【ラリー・ジャパンを1000倍楽しもう!】WRCが北海道で初開催!「2004年ラリー・ジャパン」の感動を振り返る

2003年WRCチャンピオンペター・ソルベルグがスバル・インプレッサWRC2004をドライブし、陸別のSS(スペシャルステージ=競技区間)を走る。
2003年WRCチャンピオンペター・ソルベルグがスバル・インプレッサWRC2004をドライブし、陸別のSS(スペシャルステージ=競技区間)を走る。

2004年9月3〜5日にかけて、日本初のWRC(世界ラリー選手権)「ラリー・ジャパン」が北海道・十勝エリアで開催されました。WRCファンが待ちわびたWRC日本ラウンド。しかも2003年のWRCチャンピオン、ペター・ソルベルグを擁するスバル・ワールド・ラリー・チームが母国凱旋をするとあって、全国からたくさんのラリーファンそしてスバルファンが集まりました。当時WRC専門誌「WRCプラス」の編集長だった私も当然現地に赴き、日本初のWRCをレポートしました。そして競技レポート以外のテーマとして、日本の風景を走るWRCマシン「WRカー」を選び、日中はWRカーが公道を移動するリエゾン区間で取材し、夜はプレスルームでレポートをまとめたことを覚えています。そんな「ラリー・ジャパン」の取材メモから当時の感動を振り返ってみましょう。

スバルは1995〜1997年にWRCマニュファクチュアラーズチャンピオンを獲得し、1995年に故コリン・マクレー、2001年に故リチャード・バーンズがドライバーズタイトルを獲得した名門チームです。1990年代は三菱、トヨタとともにWRCを席巻した日本車メーカーのひとつでもあったので、観戦に来たファンが非常に多かったことを記憶しています。なお、WRCはSSでタイムトライアルを行い、全SSのトータルタイムで競うのが基本です。2004年の「ラリー・ジャパン」はペター・ソルベルグが優勝を果たし、スバルの母国に錦を飾りました。

当時の「ラリー・ジャパン」ではダントツの人気だったペター・ソルベルグは、もともと気さくな性格でファンサービスも旺盛ということもあり、この時もファンのカメラににこやかに応じていました。

WRCでは競技日程に入る前に、マシンのセッティングをするための「シェイクダウン」という日程があります。2004年の「ラリー・ジャパン」では、帯広市内を流れる札内川の河川敷にシェイクダウンコースが設定されました。隣接する北愛国交流広場がマシンのメンテナンスを行うサービスパークでした。

このシェイクダウンで、初めてWRカーが日本を走ったのです。シェイクダウンテストは競技とは違いますが、走りの迫力は実戦さながらであり、しかもWRカーが何回も走ってくるので、実はWRカーの走りを見るには効率が良かったりします。なお、このシェイクダウンコース上には愛国大橋があり、そこから手軽にWRカーを走る姿を見たり撮影することができました。

サービスパークにはWRカーをメンテナンスするためのテントが設営されます。競技期間は、早朝にサービスパークを出て行って競技を行い、日中に一旦サービスパークに戻ってメンテナンスを行った後、再び競技に出て行き、夕方に戻ってくるというスケジュールで動きます。サービスパークはもっともWRカーに近づくことができるポイントであると同時に、ドライバーを容易に見ることができるポイントでもあります。運が良ければドライバーからサインをもらえることもあります。ということで、WRCを観戦するなら1回はサービスパークを見ることをオススメします。

競技前日の9月2日の夜、帯広市内で「ラリー・ジャパン」のセレモニアルスタートが行われました。人口約17万人の帯広市の会場には全国から5万人もの人が集まりました。スタート台を見ることができる場所には大勢のファンが集まり、身動きがとれないほどの盛況ぶりでした。当然ながらプレスエリアのスペースも限られていたため、スタートシーンの撮影にはカメラマンをひとり送り込み、私を含む編集チームはスタート前の取材を行いました。

実はスタート前のマシンが待機するエリアは、ラリーカーや選手が出番をじっと待っています。だから、長い時間ラリーカーを見るなら、スタート前というのも「アリ」ですよ。それをわかっている通なギャラリーは、しっかりとビデオカメラにWRカーの佇むシーンを収めていたものです。

雌阿寒岳をバックに国道241号線のリエゾン区間を走るプジョー307WRC。リエゾン区間はその国の法規が適用されるため、WRカーといえども法定速度を守らなくてはなりません。一般車と一緒に公道を走ることになるわけです。この時も日本車の間を走る赤いWRカーという姿が、新鮮に感じたのを今も覚えています。ナンバープレートが日本のものではないのに疑問をお持ちになる方もいらっしゃるでしょう。というのも、カルネ条約に加盟している国のクルマは母国ナンバーのまま日本国内の走行ができるのです。ちなみにこの307WRCをドライブするのはマーカス・グロンホルムで、2000年、2002年のWRCチャンピオン。ペター・ソルベルグやセバスチャン・ロウブとチャンピオン争いをしていました。

リエゾン区間を走るフォード・フォーカスWRC。フォードは日本車全盛時代となった1990年代に唯一WRCワークス参戦を継続し続けた欧米メーカーです。グループA時代末期にはエスコートRSコスワース4×4でトヨタ・セリカGT-FOUR、スバル・インプレッサWRX、三菱ランサーエボリューションに対抗しました。WRカー時代に入り、プジョー、シトロエンが台頭。逆にトヨタがF1に専念するためWRCを撤退し、三菱はWRカーへの移行に失敗して低迷するなかで、フォードは常にトップ争いを続けました。フォードこそWRCの名門に相応しいと私は考えています。

リエゾン区間を走るシトロエン・クサラWRCに手を振る地元の人々。この時、沿道の地域には「ラリー・ジャパン」の開催がしっかり周知されていたのでしょう、地元の人たちもイベントを盛り上げるためにWRカーを待ち受けていました。WRC、WRカーのことは知らなくとも、地元をもり立ててくれるイベントに対しての「おもてなし」の精神は、日本独特のものだと思います。

なお、シトロエンは2001年からWRカーを投入。当時新進気鋭だったセバスチャン・ロウブはシトロエンで飛躍し、2004〜2012年まで9年連続でWRCチャンピオンを獲得しました。WRC通算勝利数は前人未踏の79勝を挙げています。

当時はスバル絶頂期だったこともあり、スバル・インプレッサは大人気でした。沿道にはノルウェーの国旗やスバルのフラッグを持ったファンが並んでいました。競技区間では味わえない光景がリエゾン区間にはあります。これはサーキットレースではあり得ない、ラリーならではの光景だと言えます。2020年のWRC日本ラウンド開催でもこういったリエゾン区間でのシーンが記録されることを願ってやみません。

(文・写真:松沼猛)

[ガズー編集部]

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