漫画「F-エフ-」の作者 “六田 登” に聞いたクルマの魅力

「何人(なんぴと)たりとも俺の前は走らせねぇ!」この名台詞、覚えている人も多いでしょう。1986年よりビックコミックスピリッツ(小学館)にて連載スタートし、アニメ化にもなった漫画「F-エフー」の作者、六田先生にインタビューしてきました。話を伺うと、先生自身が漫画みたいな人生を送っているんですけど……。

プロフィール

漫画家 六田 登(ろくだのぼる)
1978年「最終テスト」にて漫画家デビュー。週刊少年サンデー(小学館)で連載された「ダッシュ勝平」で人気を博す。以後、フォーミュラレースの世界を描いた「F-エフー」はアニメ化もされ、「何人(なんぴと)たりとも俺の前は走らせねぇ!」の台詞で話題に。他、代表作に「F REGENERATION 瑠璃 」「F FINAL」「バロン」など。

六田 登 電子書籍

19歳の大冒険。漫画家を目指し、ヒッチハイクして上京!

―漫画家になろうとしたキッカケを教えてください。

真剣に「漫画家になりたい」と思ったのは中学1年の頃かな。特にキッカケがあった訳ではないけど、なぜか漫画家になって暮らすことしか頭になかった。でも、大阪の実家が家業をやっていて、「漫画家になる」と言っても大正生まれの両親は理解するはずがない。このままでは家業を継がなきゃならない……、そう思い、家出して、上京した(笑)。

―漫画家になるために家出!?

まあ一応の了解は取り付けたよ。親父は「2年間、見て見ぬふりをする」と言ってくれた。ただし、「援助は一切しない」というスタンス。だから、ヒッチハイクで上京だったんだ(笑)。ちなみに19歳の頃の話。

―ヒッチハイクというのがすごいですね(笑)。

今と違って勢いはあったね。高校生の時は、家庭日用品新聞という業界新聞でカットを描いてお金を稼いだり、仲間たちと自主映画を撮影したりもした。楽しかったね。

―じゃあ、漫画家になる自信もありました?

いやいや、それまで作品を描いたりはしていたけれど、東京に伝手(つて)もコネもないし、自信はなかった。実際デビューまで時間もかかっているからね。ただ、高校時代に一度、小学館に持ちこみをしたことがあって、当時のサンデーの副編集長が立ち会ってくれたの。そして「企画があるから連載を前提で描いてみないか」と言われてさ。あのときは大阪に戻ってから有頂天になっていた(笑)。友達もからかって「先生!」とか呼んでさ。でも絵が上手なだけの素人に作品化なんて無理だよね。そのまま締め切りをぶっちぎっちゃって、結局連載はお蔵入り。だけどこのときに失敗してよかったと思っているよ。おかげで息の長い、今の六田がある(笑)。

上京してからは池袋の路上で絵を描いて売ったり、フリーランスで週刊朝日や毎日新聞の仕事をしたり、何でも屋みたいな生活をしていた時期があった。仕事でユーミンにインタビューできたのは当時のいい思い出。

次第に仲間もできて、生活するには十分な収入もあった。だけど「今のままの人生でいいのか?」と疑問を感じるようになって……。そんなとき、24歳か25歳のときだったと思うけど、ポカンと10日間くらい自由な時間ができた。そこで、「最終テスト」を一気に描き上げて応募したら、新人賞を受賞。漫画家らしい日々がスタートしたのはそれから。

デビューするまでは本当にいろいろな人たちに出会って、お世話にもなって、いいことも悪いこともたくさんあった。振り返るとまさに漫画のような日々だったね。懐かしい。

大阪出身だから!? とにかく饒舌で話が面白すぎる六田先生。先生曰く、周りの漫画家の方々から「六ちゃんは常識のある人」と言われているそうです(本当か!?)

主人公・赤木軍馬が活躍できる舞台。それがレースの世界だった

―代表作「F-エフー」の誕生秘話を教えてください。

「最終テスト」でデビューした翌年に、週刊少年サンデーで連載スタートした「ダッシュ勝平」がヒット。アニメ化までされて、おかげさまで漫画家生活も軌道に乗った。「F-エフー」が誕生したのは、その後ヒット作を出せずに悩んでいた頃だね。掲載号は決まっているのに構想が決まらず焦っていたのもよく覚えてるよ。

話は戻るけど、さっきの高校時代の話だけ切り取るとむちゃくちゃな人間に思うよね。でも、小さい頃に大病を患ったせいか、実は内気ですごく臆病な面もある。だから、ヒッチハイクとかも引っ込みがつかないよう、いつも先に言いふらすの。「俺はこれをやるぞ!」って。そうやって自分を追い込んじゃう。

漫画でもそんな人間を描きたいなと思い、主人公・赤木軍馬(あかぎぐんま)というキャラクター像ができていった。ただ、今度は彼が活躍する舞台が決まらない……。そうして頭を悩ませていたある日、サンデーの裏表紙にF1マシンの広告がたまたま載っていて、それがピンと来た。辞書で調べてみると、フォーミュラには「枠組み」という訳もある。「枠組みを超えるのはいいな」と思ったね。キャラクター像にも合うし。

そして、もともとバイクが好きでこれまでに30台ほど乗ってきて、いつも欲しくなるのは自分を抜いていったバイク。後ろ姿がカッコよく映るんだよね。それが自分の殻を破っていくような生き方とも重なった。それで「レースだ!」となった。そうしてフォーミュラレースを舞台に赤木軍馬が活躍していくことに。これが「F-エフ-」が誕生するまでの流れです。

先生の代表作「F-エフー」。約6年に渡り連載。アニメ化もされた人気作。その後、続編として「F REGENERATION 瑠璃 」「F FINAL」も発表された。

クルマに乗って「俺はこの町で生きているんだ」と実感!

「F-エフ-」の連載中はどんな時間でした?

連載中は本当に楽しかったよ。「キャラクターが勝手に動き出す」とか言うじゃない? そんな体験ができた貴重な作品。登場人物である赤木軍馬や小森純子(こもりじゅんこ)にグングンと引っ張ってもらって、自分でも「こんなの描いた!?」と思えるような回もあった。でもね、恐ろしく忙しかった時期でもあったね。

連載漫画家は忙しいと聞きます。どんな世界なんでしょう。

30代は仕事しか記憶がないくらい。連載も複数抱えていて本当に忙しかった。編集者が仕事場に一週間くらい泊まり込んで資料を集めたり原稿のチェックをしたりするんだけど、真の目的は俺たちの監視だからね(笑)。俗に言う缶詰(軟禁状態)ってヤツ。消耗しきって仮眠をとろうとしたら寝室に入ってきて「先生、原稿は……」だからね(笑)。俺、奥さんもいるんだよ!「さすがにそれはやめてくれ!」となった(笑)。まあ今の漫画業界とは違って、あの頃は「原稿を落とす奴はクズだ」みたいな風潮があったからさ。ちなみに約30年の漫画家生活の中で原稿を落としたのは、たったの2回だけ。これは誇りです。

ちなみに、クルマはもともと好きでしたか?

「F-エフ-」を描く前はレースのこともろくに知らない人間だったし、クルマに特別な興味があった訳ではないよ。どちらかと言えばバイクかな。だけどクルマには、人一倍、思い入れがある。上京してしばらくしても、東京を自分の居場所と感じることができなかった。でも「ダッシュ勝平」の連載中に教習所へ通って、念願のクルマを手に入れて、自分の住んでいる町をドライブした。すると、今までの生活じゃ見られなかった景色を目にして、ようやくこの日「俺はこの町で生きているんだ」と実感できた。なんなんだろうね。感慨深かったなあ。クルマはそんな素晴らしい瞬間を与えてくれたね。

今までどんなクルマに乗ってきました?

最初に買ったのは奥さんの希望でシルビア。それから日産のZ(フェアレディZ)やトヨタのランクル(ランドクルーザー)。他にはボルボなど。1000万円を超えるポルシェを見たとき「こんなクルマを買う人いるのか!?」と思っていた男が、後に一目惚れしたベンツのSLを即決で購入するんだからね。世の中何があるかわからない。これが一番長くて15年乗ったかな。本当に乗り心地の良いクルマで、東京から九州までドライブしても、唯一疲れなかったクルマだった。

クルマの魅力を知ると、人って変わるもんだね。あと断っておくけど、赤木軍馬のように「何人たりとも俺の前は走らせねえ!」という運転はしていないから(笑)。

現在の愛車はメルセデスベンツのML。他にバイクも所有。「奥さんの実家がある九州までドライブすることも多かった」と話すほど、根っからの運転好き。

宣言。「来年、六田は大きな動きをする予定です!」

―現在の活動を教えてください。

連載作家としては、58歳の時に一区切りつけました。雑誌にはそれぞれのカラーがあるから、それに合わせて作品を描かなきゃいけない。そういう仕事は終わりにして、これからは自分が本当に描きたい作品を発表していこうと思ってます。

そうそう、自慢じゃないけれど「F-エフ-」が電子書籍化して本当に売れててさ。Kindleコミックで「F REGENERATION 瑠璃」などのシリーズを合わせて10万部を突破。今の第一線の作家さんたちとやれているのは、漫画家冥利につきるね。読者の皆さんありがとうございます。

で、今はそういうデジタル化の時代に合わせた活動を考えているところ。これも自慢するつもりはないけど、デジタル化(データ入稿)への取り組みは、業界で一、二を争うほど早かったんだよ。莫大な投資をして機材をそろえたし、小学館と大手印刷会社も協力してくれた。忙しすぎて「編集の監視から逃れて仕事場以外で漫画を描きたい」と思ったのがキッカケなんだけどね。

今後の展開はかなり具体的に決まっていることもあるけれど、まだ公にはできないなのでこれくらいで。とにかく来年、六田は大きな動きをする予定です。お楽しみに!!

―最後に、クルマの魅力を教えてください。

本当に忙しかった頃。原稿を仕上げた夜明け、ランクルにスタッフを乗せて富士山へドライブしに行った。もちろん予定なんか決めずに思いつき。コンビニでおにぎりを仕入れたりしてさ。そういう時間を共有できることが、クルマの魅力じゃないかな。

こういった瞬間は別に高級車じゃなくても得ることができる。クルマの本質というか原点というか……。俺はクルマにたくさんの思い出をもらった人間。だから皆さんもクルマに乗って、思いつきで出かけてみてほしいな。思いがけない出会いとかもきっとあると思う。ふと路上でヒッチハイクで手を上げた少年が、漫画家を夢見る少年かもしれないからね。

―六田先生、貴重なお話ありがとうございました!​

デスクで原稿に色入れをする様子。デジタル化して再び出版する際にはこのような作業が必要とか。膨大な時間を要するとも…。先生、今後のご活躍を楽しみにしています!

(ライター:初野正和)
(取材協力:六田 登)​

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