トヨタ カローラが変わっても「カローラ店」はいつも街角にあった【藤井真治のフォーカス・オン】

好調な受注のトヨタ カローラ 新型
9月18日、トヨタは『カローラ』をフルモデルチェンジし日本国内で発売を開始した。3ナンバー専用の大きくなったボディへの懸念はあったものの、フタを開けてみれば1か月で受注台数2万台と市場の反応はまずまずだ。

これまでカローラは4系列あるトヨタ販売網の中でカローラ店系列の専売車種であった。今回の新型カローラは、トヨタの販売チャンネルの一本化方針に基づいてすべてのトヨタの販売チャネル(トヨタ、トヨペット、カローラ、ネッツ各店)での扱いとなった。

初代カローラの生産開始は半世紀以上前の1966年。販売開始と同時に全国に新規に作られたカローラ店は同時期に発売された日産の『サニー』などと販売競争を繰り広げ日本のモータリゼーションを長年に渡りリードしたことに疑いはない。

◆カローラを高度成長期の波に乗って売りまくったカローラ店


今回発表の新型カローラは1966年の初代カローラから数えて12代目。カローラの世界での生産累計は5000万台にまでなろうとしている。日本国内では1968年から2001年まで実に33年間もベストセラーカーとして君臨してきた。大衆車としての価格と価格、スペックの絶妙のバランスや顧客の嗜好に合わせたボディバリエーションという商品性が万人に愛されて来たわけだ。

初代カローラ発売に合わせ全国都道府県で設立され営業を開始していったのが地場資本を主体とするカローラ店。高級車を売る老舗のトヨタ店やトヨペット店の隣で大衆車カローラを日本の高度成長期の波に乗って「すごい馬力で売りまくった」わけである。

かつての日本のモータリゼーションを支えたのはこのカローラという優秀な商品だけでなく、全国の優秀なカローラ店であったと言えよう。

◆記者発表にはカローラ店代表やカローラの歴代ユーザーも


9月18日、東京で開催された新型カローラの記者発表会。豊田社長本人は登場せず、レーシングスーツを着てのビデオ出演にとどまったが、技術担当の吉田副社長やチーフエンジニアが行う新型カローラのコンセプトや製品説明に会場は熱い熱気に包まれた。

製品紹介のあとには、全国のカローラ店の代表であるトヨタカローラ新大阪の久保社長も登場し、新型カローラの初期評判や期待について語った。また、会場にはカローラを何年も乗り継ぐお客様も招待されていて、愛車との思い出を語っていた。カローラは販売店、ユーザーからも長年に渡り愛されているブランドだと言えよう。

ちなみにアラ還の筆者は、初代サニーやカローラ発売当時は小学生。日産が実施していたサニーの発売前名称公募キャンペーンのため父親がはがきをせっせと書いていた。また買ったばかりの『パブリカ』を僅か3日で事故全損させ、腹いせに近くのカローラ店に行ってカローラを注文したことを鮮明に覚えている。母親は烈火のごとく怒ることしきり。という記憶が鮮明に蘇る。

◆消えゆくオレンジ色の看板

トヨタの販売系列統合の皮切りとして実施された東京のトヨタ直営店の統合。トヨタ店、トヨペット店、カローラ店、ネッツ店は2019年4月に「トヨタモビリティ東京」という一つの会社に統合されたのだが、半年経っても販売拠点のほとんどは4系列のそれぞれの看板がかかったままだ。

多すぎる拠点の統廃合に苦労しているようだが、トヨタらしくない「だらしなさ」感じざるを得ない。直営店ですら苦労している系列統合。各道府県は複数の地場資本間の調整が必要でその難しさは推して知るべしだ。

しかしながら現在のトヨタの方針が固まっている中で、全国の4系列はいつか「トヨタモビリティ」という名前に統合され、「トヨタカローラ〇〇」という看板も同時に消えていく運命にある。昭和、平成の日本のカーライフをリードしてくれた全国のカローラ店。カローラのモデルは変わってもカローラ店はいつも街角にあった。

オレンジ色の看板を見ながら、昭和平成のクルマ体験やその情景がよみがえってくるのは私だけだろうか?



<藤井真治 プロフィール>
(株)APスターコンサルティング代表。アジア戦略コンサルタント&アセアンビジネス・プロデューサー。自動車メーカーの広報部門、海外部門、ITSなど新規事業部門経験30年。内インドネシアや香港の現地法人トップとして海外の企業マネージメント経験12年。その経験と人脈を生かしインドネシアをはじめとするアセアン&アジアへの進出企業や事業拡大企業をご支援中。自動車の製造、販売、アフター、中古車関係から IT業界まで幅広いお客様のご相談に応える。『現地現物現実』を重視しクライアント様と一緒に汗をかくことがポリシー。

(レスポンス 藤井真治)

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