新車から40年、ノンレストア・フルオリジナル。開発陣に敬意を。1980年式ホンダ・アコード ハッチバックEX(E-SM型)

「うそだろう」

取材当日、待ち合わせ場所でオーナーの愛車を拝見したときの偽らざる最初の印象である。誠に失礼ながら、本当にそう思ったのだ。今や、街中で見掛ける機会が皆無に等しいとさえ言える、初代アコード ハッチバックモデルを間近でみられるだけでも貴重な体験だ。あまりにも素晴らしいコンディションに、レストアを終えたばかりの個体か、ひょっとしたらホンダコレクションホールから借りてきたのではないかと疑ってしまったほどだ。しかしこの個体は、新車で手に入れてから40年というれっきとした「ワンオーナー」カー。しかもノンレストア・フルオリジナルを維持しているというではないか!

「このクルマは、1980年式ホンダ・アコード ハッチバック(E-SM型。以下、アコード ハッチバック)です。新車で手に入れてから40年になります。現在、私は62歳ですが、これまでの愛車遍歴はこのクルマのみ。現在のオドメーターの走行距離は約9万3千キロ、ノンレストア・フルオリジナルの状態を維持して現在に至ります。…といっても、私としては特別なことをしてきたわけではないんです」

アコードといえば、今やホンダを含め、日本車のなかでも長年にわたり販売されている貴重な存在だ。現行モデルは9代目にあたり、2020年2月にはフルモデルチェンジが予定されており、10代目へと進化する。オーナーの個体は、その原点ともいえる初代モデルにあたる。

アコードは、まず1976年にハッチバックモデルから発売された。当時、開発スタッフはアコードの基本コンセプトを「使い勝手が良く、スタイリッシュで、スポーティーな小型車」に決めたという。それはつまり、スタッフ自身が欲しいと思えるクルマとイコールでもあったのだ。アコード ハッチバックのボディサイズは全長×全幅×全高4125x1620x1340mm。シビックに搭載されていたCVCCエンジンの発展型である「EK」型と呼ばれる、排気量1750CC、直列4気筒SOHCエンジンが搭載され、この個体は最大出力85馬力(ホンダマチック車。 MT車は90馬力)を誇る。トランスミッションは、4速&5速MTの他、「ホンダマチック」という名の手動AT(この個体はOD付3速)も用意された。ちなみに車名のアコードとは、英語で「調和」や「一致」を意味する。

40年という時間を1台のクルマと歩んできたオーナー。まずはクルマ好きになったきっかけを伺ってみた。

「あれは小学生のときでした。我が家にもサンタクロースがやってきて、CG(カーグラフィック)誌を枕元に置いていったんです。デ・トマソ・マングスタが表紙でした。カタカナ(自動車専門用語)の意味が分からないところもありましたが、読むのは苦痛じゃなかったことを覚えていますね。その後、カーグラフィック誌が私にとってクルマの教科書であったことは間違いありません。2013年にお亡くなりになった、同誌の創設者である小林彰太郎さんから『きれいに乗っていらっしゃいますね』と声を掛けていただいたことがあり、とても嬉しかったですね」

日本国内におけるクルマ好きのかなりの割合が、カーグラフィック誌から何らかの影響を受けていることは間違いないだろう。この雑誌が日本のクルマ文化に与えた影響、そして功績は偉大だ。もちろん、オーナーもその1人。このアコードがカーグラフィック誌の長期レポート車として紹介された号は、現在でもすべて保有しているという。カーグラフィック誌から多大な影響を受けたオーナーがアコード ハッチバックを手に入れるまでの経緯を伺ってみた。

「1972年に発売された初代シビックが、カーグラフィック誌において設計思想を絶賛され、ずっと気になっていました。そして1976年に一段とスタイリッシュになったこのアコードハッチバックが発売され、すっかり惚れ込んでしまいました。しかし当時は大学生だったし、すぐに購入できるようなクルマではありませんでした。大学を卒業して社会人になった1980年の春、父親が購入したクルマとしてアコード ハッチバックが我が家にやってきました。とはいえ、私と妹が乗るために購入したようなものなんです。アコード ハッチバックなのは私の強い意向でしたね(笑)。ボディーカラーは“チューダーローズメタリック”といいまして、妹の希望でこの色になりました。クルマは私の希望だったので、ボディーカラーは妹の意向を反映した、というわけなんです。これまで妹が運転したのは1千キロ未満ですけどね」

デビューのときから憧れていたクルマが4年越しでとうとう我が家にやってきたとはいえ、まさかこれほど長い付き合いになるとは、オーナー自身も夢にも思っていなかったかもしれない。あれから40年。今日に至るまで、どうやってこれほどのコンディションを維持しているのだろうか?

「帰宅後、駐車場にクルマを停めたら、先ず2本の毛ばたきでボディ表面の埃を取り除いていきます。後は濡らしたウェスで拭き上げていくだけですね。窓ガラスは先に濡らしたウェスで拭いて、次に乾いたウェスで仕上げています。自宅に限らず、出先でも同じです。これを40年間コツコツと繰り返してきたら現在のコンディションだった…というわけなんです。今日も取材が終わって帰宅したら手入れだけはします。慣れるとホンの10分くらいで終わります。ちなみに自宅の駐車場は幸運にも屋根付きガレージで、フロントグリルはタミヤのマットブラックの缶スプレーを時々吹いていますけど、それ以外は特別なことは何もしていないんです。実際、息子が産まれたときは、このクルマに妻と息子、大量の赤ちゃん用品を詰め込んで妻の実家から自宅まで運びましたし、その後もチャイルドシートに座った息子が室内を汚したこともありました」

よく見ると、オーナーのアコード ハッチバックの塗装の一部は経年劣化が見られるし、内装にも相応のヤレがある。人の手垢がついていないようなコンクールコンディションとは違う「使い込まれてきたからこそのいい味」がクルマ全体から感じられるのだ。

さらに驚いたのは、前述のようにノンレストア・フルオリジナルの状態を維持しつつも、オーナーがこのクルマを「日常の足」として使用しているということだ。通勤用ではないようだが、買い物やご家族とのドライブなどを含めた「日常の足」であることに変わりはない。雨の日は乗らないとか、スペシャルな洗車道具を取りそろえるといった、徹底的なコンディション維持に努めているに違いないと信じて疑わなかったが、そうではないようだ。『40年間、オーナーなりに自然と接しているうちに現在のコンディションになっていた』という表現がもっともしっくりくるように思う。

…とそのうち、オーナーによる「日常の手入れの実演」がはじまった。確かに特別な洗車道具を使うわけでもなく、プロ直伝の秘技があるわけでもなさそうだ。ただ、愛車を拭き上げる手つきはあくまでもソフトで優しい。ご本人が意識されているかは定かではないが、愛情がこもっていることはひと目で分かる。実は今回の取材の際、オーナーが長年愛用しているカメラや腕時計、ご自宅にあるというオーディオの写真を見せていただいた。アコードと同様に、若い頃から何十年も使い続けているという。単に物持ちがよいというわけではなく「オーナーとしては、ごく自然に大切に使い続けているうちに現在に至った」という表現の方がふさわしいと感じた。縁あってオーナーのところに嫁いできたこれらの製品は本当に幸せだろう。そんな「モノを大切にする」オーナーとアコード ハッチバックにとって忘れられない思い出があるという。

「10数年前、カーグラフィック誌のイベントがとしまえん(東京都練馬区)で開催されたことがあり、私のクルマも参加したんです。ふと、じっと私の愛車を眺めている初老の男性がいらっしゃいました。全身黒ずくめの服を着たダンディな方でしたね。するとその男性が『あなたがオーナーさんですか?』と、私に話し掛けてきたのです。よくよくお話を伺ったら、初代シビックとこのアコードの開発責任者であった木澤博司さんだとおっしゃるのです。当時のことを振り返りながら、いろいろなお話をしてくださいました。私から、内外装ともオリジナルのままにしているのは、設計者の方への敬意のつもりですと申し上げると、とても喜んでくださいました。このとき、木澤さんからいただいたお名刺は家宝です」

自分の愛車を開発した方(それも責任者)から声を掛けられ、貴重な話が聞けるとはオーナー冥利に尽きるだろう。ところで「敬意の表れ…」とのことだが、オーナーから見た、このクルマの優れていると思うところは?

「あれこれの装備やスペックを脈絡なく詰め込む代わりに、クルマ全体のバランスを開発者の方々が徹底的に煮詰めておられる点です。ダッシュボードの視界のよさや、この時代に、メルセデス・ベンツなどの高級車にしか装備されていなかった左右ドアにあるデミスター(ドア部分のエアコンの吹き出し口) を採用するなど、木澤さんをはじめ当時の開発スタッフの方々が、車格などに囚われず自分が本当に欲しいクルマを目指しておられたことが伝わってくるところですね。手を加えたのは、リアゲートのスピーカーボードと、カーグラフィック誌の長期レポート車でも使われていたオートルック製のペダルカバーくらいです。消耗品であるタイヤは、選択肢が限られるので苦労しています。しかし今でも、オリジナルどおりのサイズを探して装着していますよ」

メンテナンスはどうしているのだろうか?40年も所有していればそれなりにトラブルもあったと思うが…。

「40年前に新車で購入したホンダカーズ東京中央上野毛店さんにいつもお預けしています。当時から今もずっと、代々の熱心なメカニックさんがそれは親身に診てくださっているんです。それでも、新車から20年目くらいのときに、キャブレターのフロートがパンクしました。このときはサプライヤーさんが部品を製作してくれて、私のクルマのキャブレターに合うようにセッティングしてくださったんです。最近になり、またキャブレターの調子が悪くなってきたのですが、当然、当時の部品はありません。そこで、さいたま市にある会社さんを紹介していただき、キャブレターの使える部品を組み合わせ『2個イチ』にして復活してくださったんです。大きなトラブルといえばそれくらいですね」

最後に、この愛車と今後どのように接していきたいか伺ってみた。

「もはや体の一部のような“しっくりくる”存在です。運転できるかぎりは乗り続けたいと思っています。いずれは息子が引き受けてくれたら、とも思いますが…、彼の選択に委ねます。それと、文句一ついわず、このクルマに乗ってくれる妻にはこの場をお借りして感謝の気持ちを伝えたいですね。たまたま借りてきたN-BOXの方が快適だし、室内も広い、と思っているようですが…。だからこそありがたいですよね」

オーナーには失礼ながら、アコード ハッチバックは後世に残りにくい類いのクルマだ。人気を博しても、時間の経過とともに街中で見掛ける機会が減り、ひっそりとその姿を消していく。この年代の多くのアコードがすでに廃車となり、この世から姿を消してしまっていることだろう。しかし、オーナーの個体のように、タイムスリップしたかのような素晴らしいコンディションを維持する個体も実在する。これから必要とされるのは、これらのクルマの存在価値を認め、1台でも多く後世に受け継いでいくことではないだろうか?

最後に、今回の取材は、以前、取材をさせていただいたメルセデス・ベンツSL320のオーナーからのご紹介で実現した。SL320の取材が終わったあと、すぐさま声を掛けてくださり、ご快諾いただいた経緯がある。

このように、愛車広場はオーナーからのご紹介・ご縁で成り立っているといっても過言ではない。貴重なワンオーナー車を間近で観られる機会を与えていただき、お二方にはこの場を借りて心よりお礼を申しあげたい。

(編集: vehiclenaviMAGAZINE編集部 / 撮影: 古宮こうき)

[ガズー編集部]

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