沸騰する中国市場(2009年)

よくわかる 自動車歴史館 第67話

10年間で約7倍の規模に成長

2011年の上海モーターショーにおいてスピーチする、ボルボCEO(当時)のステファン・ジャコビー氏。
1998年からフォードの傘下に入っていたボルボだが、リーマンショックによるフォードの経営不振に伴い、2010年に中国の吉利汽車に売却された。
北京市内のロールス・ロイスのショールーム。

ボルボは2014年12月に国際自動車ショーについての声明を発表し、出展は主要大陸1カ所ずつに絞るとの計画を示した。欧州はジュネーブ、北米はデトロイト、アジアは北京と上海に隔年で出展するというものである。東京モーターショーは、計画の中に含まれていない。ボルボは2010年から中国の吉利汽車傘下に入っているから当然ともいえるが、これは販売台数から導き出された結論でもある。2013年の日本におけるボルボの販売台数は約1万7000台だったのに対し、中国ではアメリカと同等の6万台以上を売り上げたのだ。

超高級車の世界では、さらに中国の存在感は重い。2013年に世界で販売されたロールス・ロイスの車両3630台のうち、約28%にあたる1000台強が中国の超富裕層の手に渡った。同年の日本ではロールス・ロイスの販売台数は116台にとどまっている。今や中国市場は圧倒的な規模で、どの自動車メーカーも無視することは不可能なのだ。特に21世紀に入ってからの成長ぶりはすさまじく、瞬く間に世界最大の自動車市場に上り詰めたのである。

歴史的転換点となったのは、2009年だ。2003年に中国は自動車販売台数でドイツを抜いて3位に、2006年には日本を抜いて2位になっていた。2009年には前年比で46%アップという飛躍的な成長を遂げ、1364万台で世界一となった。台数にして426万台の増加であり、同年の日本市場に匹敵する数字が積み増された形である。一方、アメリカは過去27年で最低となる1042万台にとどまり、はっきりと明暗が分かれた。この年、中国は生産台数でもナンバーワンとなっており、生産・販売の両面でトップに躍り出たわけだ。

1999年には中国の自動車販売台数は、わずか187万台だった。10年の間に、市場は7倍以上に膨れ上がったことになる。

2020年には年間販売台数が3000万台に

第一汽車の高級サルーンである紅旗。かつての中国では、自動車は政府や共産党の高官などといった限られた人のものでしかなかった。
荷馬車が行き来する道を行くアウディ100。同車は1988年に締結したアウディと第一汽車のライセンス締結により、中国において現地生産が行われた。
2013年の販売台数1位に輝いた上海GMは、ゼネラルモーターズと上海汽車の合弁会社である。誕生は1997年のことで、2014年12月には累計生産台数1000万台を達成した。

2008年、アメリカのリーマンショックに端を発する世界金融危機が発生し、自動車の需要も大きく落ち込んだ。2009年の自動車販売台数はアメリカで22.7%、日本でも9.3%減少しており、急伸する中国市場がますます存在感を高める格好となった。

2000年代前半までの中国では、自動車を所有できるのは政府高官や企業経営者などの高所得層に限られていた。それが2000年代中盤以降、中所得層や低所得層にも広がっていき、自家用車の保有台数が急増した。ようやくモータリゼーションの時代に突入したのである。

自動車市場が発展するには、2つの発展段階を経るといわれる。日本では1960年に第1次高成長期が始まり、1964年まで続いた。この間に、乗用車の販売台数は年間14.5万台から49.4万台に増加している。1965年から1973年までが第2次高成長期で、販売台数は300.9万台まで伸びた。年間伸び率が20%という高い数字を示す爆発的な成長期で、中国では2009年にこの第2次高成長期に入ったと考えられる。一般に、継続期間は約10年である。

2009年に中国市場が急成長した理由としては、一つには世界金融危機が挙げられる。欧米や日本で失われた販売を補塡(ほてん)するため、各自動車メーカーが中国市場重視の戦略を本格化させたのだ。中国国内にも、要因が求められる。不況を脱するために経済振興策が採用され、自動車購買奨励政策が立案された。「汽車下郷」と呼ばれるもので、農民が軽トラックなどを購入する際に10%の補助金が与えられた。また、1600cc以下の乗用車に対する購入税を軽減するなどの優遇策も効果を発揮し、小型車市場の活性化につながった。

将来中国の自動車普及率が日本並みになると仮定すると、保有台数は約7億5000万台に達することになる。アメリカ並みになればさらに増え、10億台を超えてしまう。これは現在の世界全体の保有台数に匹敵する数字で、一国だけで世界市場全体と同じ規模になる。

世界一になってから中国の市場はさらに拡大し、5年連続で過去最高を更新し続けている。2013年の販売台数と生産台数は、ともに約2200万台の大台を超えた。予測ではその後も記録は伸びるとされていて、2020年には3000万台に達するとの声もある。

これほどの規模になれば、自動車メーカーにとって最重要市場となるのは当然である。中国は輸入車に高い関税をかけているため、現地生産を行うのが有効な選択肢となる。単独での進出は許されず、現地企業との合弁が義務付けられている。2013年の販売台数ランキングでは、第1位が上海汽車とGMの合弁会社である上海GMで、第2位と第3位はフォルクスワーゲン系の上海VWと一汽VWが入っている。この3社が約150万台でほぼ横並びだ。日本系メーカーでは第6位に東風日産、第10位に一汽トヨタが顔を見せるにとどまった。

PM2.5などの排ガス問題が深刻化

上海の安亭鎮に位置するフォルクスワーゲンの現地工場。
フォルクスワーゲンの主力車種だったサンタナ(中国仕様、1986年)
エコカーの普及促進も中国市場の喫緊の課題と言える。写真は2014年の北京モーターショーで東風日産が発表した、リーフの兄弟車であるe30。東風日産が現地生産し、自主ブランドのヴェヌーシアを通して販売する。

フォルクスワーゲンの中国との関係は古く、上海VWは1984年に設立されている。主力となったのはサンタナで、初代モデルが2010年まで製造されていた。上海のタクシーのほとんどがサンタナだった時代もある。サンタナ2000、サンタナ3000などの改良車種が作られるようになり、コンパクトカーのポロ、さらにはシュコダのブランドであるファビアやオクタビアの生産も始まった。2008年からは独自モデルのラヴィーダが発売され、2013年の車種別ランキングでは第1位の人気モデルとなっている。

第一汽車との合弁会社である一汽VWではアウディブランドのモデルも生産しており、A4やA6が高所得層に人気を博した。フォルクスワーゲングループが計画する年間1000万台の販売台数は、中国市場を前提としなければ達成できない数字である。ドイツ国内の需要が頭打ちになる中、本国の2倍を超える規模のマーケットとなっているのだ。中国国内の組み立て拠点は8カ所に広がり、生産能力は400万台に達する予定になっている。

このように、欧米や日本メーカーとの合弁会社が業績を伸ばす一方で、純粋な民族メーカーはうまく育っていない。デザインや技術の模倣が問題になったことも多く、安全性で高い評価が得られないなど、世界的な競争力を得るには至っていないのだ。また、ごく小規模な自動車メーカーもまだ残っており、生産性の低さが指摘されている。中国政府は業界再編を進めていく方針をとっている。

爆発的な自動車の普及により、さまざまな問題も発生している。大都市では渋滞が頻発しており、経済活動を阻害する要因といわれるほど深刻な問題となった。さらに大きな問題となっているのは、排ガスによる大気汚染だ。微小粒子状物質のPM2.5の空気中濃度が危険な水準にまで上昇し、北京ではどんよりとした空が常態となってしまった。

ナンバープレートの末尾番号による流入規制が行われるようになり、2008年の北京オリンピックや2014年のAPEC開催時には厳重な交通規制が敷かれた。全国人民代表大会では、大気汚染防護法の規制強化が国家的課題として取り扱われるようになった。

大気汚染の悪化には、質の悪いガソリンが横行していることが影響しているともいわれている。また、いわゆるエコカーの販売が伸び悩んでいることも一因だ。2013年の新エネルギー車販売は前年比37.9%増加したが、電気自動車が1万4604台、プラグインハイブリッド車が3038台にすぎない。ガソリン車やディーゼル車に比べて価格が高いことが普及を妨げているといわれる。見栄えの立派なクルマを求める傾向の強い中国のユーザーにとって、いくらクリーンであっても見栄えのしないエコカーはなかなか選択肢に入らない。

PM2.5は風に乗って日本にも流れ着いており、決して座視できる問題ではない。中国の自動車市場の動向は、世界経済を大きく左右する。沸騰する中国市場が与えるインパクトは、世界の隅々にまで影響を及ぼしている。

2009年の出来事

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レクサスLFA発表

トヨタ史上最も高価なクルマが、2009年に発表されたレクサスLFAである。販売価格は3750万円で、レクサスのフラッグシップLSのトップグレードと比べても優に2倍以上だ。それでも、これは明らかなバーゲンプライスだった。

フェラーリやランボルギーニといったライバルに比べて驚くほど安いだけではなく、成り立ちがすこぶるぜいたくなのだ。ヤマハとの共同開発で作られた4.8リッターV10エンジンは専用設計であり、ほかのモデルでは使われない。またCFRPボディーを製造するために、専用の製造施設まで用意された。販売台数は限定でわずか500台。元町工場のLFA工房で職人がハンドメイドで仕上げた。

販売予定台数をはるかに上回る注文が国内外から寄せられ、抽選で購入者が決められた。2010年12月から2年間をかけて生産され、さらに高性能なニュルブルクリンクパッケージも作られた。実際にドイツのニュルブルクリンクサーキットで走行した際には、量産車メーカーの市販車としては当時最速となる7分14秒64を記録している。

生産は終了したが、このモデルを開発したことによる成果は、レクサスのスポーツブランドである“F”に受け継がれている。

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3代目プリウス発売

1997年に発売された世界初の量産ハイブリッドカーであるプリウスは、2009年に3代目となった。エクステリアは2代目と同様の5ドアハッチバックだが、パワーユニットは大幅に更新された。エンジンは1.5リッターから1.8リッターに拡大され、ハイブリッドシステムはリダクション機構付きTHS-IIが採用された。

燃費は10・15モードで38.0km/リッターとなり、パワーも向上して2.4リッターガソリン車に匹敵するレベルとなった。予想を大きく下回る低価格で登場したこともあり、ハイブリッドカーの普及にとっては大きな意味を持つモデルとなった。

新たな機構を取り入れたモデルも加わった。大容量のリチウムイオン電池を搭載し、家庭での充電を可能にしたプラグインハイブリッドカーのプリウスPHVである。

EV走行での最高速度は100km/h。満充電の状態から電気のみで26.4kmの距離を走ることができた。当初はリース販売に限定され、一般ユーザー向けに販売が開始されたのは2012年である。

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裁判員裁判始まる

日本の裁判は従来司法の専門家によって行われてきたが、2009年から一般市民から無作為に選ばれた裁判員が参加する制度が導入された。市民の日常感覚を裁判に反映させ、司法に対する理解を深めることが目的とされる。

この制度が適用されるのは、地方裁判所で行われる殺人罪などの重大な犯罪についての裁判に限られる。裁判員は衆議院選挙の有権者から選ばれ、原則として6人が選任される。欠格事由などに当てはまらない限り、正当な理由がなければ辞退はできない。

裁判員は公判に出廷する義務があり、尋問や検証に参加する。そこで知った事実については守秘義務がある。裁判員には一日あたり1万円以内の日当が支給される。

裁判員裁判では殺人事件などに対して従来よりも重い刑が適用される傾向があるといわれ、上級審で刑が軽減されるケースも出てきている。

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[ガズ―編集部]