【クルマ購入ドキュメント第1回】クルマを買おう。そう決意させたこと

著者紹介。
新宿区在住、46歳、男性、独身、自動車免許あり。趣味は漫画と映画とアニメと温泉めぐり。機械式腕時計とフィルムカメラのコレクター。性格は心配性。クルマは所有したことがない。

肩書は社長だが、財政事情は平均的サラリーマンと同じ。独身なので、趣味にかけるお金が少し多いくらい。

少年時代は乗り物が大好きだった。カーレースやラリー、スーパーカーに憧れながら、大人になるとクルマを持つのが当然だと思っていた。しかし、この歳までクルマを所有しなかった。理由は単純だ。金銭的に余裕がなかったし、都心の恵まれた交通網では必要がなかったからだ。

そんな「私」が、ふとしたことから人生初のクルマ購入を決意。せっかくなので、クルマ選びから納車、そして実際にクルマのある生活を体験するまでのドキュメントを書き留めることにした。

都心で初めてクルマ購入を検討している方に、少しでも参考になれば幸いです。

そうだ、クルマを買おう

そう呟いたのは、1度目の緊急事態宣言から1年経った2021年初夏、金曜日の深夜だった。

週末なにも予定が無いので、ネトフリで映画を観ていたら小腹が空いて、コンビニに向かおうと歩いていたときだ。誰もいない大都会東京の深夜の道を、小さなオープンカーがゆっくりと走り去って行った。

ドライブしていたのは、自分と同い年か、少し上の中年男性。
夜風を浴びながら走るその姿は、とても気持ちよさそうだった。

私は、広告のコピーライターと広告写真の撮影を仕事にしている。打ち合わせはほとんどタクシー移動、撮影も小規模なものならタクシーで、大規模なものならロケバスで移動する。山手線の円の中に住んでいると、それでも、クルマの維持費より安上がりなのだ。

ちょっと前までは、郊外に住んでいる大学時代の友人が、週末ごとにクルマで迎えに来てくれて、群馬や栃木、茨城の温泉や神社巡りに連れて行ってくれた。その友人も、めでたく結婚し、週末のドライブもなくなった。

そうして週末の予定がガラッと空いた時に、コロナ渦だ。観光地への旅行や帰省もできなくなり、夜に友人と飲みに出かけることもなくなった。時々、一人でどこかにドライブしたくなるが、カーシェアやレンタカーをするほどでもなく、結局、家で映画三昧の週末が続く。

しかし、深夜に急に海を見に行ったり、思いついた時にどこにでも行くことができるのは、クルマを持つ一番の魅力だ。自分と同年代の男性が乗る深夜のオープンカーは、「クルマがあれば、いつでもどこへでも行けるし、一人でも楽しいよ!」と教えてくれたように感じた。

そういえば、クルマが大好きだったな

1995年に大学進学で上京した時は、仕送りとバイトで一人暮らし。当然、クルマを持つなんて発想すらなかった。都心の私学だったので、内部進学の友人達に「進学祝いに買ってもらった」という高級車に乗せてもらった時は、羨ましいという感情すら起きないほど、住む世界が違うと感じた。

いわゆる「ロスジェネ」の私は、社会に出た頃は戦後最悪の大不況。食べていくために、広告制作会社、広告代理店、外資系メーカー、IT企業と、いくつかの会社を転職した。毎日必死で働き、独立して会社をつくったのが10年前だ。社員も少し増え、生活に余裕が出てきたと思ったら、緊急事態宣言だ。

そんな初夏の深夜、自然と口に出た「クルマが欲しい!」という心の声。
同時に、長い間ずっと封印していた「乗り物」の記憶と想いが溢れ出した。

小学1年生の時、学校から帰ると見慣れない小さな四角形のクルマが家の前に停まっていた。父が買った初めてのクルマ、2代目ジムニーだ。高速道路では頼りない軽のジムニーで、家族4人で全国いろんな場所に旅行に行った。父はジムニーでオフロード車にハマり、数年後には三菱パジェロに乗り換え、さらに友人に譲ってもらったという三菱ジープの2台持ちになった。

モータースポーツ全盛期の1980年代後半、パリ ダカールラリーが年末年始の風物詩で、父と一緒にテレビの前で熱狂した。当時は三菱パジェロがどうしてもライバルのロスマンズカラーのポルシェに勝てず、チームシチズン夏木のパジェロを応援するのが恒例行事だった。パリ ダカールラリーの映像をバックに、ハウンドドッグのff(フォルティシモ)が流れる日清カップヌードルのCMは、自宅に導入されたばかりのVHSビデオデッキで録画して、テープが擦り切れるほど観た。

当時の文集の「将来の夢」には、「父と一緒にパリ ダカールラリーに出ること」と書き、「一番好きな食べ物」の欄には「日清カップヌードル」と書いた。父はそのうち四駆の草レースに出るようになり、父の書斎は三菱の「RALLIART」グッズや本で埋もれていった。

当時の私は、田宮模型の星マークのキャップを被り、RALLIARTのTシャツを着るほど、乗り物に夢中だった。

小6で同じクラスだった相棒・アベ君も乗り物が大好きで、一緒に当時全盛期だったタミヤのラジコンにハマった。私は最初にホーネット、のちにレーシングカーデザイナー由良拓也氏デザインのビッグウィッグ。アベ君はグラスホッパーからのブーメランだ。正直、由良拓也氏のことは、ネスカフェゴールドブレンドのCMの人ってことしか知らなかったが、「違いがわかる男」がデザインしたビッグウィッグはかっこよかった。ただし、バッテリーが高価で2本しか買えなかったので、1日に遊べる時間は10分くらいだった。(憧れのポルシェ959ロスマンズカラー・パリダカ仕様のラジコンも欲しかったが、高くて買えなかった。)

もちろん、自転車にも夢中だった。小学生の時は、今や貴重なスーパーカー風ヘッドライトとバックライトが付いたジュニアスポーツ車が愛車だったが、中学に上がるころ国産マウンテンバイクのブームがはじまった。私は中学進学祝いにブリヂストンのオールクロモリMTB「ワイルドウエスト」を買ってもらい、相棒のアベ君はアラヤの「マディフォックス」を買った。マウンテンバイクがあれば、どこまでも行ける気がした。

当時憧れだったクルマは、パリ ダカールラリーで活躍した三菱パジェロとポルシェ959だったが、テレビと映画の影響で、他にも大好きなクルマがあった。初代スケバン刑事に出てくる私立探偵・神恭一郎の愛車のポルシェ911だ。カエルのような顔、横から見た時のラインの美しさに見惚れた。南大阪の片田舎に住んでいたこともあり、都会に映える黄色のポルシェは、眩しくてたまらなかった。

銀幕の中の憧れのクルマ、2台目は、バック・トゥ・ザ・フューチャーで主人公マーティが憧れるトヨタの4代目ハイラックスだ。ピックアップトラックという、日本ではあまり見かけない姿は、アメリカそのものだ。世界一イケてる国の、世界一イケてる若者が選んだクルマが日本車だということが、子どもの頃の私には嬉しくてたまらなかった。

乗り物が大好きだったこと、子ども時代の憧れ。クルマを持つことで広がる「まだ見ぬ世界」。手に入れてもいないのに、すでに楽しい。この歳になって、こんなにワクワクすることがあるなんて思いもしなかった。

私は今、46歳。仮に70歳で免許を返納するとしたら、今すぐクルマを買っても乗る期間は24年間だ。その頃には、内燃機関がなくなって電気自動車だけになり、完全自動運転も実現しているのかもしれない。ガソリンとエンジンで動くクルマを、ハンドルを握って運転できるのは、あと何年なのだろうか。そう考えると、いてもたってもいられなくなった。

クルマが欲しい!今すぐに!

次回もお楽しみに!

(テキスト:古山玄(そこそこ社)/イラスト:本村誠)

[ガズー編集部]

MORIZO on the Road