ただよう欧州車の香り 初代「日産プリメーラ」を振り返る…懐かしの名車をプレイバック

日産が「90年代までに技術で世界一を目指す」という901運動を推進していた1990年に発表されたのが「プリメーラ」である。一見、何の変哲もない前輪駆動の4ドアセダンには、欧州車を強く意識しながら開発されたシャシーやパッケージング、実用性といった、クルマの本質を突くコンセプトが数多く盛り込まれていた。

前輪が地面に張り付いて離れない

初代プリメーラ。クルマ好きはそれを「P10」と型式名で呼ぶ。つまり特別な存在ということだ。

日産は「1990年代までに技術で世界一を目指す」とした901運動を展開し、いくつかの名車を送り出したが、広く型式名で記憶されているのは、R32型「スカイライン」(「GT-R」含む)やZ32型「フェアレディZ」、 S13型「シルビア」など一部にとどまる。初代P10型プリメーラはその一員だ。ほかはすべてスポーツ系なのに対して、初代プリメーラは実用セダン。その点では特異な存在だ。

初代プリメーラの第一印象は、「まるで『オペル・ベクトラ』だ!」というものだった。1988年に登場した初代ベクトラは、欧州で大ヒットしてオペルの業績を一気に引き上げた。残念ながら乗る機会はなかったが、見るからにパッケージングにすぐれた質実剛健なコンパクトセダンで、ヨーロッパの生活に根差した「いいもの感」が濃厚だった。初代プリメーラのフォルムにも、そういう香りがあった。

当時の日本はハイソカーブームのさなかにあり、多くのクルマが全高を低めにすることでスタイリッシュなイメージを強調していたが、初代プリメーラはその流れに背を向けていた。全高を高くとってキャビンを前に寄せた、あまり速そうに見えないデザインだったのである。その恩恵で室内もトランクも広く、実用性は満点だが、見た目は地味でカタマリ感が高い。それが逆に本物のオシャレに思えた。「今どき、こんなクルマを出すなんてスゴイ!」と、それだけでクルマ好きは色めき立った。

走りがまた素晴らしかった。タイヤ、特に前輪が地面に張り付いて離れない。結果として、2リッター直4の自然吸気エンジンながら、すばらしくスポーティーに走ってくれる。「こんなに走りのいいFFセダンがこの世にあったのか!」というくらい感動した。「サスペンションが硬すぎる」という評価もあったが、クルマ好きとしては、それも一種の褒め言葉だった。

それはまるでヨーロッパ車

初代プリメーラが登場したのは1990年2月。その前年にR32スカイラインとZ32フェアレディZが登場し、日産車に対するイメージは劇的に向上していたが、続いて登場した初代プリメーラは、まったく別種の驚きをもたらした。

それは「国産のヨーロッパ車」だったのである。「日産サンタナ」を愛車にしていた自分にとっては、サンタナの進化版でもあった。

サンタナも地味なヨーロピアンセダンだったが、その直進安定性の高さは、スペックおたくだった私に「これがアウトバーンの走りか!」という衝撃を与えた。一方初代プリメーラは、直進安定性はサンタナ並みで、コーナリング性能も群を抜いていた。「フロントマルチリンクサスペンションの恩恵」と言われたが、恐らくサンタナのノックダウン生産から学んだ経験も生きていたのだろう。

インテリアは、オペルなど地味なヨーロッパ車に近かった。それを象徴していたのが、センターコンソール部に置かれたパワーウィンドウスイッチだ。料金所で頻繁に窓を開ける必要がある日本では不便だが、クルマ好きは、「おお、まるでヨーロッパ車じゃん!」と感動したのである。

そんな通好みの初代プリメーラは、ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーで日本車初の第2位に輝いたのみならず、日本国内でも驚くほど好調に売れた。マニアが絶賛するクルマが広く一般ユーザーにも受け入れられた稀有(けう)な例といえる。

30年ぶりの新発見

初代プリメーラの衝撃は、その後ずっと私の心から消えず、チーフデザイナーである前澤義雄氏(故人)に対しても、尊敬の念を抱き続けていた。その前澤氏と私は、氏の日産退社後、新型車についてのデザイン評論の対談を自動車専門誌で十数年にわたって続けることになった。

あるとき私は、前澤氏に尋ねてみた。「初代プリメーラのデザインは、自分で採点して何点ですか?」と。

前澤「‥‥77点」
清水「えーっ! 低すぎる。僕は98点くらいですけど」
前澤「(同じく前澤氏がチーフデザイナーを務めた)『パルサー5ドア』のほうがずっと点数は高い」

まさか! 初代プリメーラのデザインが、パルサー5ドア(1990年登場のN14型)より下なんてあり得ない! そう思ったが、氏はパルサー5ドアについて熱弁をふるうのみで、プリメーラについては詳しく語らなかった。もっと根掘り葉掘り聞いておけばよかった。後悔先に立たずである。

そんな初代プリメーラに、つい先日、30年以上の時を隔てて、少しだけ乗ることができた。1995年式の最終モデルを新車で購入したオーナーが、以後約30年間にわたって乗り続ける表彰状ものの個体である。オドメーターはなんと54万km。各部に手が入れられておりノーマル状態ではないが、久しぶりに初代プリメーラのマニュアルシフトレバーを操って走らせると、エンジンは痛快なサウンドとともに気持ちよく回った。

ふと見ると、運転席側ドアにパワーウィンドウスイッチが追加されている。

私「あれ? これは後付けですか?」
オーナー「いえ、後期型には付いていたんですよ」

そうだったのか。知らなかった。約30年ぶりの新発見だった。

(文=清水草一)

初代日産プリメーラ(1990年~1995年)解説

初代「日産プリメーラ」は、1990年2月に発表された。プリメーラの開発にあたって日産は「居住性に優れた快適な室内空間、ツインカム16バルブエンジン、マルチリンクフロントサスペンションの採用による卓越した走行性能、機能美を追求したスタイルの3つの要素を高次元でバランスさせて、従来の日本車にはない新しいジャンルのクルマとすることを目指した」とアナウンスしている。

実際に、キャビンを大幅に前進させたキャブフォワードレイアウトにより広々とした居住空間を確保。荷物に干渉しないトランクリッドのアームの採用によって、必要な荷物を積んで大人4人がゆったり快適に長距離を移動できる4ドアセダンに仕上げられていた。

当時のFF車としては画期的なマルチリンク式のフロントサスペンションや、剛性にこだわったボディー、フラッシュサーフェス化されたプレスドア、視認性や操作性を第一にデザインされた機能的なコックピットなどは、まさに欧州車志向であった。

欧州で販売が開始された1990年にデンマークの「デンマーク・カー・オブ・ザ・イヤー」やドイツの「ゴールデン・ステアリング・ホイール賞」、フィンランドの「チョイス・オブ・ザ・イヤー」を受賞。そして欧州最大の自動車賞「ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤー」で2位に輝くなど、世界各国で高い評価を得た。

1991年10月には、英国生産の5ドアハッチバック「プリメーラ5ドア2.0e GT」を導入。同モデルは日本ブランド車において、欧州で生産された初めての輸入車となった。

初代日産プリメーラ 諸元

プリメーラ 2.0Te
乗車定員:5人
重量:1200kg
全長:4,400mm
全幅:1,695mm
全高:1,385mm
ホイールベース:2,550mm
エンジン型式:SR20DE
エンジン種類:直列4気筒
排気量:1998cc
最高出力:150PS/6400rpm
最大トルク:10.0kgf·m/4800rpm
サスペンション形式: (前)マルチリンク(後)パラレルリンクストラット

(GAZOO編集部)