【モータースポーツ大百科】ツーリングカーレース(前編)

セダンやハッチバック車で競われるツーリングカーレースは、ヨーロッパでは古くから親しまれてきた。写真は1966年にイギリスのブランズハッチで開催されたレースの様子。
グループA規定の車両によって競われていた頃のドイツ・ツーリングカー選手権の様子。BMW M3や、コスワースのエンジンを搭載したメルセデス・ベンツ190Eなどがしのぎを削っていた。
1995年にスタートした国際ツーリングカー選手権だが、車両開発にかかる費用の高騰などから次々にメーカーが撤退。わずか2年で終了となった。
ドイツ・ツーリングカー選手権は、以前とは全く異なるルールやレギュレーションのもとで2000年に復活。コストを抑えるため、車両開発にはさまざまな規制がかけられている。

2ドアのスポーツカーをベースとするGTレースに対し、主にセダンまたはハッチバックで競われるのがツーリングカーレースの特徴である。それだけに、一般のユーザーにとっては身近なクルマがレースを戦っている印象が強く、1950年代からイギリスを中心にヨーロッパでは根強い人気を誇ってきた。ただし、その歴史は隆盛と衰退の繰り返しでもあった。

ツーリングカーレースの人気が高まるのは、各メーカーの競争力を公平に抑えるレギュレーションが制定され、これに呼応する形で多くの自動車メーカーが参戦する状況が調った場合である。1980年代のグループA時代や、BTCCが引き金となって1990年代に2リッターのスーパーツーリングカー規定が大はやりした時期がこれに相当する。

反対に、あまりに多くのメーカーが参戦するようになると競争が激化し、参戦にかかる費用の高騰により、くしの歯が欠けるようにシリーズから撤退する者が現れるようになる。やがては大半のメーカーが姿を消して衰退するか、最悪の場合には1996年の国際ツーリングカー選手権(ITC)のように消滅してしまうケースもあるのだ。かつてのツーリングカーレースでは、ブームが巻き起こったとき、それは「終わりの始まり」と見てまず間違いがなかった。

こうした反省を踏まえ、現在開催されている国際的なツーリングカーレースはどれもコストを厳しく抑制することでメーカーの継続的な参戦を促している。これを極限まで推し進めたのがドイツ・ツーリングカー選手権(DTM)だろう。1980年代半ばにスタートしたDTMは、ドイツ国外での開催を徐々に増やすとともに、イタリアのアルファ・ロメオが参戦するなどして国際色を強めていった。こうした状況を横目で眺めていたFIAは、1995年にDTMの海外開催分をITCとして統括。翌1996年にはドイツ国内戦を含む全レースをITCとして開催した。しかし、これに伴ってコストが高騰。しかもイベント開催で有効なプロモーション策が講じられなかったことにアルファ・ロメオとオペルが不満を唱え、1996年限りでシリーズから撤退してしまう。結局、翌年エントリーをしたのはメルセデス・ベンツ1社となったため、FIAはITCの廃止を決定。DTMの命運もここで一度、終えんを迎えることになった。

その後、2000年に復活したDTMは、こうした教訓を踏まえてコストを徹底的に削減。さらに、シリーズオーガナイザーが参戦メーカーの意向に耳を傾けることで、現在までメルセデス、アウディ、BMWの3メーカーによる手堅い運営が続いている。今後、こうした各メーカーの協調は、ツーリングカーレースの継続的な繁栄にますます必要なものとなっていくことだろう。

(文=大谷達也)

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[ガズ―編集部]

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