レクサスLFA――おもてなしのスーパーカー(2010年)
よくわかる 自動車歴史館 第80話
異例な形で始まったプロジェクト
2005年のデトロイトショーに、レクサスからコンセプトモデルLF-Aが出品された。シルバーの空力ボディーをまとったそのモデルは話題を呼び、最高出力500馬力以上のV10エンジンを搭載しているとの発表に驚きが広がった。しかし、これが市販化されると信じる者は多くなかった。F1参戦中だったトヨタのイメージ戦略だと解釈されたのである。実際のところ、この時点ではLF-Aは正式なプロジェクトですらなかった。商品化が決定するのは、2007年になってからである。
LF-Aのプロジェクトは、トヨタ/レクサスとしては異例な形で始まった。2000年の初め頃に、後にチーフエンジニアとなる棚橋晴彦を中心に水面下で動き出したのだ。自動車大国となった日本だが、スーパースポーツのジャンルでは世界に誇れるモデルを持っていない。状況を打開するために何をすればいいか、構想を練るところから始まった。通常ならばマーケット調査があって会議を重ねた上でプロジェクトがスタートするが、LF-Aはお定まりの手続きとは無縁だった。
早い段階でエンジンの搭載位置が決まった。スーパースポーツカーであれば、エンジンをドライバーの後ろに置くミドシップという選択もある。重量物を中心に置けば、旋回性能の面で有利になるからだ。しかし、この案は退けられた。ミドシップは確かに運動性能が高いが、スピンモードに入ると立て直すのは困難だ。限界領域でドライバーを突き放すようなクルマにすべきではないというのは、トヨタの基本理念であり、棚橋の信念でもあった。
この結果、駆動レイアウトはエンジンを前方に搭載して後輪を駆動するFR方式となった。ただし、エンジンの位置はできるだけ中央に近くするフロントミドとし、リアにトランスミッションを配置するトランスアクスル方式を採用した。エンジン以外の重量物はできるだけ後方に移し、重量配分を最適化しようというのだ。バッテリーはもちろん、ラジエーターやウィンドウウォッシャー液のタンクまでキャビンの後ろに持っていくという徹底ぶりである。最終的に前後の重量配分は前48:後52という理想的なものとなった。
エンジンとボディーをゼロから設計する
肝心のエンジン本体は、もともとあったV8をチューニングすることを検討していた。当然の選択だが、これまでになかったスーパースポーツカーを作るのに、それでは物足りないという思いが生じたのも無理はない。特別なクルマのために特別なエンジンを作ることが決まった。V10エンジンを新設計するのだ。たった一台のクルマ用に新たなパワーユニットを用意するなど、前代未聞のことである。会社にとってそれだけの重みがLF-Aにはあったのだ。
2003年に最初のプロトタイプが完成する。オールアルミで構成され、軽量で強靱(きょうじん)なボディーを備えていた。デトロイトショーに出品されたのは、このモデルが基になっている。ショーが終わってしばらくすると、開発陣は技術担当の経営トップから呼び出された。そこで与えられたミッションは、ボディーをCFRPで作るというものだった。炭素繊維強化プラスチックのことである。軽さと強さは飛び抜けているが、自動車では高性能なレーシングカーなどに使われる高価な素材だ。もちろん、トヨタでは誰も経験したことがない。
エンジン、ボディーがともにゼロからのスタートとなった。2005年11月にようやく正式プロジェクトとして認められたが、まだこの時点では商品化のOKは出ていなかった。とはいえ、これだけ大ごとになってしまえば、後戻りはできない。CFRPの製作に向けて試行錯誤を重ねた末、工場内に専用の窯を作ってしまうという思い切った決断をする。世界一のスーパースポーツカーを作りたいという思いが、常識破りの選択を促した。
チーフエンジニアの棚橋は、開発にあたって「誰の意見も聞かなかったことがよかった」と語っている。実用車とは違い、スポーツカーは組織で作るものではない。個人の強い希求や願望が込められていなければ、魅力的なモデルは生まれないのだ。構想に関して棚橋は自分の意思を貫いたが、それは走りを仕上げるテストドライバーの成瀬 弘に絶対の信頼を置いていたからだ。トヨタの“マスタードライバー”として知られる成瀬が、走りの味付けを一任されていた。開発の舞台となったのは、ドイツのニュルブルクリンク・ノルドシュライフェである。
ニュルブルクリンクは、世界中の自動車メーカーが開発のためにクルマを走らせることで知られている。路面は荒れて波打っており、土やホコリが浮いて滑りやすいうえに、狭くてエスケープゾーンのない道が約20km続く。過酷な環境で高速テストを行うことで、弱点が徹底的に洗い出されるのだ。テストドライバーの指摘を受けて修正と補強を行い、さらにテストを重ねる。その積み重ねで、クルマの開発が進んでいく。このコースで好タイムを記録することは、クルマの総合性能が高いことの証明なのだ。
ニュルブルクリンクではテストを行っただけではない。2008年からは、ここで開催される24時間レースにも出場している。市販されていないモデルがプロトタイプで参加するのは、極めて珍しいことだ。
2000GTに通ずる挑戦と技術
ニュルブルクリンク24時間レースへの参加は、開発のスピードを加速させた。レースでは周回ごとに状況が変わり、意図せぬ急ブレーキをかけなければならなくなったり、エンジンの回転数がレッドゾーンに飛び込んでしまったりする。より過酷な状況の中でテストするようなものだ。順位を上げることが目的ではないので、ノーマル仕様のモデルにスリックタイヤを履いただけの状態で走った。現社長の豊田章男もドライバーとして参加し、最終的な味付けに関わった。
LFAは、かつてトヨタが生んだ名車になぞらえて語られることがある。1967年に発売されたトヨタ2000GTのことだ。日本の自動車産業がまだ発展途上の頃で、庶民が乗用車を所有することなど夢の話だった。そんな時代に、高性能なスポーツカーを発売したのだ。2リッターの直列6気筒エンジンを搭載し、最高速は220km/hを誇った。世界に挑戦する気概と最新技術への意欲的な取り組みが、40年を経て再現されたのがLFAともいえる。
発売前からレースに参加していた点も同じで、2000GTは1966年の鈴鹿1000kmレースでワンツーフィニッシュを果たしている。また、両車ともヤマハとの協力関係で作られており、2000GTではシリンダーヘッドのDOHC化をヤマハが担当。LFAのV10エンジンも、ヤマハとの共同で開発されたものだ。バンク角72度の4.8リッターで、最高出力560ps、最大トルク48.9kgf・mの強力なユニットである。大排気量ながら9000回転まで回すことができ、10連独立スロットルによりレスポンスは鋭い切れ味を持っていた。
スポーツカーには、心地よいエンジンサウンドも欠かせない。この分野にもヤマハが関わっている。エンジンで協力したヤマハ発動機ではなく、楽器のほうだ。コックピットで後方からの排気音と前方からの吸気音がバランスよく響くように、楽器製作のノウハウが役立てられた。サージタンクを共鳴装置として活用するため、その素材はアルミニウムから樹脂に替えられた。理想的な400Hz の周波数を求めて、リブの位置をミリ単位で調整した。美しい音を室内に取り込もうと、バルクヘッドに小さな穴がうがたれている。コンサートホールを設計するノウハウが成果を上げたのだ。
2009年の東京モーターショーに、市販型モデルが発表された。LF-Aからハイフンを除いたLFAである。Lexus Future Advanceというコンセプトは、市販モデルでも継承された。販売台数は限定500台で、価格は3750万円である。日本車としては並外れた高価格だが、性能と盛り込まれた技術を考えれば破格の安さである。予約は早々に埋まり、2010年末に満を持して生産が開始された。最後の一台が作られたのは2012年12月14日。LFAは元町工場内に作られた「LFA工房」で選ばれた職人によって手作りされ、1日1台ずつ、丁寧に仕上げられた。
LFAの生産は終了したが、開発の中で培われた技術と思想は残されている。“F”はレクサススポーツの血統を表す文字となり、RC Fが「誰もが笑顔になれる」スポーツカーとして登場した。LSやGSなど他のモデルにもすべて“F”のエッセンスが注入されたF SPORTというスポーティーグレードが設けられている。LFAというスーパースポーツカーの存在が、レクサスのプレミアムブランドとしての価値を支えているのだ。
2010年の出来事
topics 1
日産がEVのリーフを発売
「ゼロ・エミッション車でリーダーになる」
高らかな宣言とともに、日産は2010年、電気自動車(EV)のリーフを市場に投入した。企業戦略として、EVを次世代技術の中心に据える決意を表明したのだ。
ベースグレードの価格は376万4250円で、政府の補助金を受ければ298万4250円で手に入れることができた。JC08モードでの航続距離は約200kmと発表された。
日産は全国2200カ所のディーラーに普通充電器、約200カ所に急速充電器を設置し、インフラの整備も進めていた。ハイブリッド車を飛び越えて、一気にEVの普及を目指したのだ。
2014年のアメリカでの販売台数は3万台を超え、累計台数は7万5000台に達した。ただ、計画では年産20万台だったことを考えると、想定通りにEVが広まっているとは必ずしも言えない。
topics 2
マツダが次世代技術のスカイアクティブを発表
マツダは2009年の東京モーターショーに、スカイコンセプトという名の次世代パワートレインを出展した。翌年の10月、それにシャシーやボディーの技術を加え、次世代技術の総称として発表したのがスカイアクティブである。
その内容は、ガソリンエンジン、ディーゼルエンジン、トランスミッション、シャシー、ボディーと、各分野の技術を磨き上げることで、車両の軽量化やパワートレインの効率化を図るというもの。マツダでは当時「2008年比で、2015年までに世界規模での平均燃費を約30%向上させる」という長期目標を掲げており、それを実現するための具体的な方策がスカイアクティブだった。
翌年になると、デミオとアクセラに実際にスカイアクティブ技術が投入される。どちらのモデルも燃費が大幅に向上し、第3のエコカーとして話題となった。
2012年には新型クロスオーバーSUVのCX-5が発売される。SKYACTIV-Dと名付けられたクリーンディーゼルエンジンを搭載したモデルが人気となり、技術を前面に打ち出した戦略が功を奏した形となった。
topics 3
はやぶさが地球に帰還
2003年5月、M-Vロケット5号機によって第20号科学衛星が打ち上げられた。目的は小惑星の探査で、はやぶさと名付けられた。目指すのは、平均半径が約160mの小さな天体イトカワである。
イオンエンジンを推進力とし、地球の引力と公転運動を利用したスイングバイも併用して2005年にイトカワに到達した。科学観測を行った後、自律制御によって着陸し、表面の物質を採取するミッションを完了した。
しかし、燃料漏れが発生し、姿勢が乱れて通信が途絶するというトラブルに見舞われる。懸命な復旧作業が行われ、代替の機能を使って地球への帰還軌道に乗せることができた。
予定の2007年からは大幅に遅れたが、2010年6月13日にはやぶさは大気圏に再突入し、カプセルの回収に成功する。満身創痍(そうい)で60億kmの旅を終えたはやぶさは人々に感動を与え、帰還後に3本の映画が製作された。
【編集協力・素材提供】
(株)webCG http://www.webcg.net/
[ガズ―編集部]
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