【動画】「ホンダ・ビート」試乗インプレッション 試乗編

発売から30年たったいまでも輝きを失わない、軽スポーツカー「ホンダビート」。誰もを笑顔にしてしまう楽しさの秘密はどこにあるのか、現オーナーでもある竹岡 圭が動画でリポートする。

なぜ、最初の愛車がビートだったのか? というお話を前編でしていませんでしたよね。

実はこの業界に入る前、1年ほどではありますが、日本橋でOLをしておりました。でも私は、バブルが崩壊した直後に社会人になっていて、バブルのあおりであっという間に会社が倒産しちゃったんですよね……。最後の4カ月はお給料が出ず、とにかくアルバイトで食いつながないと~と、がむしゃらに働いていた時、とあるアルバイトで出会ったのが、モータージャーナリストの日下部保雄さんでした。

その後、ご縁があって日下部さんの会社に入社するわけですが、その時の条件が「クルマ貸してくれる」でして。まぁ、その条件があったからこそ入社を決意したのですが、その時に貸していただいたクルマがビートだったというわけなんですよね。

なんでも日下部師匠は、初めてビートに試乗した時から大いに気に入ったそうで、すぐに予約を入れて、1stロットのクルマを手に入れたんだそうです。そうそう、ボディーカラーは黄色がよかったんだけれど、ホンダの方に「日下部さん、トシを考えなさい」と言われ、あれよあれよという間にシルバーにされちゃったんだとか(笑)。

そのビートに私が乗り始めたのは1992年3月のこと。免許を取った4日後だったのですが、初めて乗った時は「あぁ……自由の翼が手に入った……!」と、本当に心の底から思ったのを、昨日のことのように覚えています。

そこからはもう、通勤はもちろんのこと、普段の生活もこれ1台。どこに行くのも一緒。北は青森、南は大分まで自走で行きましたし、ミニサーキットは数知れず、大きなサーキットも、十勝スピードウェイ、筑波サーキット、富士スピードウェイ、セントラルサーキット、オートポリス、そしてマレーシアのセパンサーキットを走っております。セパンでは6時間耐久レースで優勝、24時間耐久レースでも2回完走してるんですよね。そのレースには日下部師匠も一緒に参戦してたりと、まぁ本当に語りつくせないほどの、いろいろな思い出が詰まっています。

なので私のビートは、もちろん私の初めての愛車で、ずーっと愛し続けているクルマでもあるのですが、もはや私だけのクルマではなく、「私と大切な仲間たちのクルマ」へと昇華しているんです。これはもう、一生モノですよね。

(文:モータージャーナリスト・竹岡 圭)

[ガズー編集部]

【動画】「ホンダ・ビート」試乗インプレッション

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