レクサスLC開発取材 きっかけは悔しい想い

レクサスLC 開発責任者に聞く(2017年3月)
― LexusのChallenge ―

デトロイトモーターショーにデザインコンセプトカーとして「LF-LC」が発表されてから5年。美しいデザインをそのままに、レクサス新世代のフラッグシップ・クーペとして、レクサスLCがデビューした。その開発を担当した佐藤恒治チーフエンジニアは「最初にそのデザインをエンジニア目線でみたとき、市販車として実際に走らせるのは到底不可能と思った」と振り返る。また、ややもすると、デザインにばかり注目が集まるLCであるが、その開発の舞台裏では、次世代のレクサスを担う若いメンバーたちの「レクサスをもっとエモーショナル(情熱的)に!」という熱い想いと危機感、そして数々の挑戦があった。それらについて、佐藤チーフエンジニアに話を聞いた。

意外なきっかけでチーフエンジニアを目指すことに

トヨタに入社して最初の配属は技術管理部という部署でした。そこには当時、技術部門の業務改革に取り組む特命チームのようなグループがありました。開発業務が複雑になっていく中、もっといい車を開発するために、チーフエンジニアを軸とした開発体制に変えていくという業務改革の事務局をする小さな所帯のグループでしたが、そこに新人として一人、放り込まれました。
大学でディーゼルエンジンの燃焼を研究し、「エンジニアとして、ディーゼルエンジンの未来を創り、社会に貢献したい」と思って入社したので、この配属はショックでした。しかし、業務改革の事務局として、社内のいろいろな部署のエンジニアと接し、お話を聞くなかで、新入社員なりに、なんとなくトヨタのクルマづくりの全体像のようなものが見えてきて、だんだん自分の関心がエンジンの開発からクルマづくり全体へと変わっていきました。
それでも、やはりエンジンの開発をしたいという夢を捨てきれずにいたとき、上司から「お前の適性はクルマづくり全体にある。エンジンの開発じゃなくて、チーフエンジニアを目指せ」といわれ、これがひとつの転機となりました。「これからの時代は、走りが語れるチーフエンジニアが必要だ」とのアドバイスもあって、その後、シャシー設計部に異動。そこで約8年間、修行を積んで、製品企画に移ってきました。
最初に担当したのは北米カムリの開発でした。といっても、製品企画では新人も同然ですから、雑巾掛けからやり直しです。厳しいチーフエンジニアの下でかなり鍛えられました。いろいろなチーフエンジニアの下で仕事をする中で、クルマづくりの大変さや辛さを学び、自分が目指すチーフエンジニア像が見えてきました。
2005年から、レクサスGSのチームに異動になりました。当時は、チーフエンジニアが就く前に、若い人間に新型車のコンセプト企画を考えさせる「コンセプトプランナー」という制度があり、現行レクサスGS(2012年国内発売)のコンセプトプランナーになりました。開発が始まってからは、チーフエンジニアをサポートする開発主査として、GSの開発を担当しました。

ペブルビーチでの悔しい想いとブランドに対する危機感

発売に先立って、2011年8月、米国のペブルビーチで、GSのワールドプレミアの発表会を開催しました。このGSは新時代のレクサスへの変曲点となるべく、初めてスピンドルグリルを採用し、徹底的にボディ剛性を高め、「スッキリとリニアにクルマを動かすこと」にこだわって開発したクルマでした。とくに私はコンセプト企画から関わってきただけに、人一倍、強い思い入れがありました。
発表会の夜、ジャーナリストを招いた懇親会でのことでした。「レクサスはまだまだだめだ」という厳しい意見が寄せられたのです。すごく悔しい思いをしましたし、レクサスに関わる全ての人間が大きなショックを受けた出来事でした。
後日わかったことですが、このジャーナリストの厳しい発言を裏返せば、「1989年に初代レクサスLSが登場したとき、私たちはものすごく大きな衝撃を受けた。そんなクルマを生み出してきたレクサスなのに....。あなたたちは、もっとすごいクルマをつくれるはずだ。なぜ、もっと頑張らないんだ!」というエールだったのです。この出来事がきっかけで、私たちの中に危機感が生まれ、「レクサスは変わらなければいけない」と強く意識するようになりました。

できないからこそ、挑戦するべき

そんな中、その半年後に開催されたデトロイトモーターショーで、デザインコンセプトカーとして参考出展された「LF-LC」のデザインが高い評価を受けました。「このデザインは今後のレクサスが進むべき方向を示している」「レクサスはこういうクルマをつくれるブランドであって欲しい」という声がジャーナリストや社内外の関係者からも多数寄せられました。
しかし、エンジニア目線でみると、そのクルマは走れないクルマでした。フードが低すぎてエンジンは入らないし、サスペンションを入れるスペースもない。デザインはかっこいいけど、どこをどうやっても実際に道を走るクルマとして成り立ってない。このままのデザインでの市販化は到底不可能と思われていました。

一方で「LF-LC」の市販化を求める声は日増しに強くなっていきました。そして、「このクルマをぜひ開発してほしい。販売店は全力でそれを支援する。レクサスブランドの未来のために、一緒に挑戦しよう」と北米の販売店から強い要望が上がりました。
こうした声に後押しされ、トップの決断に至りました。
「このデザインのままで走れるクルマを開発することは、普通に考えればできない。でも、できないから、逆に挑戦する意味がある。実現には知恵とブレークスルーが必要。レクサスは変わらなければいけない。だから、それができるように何もかも変えていくんだ」そういう強い想いで、LCの開発がスタートすることになりました。その背景にはみんなが共有していたペブルビーチでの悔しい気持ちがあったことはいうまでもありません。

高い目標への挑戦が始まった

そして、私がチーフエンジニアとしてLCの開発を担当することになりました。担当の専務からは改めて、「このデザインのままで走れるクルマを開発することは、普通に考えればできない。でも、佐藤、これはできなそうだからやるんだ。」と言われました。専務室の前に机がポツンと一つ置かれ、スタッフもいなければ、予算もない。そんなところからのスタートでした。また、LCの開発と平行して、次世代FRプラットフォームの開発主査としてプラットフォーム開発も担当することになりました。そして、開発期間も通常よりも1年短く設定し、あえて高い開発目標を掲げて、挑戦していくことになりました。

とはいえ、さて、どうしたものか? 思い悩んでいたとき、米国のトヨタモーターセールス(TMS)の友人から連絡が入りました。彼はGSの開発を担当していたとき、一緒に仕事をした仲間で、今回、私がLCのチーフエンジニアになったことを聞いて、自ら手を挙げて、営業サイドの窓口として、開発をサポートしてくれることになっていました。そして、開発当初に、「LCが発売された後のイメージをもつことが大事だよ」といって、彼が連れて行ってくれたのが、全米各地で毎週土曜日の朝に開催されている「Cars & Coffee」というイベントでした。
それは、クルマ好きの人たちが集まって、モーニングコーヒーを飲みながらクルマ談義に花を咲かせるというもので、そこには古今東西の名車が集っていて、どのクルマもすごくオーナーに愛されているということが、ひしひしと伝わってきました。そして、たまたまだったのかもしれませんが、そこにレクサスの姿がなくて、すごく寂しい想いをしました。「ああ、こういう場に愛車として持ち込んでもらえるようなクルマを開発したい」とそのとき、強く思いました。

原点に立ち返り、レクサスならではの乗り味を造る

「最初にデザインありき」で始まったLCの開発ですが、実は一番こだわったのは「レクサスらしい乗り味」の追求です。デザインはかっこいいけど、エンジンやサスペンションを入れるスペースがない「LF-LC」をどうやって走らせるか?おそらく、その延長線だけで考えていたら、LCは開発できなかったと思います。

レクサスが大事にしてきたことの一つに「源流主義」があります。「何事かをなそうとしたら、物事の原理原則に立ち返って考えるべし」ということですが、やるべきことはレクサスブランドの、次世代をつくっていく仕事なわけだから、そこをやるべきなのだろうと。そのためには、デザインを実現することももちろん大事ですが、レクサスでしか味わえない走り、乗り味が必要なわけです。ですから、クルマの運動性能の基本のところから、もう一回、やろうと思いました。
クルマの性能を向上させるため、部分的にボディ剛性を高めるとか、サスペンションのアブソーバーの性能を向上させるとかいったことをやるわけですが、その積み重ねだけでは根本的なクルマの動きは変わらない。それはGSの開発をやっている中で、感じた限界でした。そこで、原理原則に立ち返って、まずは重心の位置をどうコントロールするのかということをテーマに、ゼロからクルマをつくることにしました。
その結果、導き出された答えが、エンジンを車軸の後ろに配置し、ドライバーと近い位置に重心があるフロントミッドシップというレイアウトです。そして、不思議なことに、理想の走りを追求したエンジニアの私の描いた図面とかっこよさを追求して出来上がったデザイナーの図面がピタリと一致しました。やはり美しい形には意味がある。美しいのは性能が形になっているからなんですね。

次に、やるべきはフロントミッドシップのレイアウトによって、どれだけ運動性能が向上するかを実証することでした。プラットフォームの開発には多くの投資が必要です。フロントミッドシップというアイディアがその投資に見合うものかを検証する必要がありました。どうしたものかと悩んでいた時に手を差し伸べてくれたのが実験部のみなさんでした。「お前が本気でやりたいのなら」と手弁当で、廃棄になっていたGSをベースに試作車を作ってくれました。 こうして、一人ぼっちでのスタートから、だんだん新しい仲間が増え、開発が前に進んでいきました。

チームワークが完成させたレクサスの乗り味

世の中でラグジュアリーブランドといわれるクルマには、そのクルマならではの走り、乗り味があります。それは「他にない尖った最高の個性とかわいげがある弱点」と言い換えることができます。例えば、変速は遅いし、ハンドリングもある領域はイマイチなんだけど、エンジンサウンドがたまらなく官能的で気持ち良いとか。レクサスにもこういう強烈な個性、クルマを降りた時に余韻として感じられる独特の乗り味が必要だと思いました。レクサスならではの乗り味とは何なのか? 私たちはそれを「より鋭く、より優雅に」と定義し、それをキーワードに開発をさらに進めてきました。

その一つがマルチステージ・ハイブリッドです。私はかねがね「ハイブリッドこそレクサスのコア技術だ。従来のハイブリッドは燃費性能に重きが置かれてきたが、アクセルを踏むと瞬間的にトルクを返してくるモーターの特性を活かせば、ものすごくレスポンスの良いスポーツカーが作れるはずだ。それによって、レクサスならではの乗り味が実現できる」と思っていました。
すると、同じことを考えているチームがパワートレーンの部署にいました。彼らは7−8年、マルチステージ・ハイブリッドの研究を進めていましたが、そんな彼らと出会い、意気投合。「ハイブリッドをもっとエモーショナルにしよう!」と開発したのがLCのハイブリッドです。

また、現在多くのクルマが採用しているDCT(デュアル・クラッチ・トランスミッション)ではなく、なめらかに発進ができ、しかも、DTC並みに素早い変速を実現したラグジュアリー乗用車初の10速ATも「より鋭く、より優雅に」を実現するために開発しました。
この10速ATの開発にも物語りがあります。当初、私は10速ATには否定的でした。なぜなら、その開発はとても難しく、かなり時間が必要と思ったからです。クルマづくりの順番を考えると、トランスミッションの開発が遅れると全体のスケジュールに大きな影響を与えます。そんなとき、担当の主査から「佐藤さん、10速ATは『より鋭く、より優雅に』に貢献できると思っているから提案しているんです。LCの開発は、できなそうだからやるんだ!って言っておいて、10速ATはできなそうだからやめるのですか?」といわれ、ハッとしました。スケジュールやそこに立ちはだかる障壁ばかり意識しすぎてしまったと。

LCの開発にはトヨタの社内だけで約4000人が関わり、さらに協力会社など社外の人を含めるとものすごい人数の人が関わっています。その一人ひとりが「レクサスは変わらなければいけない」という危機感を共有し、「より鋭く、より優雅に」をキーワードに、それぞれの立場でプロフェッショナルとしての自覚をもって参加。ときには支え合い、ときにはぶつかり合って、その結果、現場で数多くの小さなイノベーションが生まれ、それがブレークスルーへとつながって、LCは誕生しました。LCの開発を通じて、私は本当の意味でのチームワークを学ぶことができました。

レクサスLCの開発メンバー(2015年7月米国での車両試験にて)
レクサスLCの開発メンバー(2015年7月米国での車両試験にて)

次世代レクサスのフラッグシップクーペが誕生

(レクサスLC500h ホワイトノーヴァガラスフレーク)
(レクサスLC500h ホワイトノーヴァガラスフレーク)

LCは次世代レクサスのフラッグシップ・クーペとして、デザインの美しさとともに、走りの楽しさを追求。世界中の道を走って、「鋭く、優雅に」という走りをつくりこみました。高速域はもちろん、中低速域でも、レクサスならではの走りを実現しています。
経済性や合理性といった左脳ではなく、右脳で“楽しい”と感じるエモーショナルなクルマになったと考えています。LCが発売後、再び「Cars & Coffee」を訪れた時、そこにたくさんのLCが集まっていてほしい。そんな愛されるクルマであってほしいと思っています。

佐藤恒治(さとう・こうじ)
佐藤恒治(さとう・こうじ)

<プロフィール>
佐藤恒治(さとう・こうじ)
早稲田大学理工学部卒、1992年トヨタ自動車入社。技術管理部配属の後、シャシー設計で初代プリウス、ビスタのサスペンション設計に携わる。製品企画へ異動して北米カムリを担当し、2005年からレクサス車の開発に従事。レクサスGSを主査として担当した後、LCのチーフエンジニアに。休日は義理の父親から譲り受けたスープラのドライブを楽しむ傍ら、京都の寺社巡りや表千家の茶道のお稽古に通うなど、日本の歴史・文化にも関心を持つ。

取材・文;宮崎秀敏(株式会社ネクスト・ワン)

※写真のレクサス LCはプロトタイプモデルです


[ガズー編集部]