武骨だけど温かい!20年間家族を見守り続ける1978年式三菱・ジープ(H-J46型)

ジープといえば「軍用車輌」というイメージが強いが、絵本作品「しょうぼうじどうしゃ じぷた」の主人公として、馴染み深い人は案外多いかもしれない。愛らしいイメージと相まって堅牢で武骨なのに、どこか温かみや親しみを感じるクルマ、それがジープだと思う。

今回は三菱・ジープ(H-J46型、以下ジープ)と暮らす、47歳の男性オーナーを紹介したい。

オーナーはこれまで、さまざまなクルマを乗り継いできた。バモスホンダ、ユーノス・ロードスター、三菱・J54ジープ、BMW・325i、三菱・J55ジープ、フィアット・ムルティプラなど実に多彩だ。幼い頃に父親が乗っていたキャンバストップのバモスホンダに影響され、歴代の愛車にはオープンカーが多いという。

このH-J46型ジープの屋根は幌だ。相当な時間を掛ければ、オープンになる仕様である。年式は1978年式で、珍しい9名乗車だ。1998年に手に入れてから、走行距離は現在約15万キロで、購入後からは10万キロほど走っている。

全長×全幅×全高:4100x1670x1950mm。駆動方式は4WD。水冷4気筒OHCの4G53型ガソリンエンジンが搭載され、最大110馬力を発生する。

ジープのルーツは、米国のアメリカン・バンタム社が軍用車として開発した車輌だ。終戦とともに、量産型のウイリスMB/フォードGPWが進駐軍の移動手段として日本にも上陸し、人々に知られるようになっていった。1949年にはウイリス・オーバーランド社と倉敷レイヨン(現kuraray)が共同出資し、日本での販売店として倉敷フレーザーモータースを設立。1950年には警察予備隊(後の自衛隊)の設置とともに、翌年より米軍からの貸与という形で採用された。

1953年からは部品を輸入して国内で組み立てるノックダウン生産がスタート。林野庁向けのJ1、保安隊向けのJ2、民間向けのJ3等が生産された。余談だが、この組み立てが三菱に決まったのは、朝鮮動乱の後方で車輌修理を行っていた実績や、倉敷フレーザーモータースからの後押し、保安隊からの奨励等があったとされている。こうしてジープは、改良やラインナップの拡大を繰り返しながら「国産ジープ」へと独自の進化を遂げた。生産を終える1998年までの46年間、戦後の再建を支え、生産を終えてからも多くのファンに愛され続けている。

オーナーのジープH-J46型も、国産ジープとして進化を遂げた「バリエーション」のひとつだ。

「この個体は、もともと消防車なんです。ボディも地は赤なんですよ。民間ではディーゼルエンジンのジープが好まれていましたが、当時のディーゼルは掛かりが悪かったので、消防では緊急性を重視してガソリンエンジンの個体が主流でした。納車当時は赤いフォグランプが付いていましたし、団の看板の跡など、消防車の名残があちこちにありました」

とオーナー。なんと「リアルじぷた」だった。もともとは消防車だったというこの個体を維持しているコツやこだわりを伺ってみた。

「とにかく乗ること、タイヤを太くしないこと、錆びさせないことでしょうか。仕事も含めて週に4日は乗っています。水が抜けないとやはり錆びてきますので」

この個体と出会ったきっかけは?

「この個体は私で4オーナー目です。実は以前にも三菱ジープK-J54型を所有していたのですが、結婚のタイミングで一度手放してユーノス・ロードスターに乗っていました。そのうち子どもができ、臨月に入った頃にジープ仲間から買わないかという話が舞い込んできまして、ファミリーカーという口実で即決してしまいました。それまでずっとジープを探していて『今度乗るならこれだな』と思っていましたから。妻には事後報告でしたが(笑)。2.4リッターのガソリンエンジンで、幌屋根の9人乗りジープは500台程度しか生産されなかったとか。屋根が幌なのは、船積みの際の容積を減らすことが目的だったようです。副次的に、幌屋根だと貨客兼用登録でも、積載量0kgまで乗車定員を稼げます。一般的なライトバンだと、2人/400kg(乗車定員/最大積載量)か5人/250kgですが、このジープは3人/400kgか、9人/0kgとなるのです。当時の法規では、幌屋根は特殊扱いなんです」

オーナーの奥様の反応はどうだったのだろうか?

「理解があるというか、諦めているのか『ああ、次はこれなのね』とあっさりしていますね。ジープを『ファミリーカーだから、9人乗れるから』と言うと『子ども何人作るのよ』と返されました。本人もフィアット・ムルティプラをMTで乗っていたりするので、そんなに抵抗がないのかもしれないですね」

20年乗り続けるなかで、モディファイした箇所はあるのだろうか?

「オリジナル度はかなり高いです。今までに自分で作業をしたといえばまず、フロントのトウバーの取り付けですね。後ろにトレーラーを引っ張るためのピントルフックが付いていて、ジープ同士も連結できます。つまり、理論上8輪駆動にできるわけです。それから、部品交換会にて格安で手に入れた部品を取り付けています。ウインカーガード・ライトガード・アンテナブラケット・ジェリカンホルダー(ガソリン携行缶ホルダー)などです。DIYでダッシュボードを加工してステレオを埋め込んだりもしています。あとは、3~4年に一度、ボディにラッカーペンキを刷毛で塗り足しているくらいです」

オーナーは修理もできるだけ自分でこなしてしまうという。そこで、ジープの部品供給の状況を伺った。

「部品に関しては今のところ困っていません。リアブレーキのシリンダーが欠品になっていたことがありましたが、2年ほど前に再生産がはじまったと聞きました。ただ、古い型の四輪ドラムブレーキなので、車検ごとにカップキットの交換を余儀なくされることが多いです。数年前にサスペンションのブッシュを全交換した折にコラムシフト関連のブッシュの交換もしましたが、その関連の部品は、供給が悪化してきましたね」

あらためてジープを手に入れ、この20年間で変化したことはあったのだろうか。

「インターネットを通じてできた、同じクルマを持つ仲間との交流が増えたのがいちばんの変化だったと思います。このクルマを購入した1998年は、インターネットの黎明期でもありました。ちょうどメーリングリストが利用されはじめた頃で『ジープのML』もあり、加入をきっかけに一気に仲間が増えましたね。もし独りだったら、維持に挫折していたかもしれないです」

大勢のジープ仲間に恵まれるオーナー。今の個体を輸送するときも、仲間が格安で輸送・陸送を引き受けてくれたのだとか。そんなオーナーにとってジープの魅力とは?

「乗るとホッとするところかな。幌屋根特有の『穴蔵感』みたいな安心感がありますよね。『ジープを着る』という表現がふさわしいのかもしれません。純粋な道具としてシンプルな存在であるところが魅力だと思います。あるいは『やせ我慢の美学』が内在しているところでしょうか。現代のクルマとは違って、不便でうるさくて、燃費も悪くて、しかも雨に濡れるクルマです。何もいいところがない、けれどそこが好きという人が多い。四駆好きではなくジープが好き、ジープでなければ乗りたくないという人ばかりです。相当のかぶき者ですよね(笑)。ジープに乗っていると、よくわからない自分の屁理屈が出せる、そんな天邪鬼な人が魅力を感じるクルマなんじゃないかなと思います」

「もうひとつ魅力を挙げるとすれば、自分色に染められるところでしょうか。オーナーそれぞれのクセや色合いがクルマに表れます。例え、モディファイの方向性が違っても、ジープ乗りたちはお互いに干渉しません。そうした緩い流れもラクですね」

最後に、今後ジープとどう接していきたいかを伺った。

「処分したくなる理由もないですし、不満はないですね。趣味性もあって仕事にも便利に使え、家族での移動はできるし、頑張れば屋根も開く。整備はラクだし、最悪、近所の修理屋さんに駆け込める信頼の日本車(笑)だし。最近は息子も運転できるようになったので、後ろの対面席を使ってサロンジープで宴会したいです(笑)。そんな妄想を描きながら淡々と乗って行けたら、と思います」

オーナーの子どもたちが生まれたときも、変わらない姿で佇んでいたジープ。これからも家族の一員のように、オーナーファミリーの歴史に溶け込んでいくのだろう。

(編集: vehiclenaviMAGAZINE編集部 / 撮影: 古宮こうき)

[ガズー編集部]

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