7年越しの福来たる。世界に誇る軽自動車規格のミッドシップ、ホンダ・ビート

時間の経過とともに、少しずつ記憶が薄れつつあるように感じる日本のバブル景気。しかし、あの時代だからこそ世に送り出されたという日本車は数多いのではないだろうか。もしかしたら、ホンダ・ビート(以下、ビート)もそんな1台なのかもしれない。ビートは、軽自動車としては初となるミッドシップ(MR)を採用したクルマだ。同じ時代には、スズキ・カプチーノやマツダ・オートザムAZ-1(スズキ・キャラ)など、「バブル期の日本だからこそ」発売できたとしか思えない、ユニークな軽自動車が存在していたのだ。

だが、ビートにはカプチーノやAZ-1とは決定的に違う点がある。それはエンジンだ。直列3気筒、排気量660ccおよび最高出力64馬力というスペックは同じだが、NAエンジンはビートのみ。その他のクルマはターボ付きのエンジンだ。最高出力に到達するエンジンの回転数も、ビートは8100回転、カプチーノおよびAZ-1は6500回転と、明らかに高回転型の仕様だったことが分かる。

他にも挙げればキリがないので割愛するが、2011年に、ビートの発売20周年を記念して、現代のオーディオに求められる機能を搭載した純正コンポやスピーカー、アルミ合金製フューエルリッド等が、メーカーから発売されたことに驚き、歓喜したユーザーも多いだろう。奇をてらわずに、敢えて当時の雰囲気を残した純正パーツを発売したことは、熱狂的なビートのユーザーの心境を理解したからこそ実現できた「ホンダの粋な計らいであり、プレゼント」と断言していいのではないだろうか。

深夜のとある高速道路のパーキングエリア。夜な夜なチューニングカーが集うこの場所に、1台の真紅のビートが停まっていた。運転席のみバケットシートが装着されている以外はオリジナルコンディションを保っているようだ。運転席に座っていたオーナーに話し掛けてみることにした。

「このビートは1991年式になります。つまり、初期モデルにあたる個体です。ずいぶん前に、付き合いのあるホンダディーラーのセールスの方に『ビートの出物があったら連絡して!』と頼んでおいたんですね。そんな約束などすっかり忘れていたある日、突然『4万キロしか走っていない極上のビートが見つかりました!』と連絡がありまして···。気がつけば、セールスの方に依頼してから7年の歳月が流れていました」。

セールスの方やオーナーも、お互いに社交辞令や口約束程度と考えることもできたはずだ。しかし、ある日突然、7年越しの福が訪れた。このチャンスを逃す手はないだろう。

「そうなんです。当時、付き合っていた彼女(現在は奥様)と一緒に試乗することにしました。でも、乗ってしまったら最後ですよね。思わずにやけている自分がいました。結婚の約束をしていた彼女から許可を得たので、購入することにしたんです」。

こうしてようやく手に入れた念願のビートだったが、実は求めていた仕様ではなかったそうだ。

「本当は、500台限定で発売された『バージョンC』というモデルが欲しかったんです。「キャプティバブルーパール」という、ブルーメタリックのボディカラーが特徴的な限定車です。セールスの方からは『これほど状態の良いビートは2度と出ないかもしれない。いざとなればキャプティバブルーパールに塗り直すこともできますから、手に入れておいた方がいいですよ!』という口説き文句にクラッときて決断しました。それでもバージョンCの存在も気になりましたが、この個体を所有していくうちに「フェスティバルレッド」という名のボディカラーにも愛着が湧いてきて、結局、同じ色に塗り直したんです」。

このビートを眺めていると、生産から26年経ったとは思えないほど「現役のマシン」の気配をクルマ全体から感じる。20年を優に超える個体となれば、もはやネオクラシックカーの領域に足を踏み入れたといっていいはずだが、そんな気遣いは無用であるかのようなオーラを発しているのだ!

「手に入れたとき、オドメーターは4.4万キロを刻んでいました。現在は8万キロを超えたあたりです。運転席のみFEEL’S製バケットシート(ビート専用)に交換していますが、それ以外はほぼオリジナルです。仕事から帰宅して、一応、妻の許可を得てから、月に1、2回は夜の高速ドライブを楽しんでいます。以前は日曜日の早朝にお気に入りのワインディングロードを走っていたのですが、娘が生まれてからは家族サービスを優先しているので···。平日の夜にやりくりして、ビートに乗る時間を作っています」。

ビートの血統を受け継ぐクルマといえば、2015年に発売されたホンダ・S660だろう。ビートの存在がなければ、21世紀の現代にホンダ・S660が発売されることはなかったかもしれない。このクルマの存在は気にならないのだろうか。

「もちろん、S660の存在は気になります。ビートはNSX(初代)が誕生し、本田宗一郎やアイルトン・セナが生きていた時代に生まれたクルマです。私は今、38歳なのですが、こうしてようやくビートを手に入れることができたわけですし、所有する動機として、当時の時代背景も大切だと思います。先日、妻と久しぶりにビートでドライブする機会があったんですね。妻は、フィアット・500(先代モデル/NUOVA 500)が大好きなので、ビートにも理解を示してくれたんだと思います。新婚時代、フィアット・500のイベントがあると、ビートに乗って関西までドライブに行ったこともありましたね。それでも久しぶりに乗ってみて『こんなに風切り音が気になるクルマだったっけ?』と驚いていました。そんな新婚時代の時間が共有できるのも、このビートがあるからこそ···なんですよね」。

エンツォ・フェラーリが存命中に何としても喜んでもらえるようなクルマを作ろうと開発されたのが、1987年に発表されたフェラーリ・F40だ(エンツォはこの翌年にこの世を去っている)。そしてビートも、故本田宗一郎が見届けた最後のホンダ車となった。アイルトン・セナも、1994年にレース中の事故でこの世を去った。このビートのオーナーのように、1台のクルマが、当時のことを思い出させるアルバムのような役目を果たすことがあるのかもしれない。そんな、ビートをこよなく愛するオーナーに、他に気になるクルマはないか、ちょっと意地悪な質問を投げ掛けてみた。

「フィアット・500やミニ、トミーカイラ・ZZ、プジョー・106 1.3ラリーが気になっていますね。軽量で小さいクルマが好きなんです。中でもプジョー・106は程度の良い個体が減りつつあるようですし、自宅近くに専門店がありまして···正直に言うと、ちょっと気になっていますね」。

最後に、オーナーにとって、このビートはどのような存在なのか、尋ねてみた。

「気分を盛り上げてくれる、大切な『仲間』ですよね。夜、仕事から帰ってきて、妻の許可を得て夜のドライブ···。アラフォー世代の私には、勢いがないと乗れません(笑)。だけど、これほど運転が楽しいクルマは他にありません。娘もビートを気に入ってくれていますし、なかなかこのクルマの代わりになる存在が見つからないんです」。

取材中、何台かの気になるクルマを挙げてくれたオーナーだが、ビートを手放してよいものか悩んでいるようにも感じられた。そんなタイミングで、フェスティバルレッドのボディカラーを纏ったビートとオーナーを取材させていただくことができたのも何かの縁なのだと思えてならない。もしかしたら「もう少し乗っていたら?手放したら2度と手に入らないかもしれないよ」という、7年越しの福を運んできてくれたクルマの神様による暗示なのかもしれない。オーナーとその愛娘が交代しながらこのビートをドライブする光景を観てみたい···。そんな未来に思いを馳せてしまいたくなるような出会いだった。

(編集: vehiclenaviMAGAZINE編集部 / 撮影: 古宮こうき)

[ガズー編集部]