才能を発掘!プロを目指す若人たちの学び舎 その2 ~フォーミュラトヨタレーシングスクール~

講師陣たちからお話を伺っていると、華麗な経歴からは想像も付かないエピソードが出てくる。土屋武士講師は、一期生を選出する頃から講師として参加。いまだに合格した彼らのライン取りまで覚えているそうだ。そして、誰にでも“初めて”はある!という訳で、来年受講する若人たちの為に、講師陣たちのエピソードをご紹介。休憩時間は、受講生とお話をしたりと、なかなか時間をいただくのが申し訳なかったのですが、どうぞ。

○主任講師 片岡龍也選手(一期生)

―――受講した頃のスクールの背景について教えてください
片岡:当時はカートと四輪のカテゴリーが全く別のピラミッドを形成していて、カートと四輪のそれぞれに「神様」と呼ばれる人たちがいました。それぞれ知名度がありますが、この二つのカテゴリーが同じ高さだと思っていたんです。そして、その二つの壁の突破口と言いますか、カート上がりのドライバーが四輪でも通用することも何となく分かり、カートで少しずつ経験を積んだら、四輪の道へと行くような流れができ始めた時期でしたね。

―――ご自身がカートの頂点に立ってから、これまでどのような道を歩んで来られましたか?
片岡:2000年にこのスクールを受講して合格し、その次の年からフォーミュラトヨタに参戦、2004年にはSUPER GTのGT500クラス、フォーミュラニッポンに参戦しました。今思えば、少し大それたことだったと思っています。その後、同期の平中(克幸)選手は欧州へ、現在のユーロF3へ修行に行き、私が国内のカテゴリーを経験して来ました。

―――もし、オーディションに不合格になっていたら?
片岡:間違いなく一般人になって、レースはやっていなかったでしょうね。そもそも、お金がなかったのでカートのチャンピオンから四輪のドライバーになろうなどと全く考えていませんでした。ところが、このようなメーカーのオーディションが出き、夢を見させてくれた為、辞めようと思っていた所にチャンスが来た…、という感じでした。いわば巡り合わせですね。ちょうど二十歳の頃です。自分的に、二十歳が社会復帰の最後のチャンスだと考えていたところに、このチャンスが到来した…という事でした。

大谷:ものすごく現実的で、社会復帰という表現も斬新ですね。

片岡:今は、15~18歳の子たちがチャレンジすること多いですが、技術的に優れていても頭はまだ子どもだと思います。自分の頃は、もう少し大人になっていましたが、若いうちにいろいろ決断しないといけませんでした。しかし、最終的には本人に「ステップアップしたい」という意思があれば、年齢は関係ないと思いますね。人と競うスポーツであるから、「人に勝とう」という気持ちも必要だと思います。

○講師 小林可夢偉選手

―――受講した当時のスクールでの様子を教えてください
小林:酷かったです(笑)。まず、人の言う事を聞かなかったです。ヒールアンドトゥをやれと言われても出来ませんでしたから、やらずにスクールを終えました…。なんだかんだ3日間のスクールが終わり、最終選考に残り十勝の本コース(当時は、スクールを十勝で行っていた)を走っていたら、調子が良くなり、最終選考はトップで終えました。すでに、フォーミュラの経験のある吉本(大樹選手)とかうまい人がまわりにいましたね。

自分が受講したのは14歳の時で、身長も150cmもなく小さかったので、クルマの基本的な操作ができませんでした。最終選考は12人くらい残り、二期生として、晃平(平手晃平選手)と番場(琢選手)の3人が残りました。しかし、14歳という年齢からレースができず、1年以上は保留生という形で残りました。

スクールでは、クルマは自分できれいにしないといけなくて、ワックス掛け掃除が嫌で抜け出したくなりました。当時のメカニックさんがいろいろなところを汚れていると指摘してきましたから…。しかし、本当はクルマの掃除は嫌いじゃないです、自分のクルマはプロに任せていますけどね。

―――他メーカーからも声がかかったそうですが
小林:他メーカーからも声をかけていただきました。最初は、どちらでも良いと考えていて、最初に受けたのがたまたまトヨタでしたが、結局トヨタに留まりましたね。

大谷:小林選手を他メーカーに渡さないでキープした当時のメーカー担当さんに、先見の明があったのですね、すごい。

―――そんなお若い頃から今までを振り返るとどうでしたか?
小林:これまでの道は…、一言で言うと“険しかった”と思います。いろいろありましたね…。でもトヨタで良かったというのが結論です。

○講師 平手晃平選手

―――受講した際のエピソードを教えてください
平手:今でも覚えていることは、講師が怖かったことと(笑)、初日からクラッチスタートもできず、夜まで関谷さんとマツダ・ロードスターで半クラの練習をしていたため、フォーミュラに乗ることができなかったことですね。

大谷:意外に屈辱的なスタートだったのですね。

平手:はい。2日目は、半クラができるようになり、走ることができました。最終選考に残ったのは、私と番場琢選手と吉本大樹選手と小林可夢偉選手と他に数人。最初は戸惑って、クルマはなかなか動かせず、最終レースではシグナルスタートでエンストをさせてしまい、最後尾まで落ちました。

大谷:では、なぜ選ばれたのでしょう。

平手:最後尾まで落ちたものの、そのレースでのファステストラップを出したことが、選考に残ることができた理由かもしれません。

大谷:ここにパーフェクトで来る必要はなく、伸び代が大事と聞きましたが、まさにそれだったのですね…。ありがとうございました。

坪井翔選手(今回は、お手伝いで参加)は、初日にスタートができず、ギアが入っていてクラッチを切っていないにも関わらずエンジンをかけてしまったため、危うく当時の講師で現在所属するチームの監督影山正彦さんを轢いてしまうところだったとか、中嶋一貴講師は、ご自身誰よりも下手でした…とひとこと。スタッフからも、スタートできない中嶋講師を全力で押したと…、そんなエピソードがザクザク出て来ました。

成績だけではなく、頑張りも認めてくれる、狭き門に不合格になったとしてもその後の成長を今後のモータースポーツ業界の為に見ていてくれる…、そんな様子が見て取れました。先般のSUPER GT鈴鹿で併催されていたF4の現場では、FTRSの生徒だけではなく、メンタルトレーニングの時間には、他のF4のドライバーも参加できたりと、志を持った若者の面倒見はとても良いようですね。がむしゃらに頑張る若者をますます応援したくなりました!来年は、どんな若者が走っているのでしょう?来年も是非レポート出来たらと思います!ありがとうございました!

(写真 折原弘之、テキスト 大谷幸子)

[ガズー編集部]