トヨタ・4代目セリカ(1985年~) トヨタ 歴代スポーツカー<1980年代>6話

第6話 4代目セリカ

バブル景気の発端とされるプラザ合意と520人もの犠牲者を出した日航ジャンボ機墜落事故で記憶される1985年、セリカは4代目に進化した。直6エンジン搭載のXXをシリーズから切り離し、4気筒版のみとなった新型はついにFFへと転換。流面形と称するフォルムをまとったボディーは、先代までリフトバックと呼ばれていた3ドアクーペのみとなり、その後87年にはコンバーチブルが追加された。

初代以来の高性能グレードである1600GTはカローラFX1600GTなどと同じDOHC16バルブ1.6リッターの4A-GELU、最強グレードの2000GT/GT-Rは新開発のDOHC16バルブ2リッターの3S-GELUを搭載していた。

86年には、3S-GELUにターボを装着して185psまで高め、駆動方式にトヨタ初となるフルタイム4WDを導入したGT-Fourが加わる。バブル全盛期の空気を満載した映画『私をスキーに連れてって』(87年)に登場したことでも知られるが、実際は87年からグループA規定への移行が決定していたWRCへの参戦を見据えた硬派なモデルであり、5000台の販売規定をクリアした88年から実戦に投入。90年にはカルロス・サインツがドライバーズタイトルを獲得したが、これはトヨタ、そして日本車メーカーとしても初の快挙であり、90年代のWRCにおける日本車黄金時代の幕開けとなった。

セリカGT-Four

85年のフルモデルチェンジでFF化された4代目セリカに、翌86年に追加されたGT-Four。2リッター・ターボエンジンと、トヨタ初のフルタイム4WDを組み合わせていた。

生産:1985 ~1989年

セリカコンバーチブル

87年にセリカに追加されたコンバーチブル。ボディーのオープン化はアメリカの専門メーカーで行われた。

生産:1987~1990年