【ノスタルジック2デイズ特集】サファリラリー王者510ブルを現代流のパーツでアップデート

戦後復興から力強く立ち上がり、高度経済成長の波に乗って急速な発展を遂げていく1950年代後半の日本。その来るべきマイカー時代に「幸せを運ぶ青い鳥」として1959年に登場したのが、国産小型車初の5人乗りセダンモデルである日産・ブルーバードだ。

そして、1967年にデビューした3代目モデルの510系は、それまでのOHV方式からより高回転型の直列4気筒SOHCエンジンに変更され、足まわりも4輪独立懸架サスペンションを採用するなど、すべてを一新したモデルであった。
初期型はスタンダード仕様が1300ccで、スーパー・スポーツ・セダンの頭文字を冠したスポーツグレードの(スリーエス)は1600ccエンジンを搭載。1970年のマイナーチェンジでは、スタンダード仕様を1400cc、SSSが1800ccへとさらに排気量が拡大されている。
歴代ブルーバードはモータースポーツでも大きな功績を残しているが、なかでも510系は1970年のサファリラリーで、総合優勝、クラス優勝、チーム優勝の国産車初の三冠に輝いたことでも有名である。

自動車雑誌を中心にカメラマンとして活躍している平野さんも、P510ブルーバード1600SSS(1970年式)を愛し、乗り続けているひとり。
なにしろ四角いスタイルのクルマが好きで、510ブルーバードは今回紹介するものを含めてトータルで7台!!そのほかにもマツダ・ポーターバンやトヨタE70系カローラ、KP61スターレットなどを乗り継いできた根っからの旧車マニアだ。

平野さんが510(ファイブテン)に興味を持ったきっかけは、SCCAトランザムレースで2年連続優勝するなど大活躍したBRE(ブロックレーシングエンタープライズ)のレースマシン。まだ日本車の性能が認められていなかった時代に、レースでの活躍を通じてアメリカでのブルーバード販売に大きく貢献したとされる1台だ。
そんな背景もあり、平野さんの旧車での楽しみのひとつは、パフォーマンスやスタイリングをアップさせるチューニング。例えばエンジンルームには、なんと日産のSR20DE型直列4気筒DOHCユニットが収まっている。
「510ブルのような、知らない人が見ればいかにも走らなそうなスタイルのクルマが、涼しい顔で現行車を追い越していけるなんて楽しいじゃないですか。このクルマを手に入れたのは20年以上前になりますが、当時はまだ誰もやってなかったのでSRエンジンに換装しました」と、平野さんは説明してくれた。
ちなみにそれらの作業は、神奈川県のチューニングショップ・S&Aオートクリエイトの協力を得ながら、大部分を平野さん自らが行ったというから驚きだ。

旧車とのマッチングで違和感がないように、エンジンのヘッドカバーはバフ掛け仕上げとしているほか、通称“ビレットパーツ”と呼ばれるアルミ削り出しパーツも効果的に投入。
吸気は4連スロットル方式に変更されていて、エンジンの制御は米国AEMパフォーマンスエレクトロニクス社製のレーシングECUでおこなわれている。
また、スッキリとしたエンジンルームは、本来開いているパネルの穴を埋めて配線類を見えないように隠す“ワイヤータック"というドレスアップ手法によるものだ。

駆動系にも海外製パーツを中心に投入して、現行車に負けない走行性能を手に入れている。足元を飾る鍛造3ピースホイール『Sunder』は、平野さんも制作に携わり自らの愛称『Datsunder』の一部を冠したモデルだ。

室内はフロアのカーペット類や後席が取り外され、ホールド性の高いレーシングタイプのバケットシートを装備。しかしシート表皮やロールケージカバーなどをベージュ系のレザーでコーディネートすることで、エレガンスさも兼ね備えた仕上がりとなっている。またメーターパネルは、様々な情報を表示できるデジタル方式の液晶タイプを違和感なくインストールしている点にも注目したい。

実はこの510ブルーバードは以前、電装系のショートが原因でサーキット走行中に車両火災を起こし、リヤ周りを中心に深刻なダメージを受けている。しかしながら、愛着のある愛車を手放す気にはなれずに、ほぼイチからクルマを作り直したという。

「クルマをチューニングするポリシーは、旧車ならではの雰囲気を崩さずに、高性能な現代のパーツを投入すること。これからも旧車が好きな人と現行車が好きな人のどちらにも受け入れられるようなクルマに仕上げたいと思っています」と、平野さんは語ってくれた。

[ガズー編集部]

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