Shall we drive ?-クルマ本来の楽しさへの誘い [マークX 友原孝之チーフエンジニア](1/2)

マークXは、1968年の初代マークIIの発売以来、累計販売台数462万台を達成。
トヨタを代表するFRミディアムセダンである。
2004年にマークIIからマークXへと大胆な自己変革を行い、FRスポーティセダンとして「スタイル」「走行性能」を一新し、ユーザーのニーズが多様化する新しい時代にあって、FRセダンのあるべき姿をリードしてきたクルマである。
3代目プリウスがハイブリッドブームを巻き起こし、未来のクルマの、一つの方向性を強烈に提示する中、同じ年に発売される2代目マークXは、私たちにクルマのどんな価値を提案してくれるのか?
チーフエンジニア友原孝之をトヨタテクニカルセンターに訪ねた。

マークXとの妙な“縁(えにし)”

友原孝之
友原孝之
1959年山口県生まれ。子どもの頃からクルマが好きでプラモデルを製作したり、自動車雑誌を読み、クルマのカタログを収集したりしていた。1982年トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。第一技術部でシャシー設計などを経て、1998年に製品企画セクションに異動。マークIIブリットや北米専用のヴェンザを担当後、現職。トヨタ第1乗用車センター チーフエンジニア。

〔歴代のマークⅡ、マークX〕
初代コロナ・マークⅡ(1968-1971)
2代目マークⅡ(1972-1976)
3代目マークⅡ(1976-1980)
4代目マークⅡ(1980-1984)
5代目マークⅡ(1984-1988)
6代目マークⅡ(1988-1992)
7代目マークⅡ(1992-1996)
8代目マークⅡ(1996-2000)
9代目マークⅡ(2000-2004)
初代マークX(2004-2009)

私が入社したのは1982年。ちょうどトヨタ自動車工業(株)とトヨタ自動車販売(株)が合併して、トヨタ自動車(株)になった年です。ですから、トヨタ自動車工業(株)の新卒入社、最後の世代です。最初に配属されたのはシャシー設計を行う部署で、私は、センチュリーやクラウン、スープラなどFR系の足回り、サスペンションを設計してきました。現在の製品企画を行う部署に異動してきたのは、1998年になります。

実は私はマークIIにとても縁があります。入社して最初の仕事がマークII(5代目)のATのシフトレバーの設計でした。その後、リーダーという立場で現場を任されて、初めてサスペンションの開発に取り組んだのもマークII(7代目)でした。そして、製品企画部署に移り、チーフエンジニアの補佐役として初めて開発を担当したのがマークIIの最後のモデル(9代目)でした。さらに、今回、チーフエンジニアとして開発を任されたのがマークIIの後継であるマークXの2代目です。振り返ってみると、マークⅡの5代目、7代目、9代目、そして初代マークXを挟んで2代目と、一つ飛ばしで関わっていたことになります。
今回、「マークXをやってくれ」といわれたときは、その縁の深さをあらためて確認しました。

自分なりの尺度を持つ

新人時代に配属希望を聞かれて、ミーハーな性格の私は、名前のかっこよさから「製品企画部署」を申告。「お前には10年早い」といわれた経験があります(笑)。そして、実際に異動してみてその言葉の意味がよく分かりました。通常、設計の部署では、上司や先輩が仕事を一から教え、面倒を見てくれます。人を育てる環境があるわけです。しかし、中堅・ベテラン社員が集められている製品企画部署にはそんな環境はありません。すべて自分で見て、吸収していく必要がありました。

そんな中、私の上司であり、師匠だったのが大橋宏さんです。当時、大橋チーフエンジニアの下には、布施健一郎さん(レクサスの統括主査)と 定方理さん(レクサスLS600h主査) と私の3人が補佐役としていて、周りからは“だんご3課長”と呼ばれていました。長男の布施さんがマークIIを担当し、次男の定方さんがヴェロッサ(マークIIの姉妹車)、そして末っ子の私がマークIIブリット(ワゴン車)を担当していました。

仕事を通じて、大橋さんが私たちに教えてくれたことは、まず第一に『自分なりの基準(尺度)を持つこと』、そして、二つ目が『原価企画の重要性』です。

クルマはいろいろな人がいろいろなシーンで利用します。身長や手の長さ、足の長さなど人それぞれですが、どこかに基準を決めてクルマは設計しなければいけません。たとえば、マークIIブリットのバックドアを開けたときの位置はどの高さにすれば、背の高い人も低い人も使いやすいのか? 「それを、自分を基準として、この位置がベストという“尺度”をもて」ということを教え込まれました。その尺度を身につけるために、いろいろクルマに乗りました。日本車はもちろん、外国車などいろいろなワゴンに乗って、走ってみて感覚を確認する。自分でハンドルを握り、また、何度もドアを開閉して、自分なりの尺度を磨いていきました。

原価との戦い

6代目マークⅡ(1988-1992)

また、特にマークⅡというクルマでは原価企画がとても重要でした。なぜなら、マークⅡはトヨタにおけるFRセダンのエントリーモデルです。そして、マークⅡに対して、多くのユーザーはクラウンなど上位モデルのクルマと同レベルの性能を求められます。しかも、それをリーズナブルな金額で提供しなければいけません。ですから、原価企画がとても大変なのです。「安かろう、悪かろう」では許してもらえないのです。

かつて、6代目のマークⅡはチェイサーなど姉妹車を含めて月に3万台を販売していました。だからこそ、価格を抑えてバリューを高めることができたわけです。そして、それを乗り継いできたお客様の目は当然、肥えています。価格を抑えつつ上位モデルに負けない性能を搭載しているというバリューが当然のように求められます。これはマークⅡがずっと背負ってきた期待であり、開発者にとっては重い十字架なのです。

私は長年、マークⅡに関わってきた経験の中で十分、そのことを意識していましたし、実際にマークⅡブリットの開発を通じて、大橋さんからその厳しさを徹底的に伝授されました。ですから、2006年に新型マークXのチーフエンジニアになったときは、マークⅡとの縁の深さを感じるとともに、「これはまた大変な仕事を任された」としみじみと思いました。

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