技術って常に進歩するので、新しい部品の方が優れているのは当然だと思っています。だからエンジンはトラック(ダイナ)に搭載されている4101ccの15B-Fに積み換えているし、高速走行がラクになるようにミッションも4速から5速に変更しています」

もともと旅が好きだった菊地さんは、免許取得後の大学4年間で、北海道から沖縄まで旅をしたそうだ。

「自分の好きなクルマで旅に行けるのが楽しくて。もっと色々な所に行きたいと思うようになりました。就職先も、ランクルの部品が安く手に入るかもしれないと思って部品商に就職しました。とにかく、生活の基準がランクル中心でしたね」

就職先もそうだが、住居も工場を改築したもので、ランクルをいつでも修理出来るようにガレージにはリフトや工具が設置してある。
もちろん修理工場などではないのだけれど、取材当日にもそのリフトでランクルに乗った青年がオイル交換をして帰っていったので疑問に思っていると、菊地さんが笑いながら話してくれた。

「自分でランクルのメンテナンスをしたいという人のために、場所を解放しているんです。みんな、オイル交換やタイヤ交換していますよ。だから、いつも誰かのランクルが停めてあります。だから僕は自宅ガレージにクルマを停めることができなくて、近くに別の駐車場を借りているんですよ(笑)」

自分でランクルを触っていると、クルマのことが分かってきて走り方も変わってくるという。愛着も沸いてきて、大切に乗る人が増えるはずだと菊地さん。

そんな菊地さんは、ある夢を持っている。それは、ランクルで五大陸制覇をすることだ。自分とランクルはどこまで行けるのかを試してみたかったそうだ。

「オーストラリアに仲間と一緒に愛車を持ち込んで、2ヶ月で3万km走りました。海外で走っていると『このランクルかっこいいね! 日本車仕様?ディーゼル?』とか色んな人に話しかけられました。日本で走るよりモテモテだったかもしれないです(笑)。ランクルは、海外では日本以上に老若男女が誰でも知っているポピュラーなクルマなんですよね。ちなみに、旅行中に動かなくなったことは一度もありませんでしたよ」
と自慢げに語ってくれた。

一度も故障がなかったのか?と質問すると、長年乗ってきたクルマだからこその答えが返ってきた。

「もちろん、アクシデントは沢山ありましたよ。でも、直ぐに異変に気付いて、トラブルが起こった瞬間に対応したので大きな故障には繋がらなかったんです。こればっかりは感覚ですね。自分の体がちょっと風邪気味っぽいなーみたいなことを察知する感覚で、ランクルの小さな変化が分かるんです。旅の後半になるにつれ、ランクルとシンクロしているという感覚は研ぎ澄まされていきました」

この経験は菊地さんにとって忘れ難い素晴らしいことだったと少年のような笑顔で語ってくれた。

「ランクルに乗り始めた頃、僕は高校生でした。それが今では、結婚して子供が2人いて。中年になってしまいました。僕にとってランクルは、筆箱の中にあるシャーペンのような存在です。あるのが当たり前みたいな。購入した時の走行距離は10万kmだったんですが、今は70万km近くも走っているんです。だから、変なところが壊れるんですよ。アクセルペダルが折れたりとかね。だけど、まだまだ走らないと! 五大陸制覇を成し遂げなくてはなりませんから!」

オーストラリア遠征の後には子供が産まれ、家族でロシアにも足を運んだ。ロシアの地を共に走ったランクルは、10歳のらんちゃんと5歳のしゅん君にとっても身近な存在になっている。

免許返納まであと30年。家族と一緒に、これからも安全運転で五大陸制覇を目指す。

エンジン音を動画でチェック!

(文:矢田部明子 / 撮影: 平野 陽)

[ガズー編集部]

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