わたしの自動車史(前編) ~清水 草一~

私が生まれたのは1962年。トヨタ・カローラの発売が1966年なので、日本のマイカーブームとともに育った年代でしょうか。
わが家にとって最初のマイカーも、マイカーブームの立役者の一員、トヨタのコロナでした。
といっても、当時私はまだ3歳で、はっきりした記憶はないんですが、コロナの後部座席から、練馬区の自宅近くにあったガスタンク群を「おっきいなあ、怖いなあ」と思いながら眺めた記憶があります。残っている写真を見ると、2代目コロナの中古車だったようです。

2代目トヨタ・コロナ

コロナは割合すぐにいなくなり、次はフォルクスワーゲン・タイプ1(ビートル)がやってきました。これが4歳の頃なので、たぶん1966年です。
亡き父はクルマにはまったく詳しくない人でしたが、知り合いから「清水さんよ、アメリカではな、インテリはかぶと虫にしか乗らないんだよ」と言われて、ああそうなのかと思って買ったと言っていました。ラブ&ピースな時代だったんですね。
このビートル、練馬区のわが家の近所では、燦然(さんぜん)と輝くオシャレグルマで、近所の子供たちから「外車だ外車だ!」と指さされました。あの「バババババ」という空冷の音が聞こえると、飼い犬は父が帰ってきたと喜んで吼(ほ)えたものです。
ただしわが家では、このクルマを「ビートル」と呼んだことは一度もありません。そんなハイカラな呼称があることはまったく知りませんでした。清水家では一貫して「ワーゲン」あるいは「かぶと虫」と呼んでいたのです。もちろんラブ&ピースなムーブメントとも無縁で、昭和ど真ん中、『サザエさん』的素朴な生活でした。

フォルクスワーゲン・タイプ1と清水少年。

そして1968年。とんでもないクルマがわが家にやってきました。ビートルの次に父が買ったのは、なんとポルシェ911だったのです。
これまた、父がクルマに詳しい知り合いと六本木を歩いていて、ミツワのショールーム前を通りかかったところ、たまたま911が飾ってあり、「これはかくかくしかじかのスゴいクルマだ」と説明され、父はポルシェのことなど何も知りませんでしたが、その場で「よし、これを買うよ」と決めたのだそうです。
値段は、「確か500万円くらい」と言っておりました。仮に500万円として、現在の感覚だと2000万円くらいでしょうか。

その911について私が覚えているのは、タルガトップで、クラッチレスのスポルトマチックだったということです。あとは、わが家で麻雀卓を囲みながら、父が麻雀仲間にした自慢話が記憶に鮮明です。
「瞬間的には225km/h出るんだ。215km/hなら巡航できるんだ。ワハハハハハハハ!」
「はーっ……。パトカーなんか絶対追いつかないね!」
麻雀仲間が激しく感嘆する様子を見て、「ポルシェというのはとてつもなくスゴいクルマらしい」と、6歳の私も確信したものです。
ちなみに最高速&最高巡航速度については、「ミツワ自動車のヤツがそう言ってた」(父)とのことで、つまり父が買ったのは、68年式ポルシェ911Sタルガのスポルトマチック仕様と推定されます。排気量1990cc、最高出力160ps。最高速は225km/hとなっています。

ポルシェ911タルガ(写真は1967年式)

その後も知り合いに言われるがままに、父が世界の名車を乗り継いでいたら、私ももっと正統派のエンスージアストに育ったような気もしますが、この1年半後、わが家のマイカー生活に突如ピリオドが打たれました。
父が免許の更新を忘れて、失効させてしまったのです。コロナが来てからわずか4年半。その後は自家用車のない生活となり、私はクルマではなく地図好きの少年として育ちました。クルマについてはほぼ完全リセット状態で、免許取得年齢を迎えることになったのです。

清水 草一(プロフィール)
1962年東京生まれ。慶応義塾大学卒業後、集英社で漫画家の池沢早人師氏の担当編集者を務めつつ、ミラージュカップなどのモータースポーツに参戦。モータージャーナリストに転身してからは、フェラーリの魅力を世に広める活動に取り組んでいる。また『首都高速はなぜ渋滞するのか!?』をはじめとする著作を通し、交通ジャーナリストとしても活動している。

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[ガズ―編集部]