【連載・エンジニア視点】トヨタ クラウン 秋山晃チーフエンジニアが語る「重責と挑戦」

15代目クラウンを手がけたトヨタ自動車の秋山晃チーフエンジニアからのメッセージ
100年に一度の変革期と言われる自動車業界。これからのクルマはどう変わっていくのか。日本のクルマづくりを支えるエンジニアたちは、何を見据えるのか…。モータージャーナリスト御堀直嗣氏による連載インタビュー企画「エンジニア視点」では、彼らの言葉、想いから、未来のクルマを担う次世代のエンジニアたちへのエールを贈ることができればと考えている。

第一弾は、昨年登場した新型トヨタ『クラウン』の秋山晃チーフエンジニアだ。

◆きっかけは「いつかはクラウン」だった

第15代目トヨタ『クラウン』の秋山晃チーフエンジニア(CE)は、「いつかはクラウン」の宣伝で注目を集めた7代目を見て、「トヨタに入ろうと思った」と、語る。

「当時、家庭教師のアルバイトをしていて、その家に7代目のクラウンがありました。見せて戴いたり乗せて戴いたりして、内装の豪華さ、装備の凄さに感動し、これはトヨタだと思いました。『ソアラ』や「AE86」(カローラレビン)への憧れもありましたし、7代目クラウンとの出会いが私の人生を決めたと言ってもいいでしょう」(秋山晃チーフエンジニア)

秋山氏は1986年(昭和61年)にトヨタに入社し、振動騒音の実験部署に配属となった。そこで8代目のクラウン担当となり、静粛性の作り込みに関わった。ほかに、90年に誕生する『セルシオ』や2代目の『アリスト』も担当する。次にプラットフォーム開発へ異動し、カローラや『RAV4』のプラットフォーム開発を行い、その後再び実験部署へ戻って車両全体の性能を検証する仕事に就いた。

その先は現場を離れ、製品企画室へ異動となり、13代目クラウンの企画に取り掛かる。そして14代目のマイナーチェンジからクラウンのCEとなり、15代目の開発をCEとして担った。

「いろいろな場面でクラウンとの接点があり、振り返ると不思議ですね」と、秋山CEは語る。何かとクラウンと縁の深かった秋山CEの目には、クラウンとはトヨタ社内でどのような位置づけであったり、価値が共有されていたりすると映ってきたのか。

◆クラウン開発の重責と挑戦


秋山CE:クラウンは、トヨタの原点と言えるクルマです。創業者・豊田喜一郎の「日本人の腕と頭で世界に誇れるクルマを作る」という意志を、初代の中村健也主査がわずか3年で純国産車として実現しました。当時、他の自動車メーカーの多くが外国から部品を調達して作るノックダウン生産でしたので、画期的なことです。

そのうえで、歴代クラウンは、常に挑戦と革新の歴史に刻まれたクルマでもあります。それによって日本のお客様や、日本の自動車産業のため、挑戦と革新を続けてきました。クラウンをCEとして任されることは、光栄であると同時に、もっと素晴らしいクルマにしなければならないという重責でもあります。どういうクラウンにしていくか。そこを自分で決断するのですから、判断いかんでとんでもないことが起こりえます。

----:重責を担いながら、挑戦を続けるとは。

秋山CE:チーフエンジニアに求められるのは、説得力です。自分がやりたいこと、社会のためにこういうことをやりたいということを、いかに説得するか。真から世の中のためにやりたいと考えるなら、トヨタという会社はやらせてくれます。

----:では、15代目の新型クラウンで秋山CEが取り組んだことは?

秋山CE:製品企画室へ異動し、13代目のクラウンから関わりを持つようになりました。12代目で「ゼロクラウン」と言ってクラウンの価値を見直すことを行いヒットし、それを受け13代目はキープコンセプトでしたが、リーマンショックなどの影響もあり台数的には厳しかったです。14代目ではもっと挑戦し、大きく変えようとしています。

たとえば、アスリートの王冠を連想させ機能も感じさせるグリルは、お客様はもちろん社内でも反響が大きかったですし、ピンク色のクラウンなどいろいろなことを仕掛けながら、新しいお客様にも関心を持っていただこうとデザインを大きく変えました。ところが、クラウンのお客様の中でロイヤルからアスリートへ移動が起きたのです。

その現象を見て、クラウンのお客様は年齢層を見ると65歳と高くなっていても、気持ちは大変お若いのだと考えました。先進的なデザインへの高い感度もお持ちである。それであるなら、マジェスタやロイヤルを統合した一本のクラウンとして再出発し、ここから新しいクラウンを作るんだという気持ちになりました。15代目は、洗練されたスポーティな方向へ持っていくべきだと考えたのです。



----:それでも、1955年の初代から63年の歴史を積み上げてきたクラウンには、守るべきこともあるのではないか。守るべきことと、新しく変えることをどのように調和させたのか。

秋山CE:守るべきことは、日本のお客様を考え挑戦し続けるという精神だけです。そして、スポーティセダンへ舵を切りました。

デザインと走行性能は、海外の競合車と同等以上の水準で戦うことができるように、それ以上を目指す。走りを鍛えるというと、一般的にはサーキットを走れたり、ドイツのアウトバーンを高速で走り続けられたりを思い浮かべられると思いますが、私が狙ったのは走りの質を高めることです。どのような路面状況でも目線が動かない乗り心地は、後席の方にも心地よいものであり、新聞を読んだりスマートフォンを操作したりしても車酔いしにくく、長距離移動も疲れません。

生活の中で世界の様々な物を見たり経験したりしてこられたお客様は、いま、日本の物づくりの良さを求めていらっしゃいます。そこに、超高速で鍛えた走りは、国内の交通環境において優れた安全を提供することもできます。国内専用車にも、そういう価値観が求められています。創作料理のように、一品一品の物づくりがお客様をうならせるようなしつらえや工夫のなされたクルマを作りたいと思いました。

◆なぜクラウンが「コネクティッドカー」になったのか


----:15代目の新型クラウンの導入に際しては、同じくフルモデルチェンジをしたカローラスポーツとともに、コネクティビティが大きく取り上げられた。「つながる」という言葉は広まってはいるが、コネクティッドカーとはいったい何なのか。

秋山CE:安全、愉しさ、喜びといった、移動に関わるすべてのサービスをトヨタは目指しています。それらをコネクテッドで広げるとともに、社会環境をよくしていくことにつながっていきます。

たとえば、人とクルマがつながることで、ホテルのコンシェルジュのように要望に応えることができます。オペレータサービスなどが、その一例です。クルマと町がつながることで、クルマの安全を町全体で見守ることもできます。たとえばITSを活用することにより、交叉点で死角となってしまう人やクルマの存在を検知し、ドライバーに知らせたり、大型車の後ろで信号が見にくい場合などにも、信号が赤に変わるなどといった情報をドライバーへ知らせたりできます。

クルマとクルマがつながれば、行く先の道路が降雪などで滑りやすくなっているとか、災害時に通行できる道路状況であるかなどの情報を、他車から入手できます。トヨタセンターからクルマを見守ることで、故障の前兆を見つけ未然に防止することや、故障したらすぐに修理できる準備を整えることもできます。

----:ところで、クラウンは国内専用車である。他のメーカーが、国内専用車を持続できない状況にありながら、なぜクラウンは国内専用車として存続できるのだろうか。

秋山CE:初代から、国産車を自らの手で作ってきた思いを、お客様が感じてくださっているのではないかということが一つあります。もう一つは、お客様と販売店の絆が財産となり、新型が発売されるとカタログも見ずに注文してくださるお客様がいらっしゃる。それは、国内専用車だからこそ生まれる信頼関係ではないでしょうか。

豊田章夫社長が、「もっといいクルマを作ろうよ」と語り、もっといいクルマとは何かと考えたとき、作り手の思いが凝縮され、商品ににじみ出るのがよいクルマではないかと考えました。そこを歴代クラウンオーナーの方は感じてくださるとともに、さらに親から子へというように伝わっていっているかもしれません。どの世代の方にとってもよいクルマという価値は変わらないと思います。作り手の思いやこだわりが製品に伝わり、販売する人の心が伝わり、お客様の心に響いたとき、それが認められブランドになっていくのではないでしょうか。

◆愛車から、「愛」が取れてしまってはいけない


15代目を試乗したとき、秋山CEの洗練されたスポーツという運転感覚を確認したと同時に、明らかに内外を含め他の4ドアセダンとは異なるクラウンの味わいを感じることができた。国内専用車という明確な開発指針の下で、顧客との絆を常に意識した国内専用車の嬉しさを感じることができた。

100年に一度といった言葉がもてはやされ、変革期の自動車業界は足元がぐらつく気配を感じなくもない。自動車産業の将来を秋山CEはどうとらえているのか。

秋山CE:これからも面白い仕事であることは間違いないと思っています。

コネクテッドとか電動化とか言われていますが、そこでコモディティ化してはいけないと思います。クルマ本来の楽しさを味わってもらえなければ、愛車として扱ってもらえなくなるでしょう。愛車であるため、未来の電動車もヒューマンコネクテッドをどこに残していくかが新しい技術課題になり、そこをしっかり仕上げていくことに我々の使命があるし、そこにやりがいがあると思います。

ヒューマンコネクテッドとは、人の感情のニュアンスを汲み取れるものであり、人間の五感を総動員し、そこを新しいクルマに吹き込んでいかなければなりません。愛車から、愛が取れてしまってはいけないのです。

----:新たな時代のクルマに関わる若い世代へ伝えたいことは。

若い人は発想が豊かで、自動車産業はそれを活かせる仕事だと思います。豊田社長が、「カーメーカーからモビリティカンパニーへ」と言っているように、今後、会社が変わっていく過程でいろいろなことに挑戦できます。新しいクルマを新たな発想で考えていけるいい機会だと思っています。

もちろん、100年に一度と言われる危機であるかもしれませんし、そこに大きな壁があるかもしれませんが、逆に挑戦するには面白い時代でしょう。新しいクルマの形を自分で考えるベンチャー精神で取り組むチャンスですから、ぜひ自動車業界、そしてトヨタに来ていただきたいですね。ビジネスチャンスであり、自分次第でいくらでも可能性を広げられるはずです。

----:この先の自動車産業は面白いと語る秋山CE自身は、次に何をやってみたいのか。

秋山CE:この先の愛車はどうあるべきかを考え、その方向のクルマを作ってみたいです。意思疎通ができ、ドライバーが求めるクルマになってくれると面白い。あるときは、スポーティであったり、サーキットも走れたりとか。



(レスポンス 御堀直嗣)

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