料理でいえば“だし”をとり続ける仕事 [アベンシス 松本章 開発責任者](1/2)

フットボールの世界に限らず新車の開発においても、世界最高峰のマーケットといえば欧州市場である。もちろん市場規模においては北米や急成長中の中国市場の方が大きい。しかし、伝統と高い技術力を誇るライバルメーカーが多数ひしめき、熾烈な開発競争が展開されていること。そして何よりも、目の肥えた消費者と多様な道路によって長い時間をかけて重厚で成熟した自動車文化が培われてきたという点で、欧州市場は別格だ。フランス語の「Avencer」(先進的、躍動的)から名付けられたアベンシス(Avensis)は1997年、そんな欧州市場にトヨタ初のDセグメントカーとして登場。世界最高峰のマーケットで磨かれ、2代目(2004年発売)、3代目(2009年発売)と進化を繰り返し、欧州におけるトヨタのフラッグシップに相応しい確固たる地位を築いてきた。そしてそのワゴンが再び日本に逆輸入される。この3代目アベンシスの開発を企画段階から携わってきた松本主査をトヨタ第2開発センターに訪ねた。

料理の味は“だし”で決まる。車の乗り味は足回りで決まる。

松本章
松本章
福井県生まれの横浜育ち。
1982年トヨタ自動車工業入社(同年、合併によりトヨタ自動車)、シャシー関係の設計部署に配属。タウンエースや初代エスティマ、ハイエース、グランビア(後のアルファード)などのシャシー開発を担当後、99年に製品企画のセクションに異動。2代目イプサム、初代アイシスなどの開発を経て、2004年より3代目アベンシスの開発に参画。そして、途中から開発責任者を任せられ、09年欧州での発売を迎える。

大学では機械工学の精密機械を専攻。自動車のタイヤにつながる素材の強度などを研究していました。そして、トヨタに入社後は希望が叶って、商用車のシャシーの設計を担当する部署に配属となり、以来、1999年まで17年間、シャシー一筋にやってきました。ですから、学生時代にまでにさかのぼれば、ずいぶん長い間、車の足回り、すなわち操縦性能、走行安定性能などに関係するところに携わってきました。
一般に「料理の味は“だし”で決まる」といわれますが、それを車に当てはめれば、車の乗り味は、足回り、シャシーで決まるといえます。ボディやエンジンが料理の主役となる肉や魚であれば、目に見えないところにあって、裏方的に料理の方向性や味を決める“だし”の役割を担っているのが、ハンドルからタイヤへとつながる部分、いわゆる足回り、シャシーなのです。シャシーの開発はちょっと地味かもしれませんがとても重要で奥深い仕事なのです。
設計段階でいろいろな計算とシミュレーションを行い、自分なりにセッティングしたものをいざ、走らせてみるとちょっと違っていたりする。それを現場で一つ一つ修正し改良して、目指す方向にチューニングしていくわけです。コンピューターを使えばかなり高い精度でシミュレーションはできますが、なかなかピタリとは合いません。最後は人間の感覚が頼りです。東富士や本社のテストコースにしばしば足を運び、実際に自分で運転してみて、モノでの確認と修正を繰り返していきます。
私は車を評価するときは運転席に着目します。人が乗ったときの姿勢を見ればその車の性格がわかるからです。スポーツカー、セダン、商用車ではそれぞれ人の座らせ方が違うように、ドライバーの姿勢がその車の性格を決めます。そして、それに合ったシャシーが必要となってくるのです。

松本章
松本章
福井県生まれの横浜育ち。
1982年トヨタ自動車工業入社(同年、合併によりトヨタ自動車)、シャシー関係の設計部署に配属。タウンエースや初代エスティマ、ハイエース、グランビア(後のアルファード)などのシャシー開発を担当後、99年に製品企画のセクションに異動。2代目イプサム、初代アイシスなどの開発を経て、2004年より3代目アベンシスの開発に参画。そして、途中から開発責任者を任せられ、09年欧州での発売を迎える。

人が生活の中でとことん使い倒す車を開発していきたい

シャシーの仕事を17年もやっていたというとずいぶん長いような印象を受けられるかもしれませんが、車のモデルライフ、開発サイクルからすると17年なんて、あっという間です。いくつかのモデルチェンジを経験すれば、すぐにそれくらいの年月が経ってしまいます。ただ、私がシャシー設計部にいた90年代はちょうどミニバンという新しいジャンルの車が誕生し、進化していった時期だったので、やり甲斐もありとても充実していました。
当初はハイエースやタウンエースといったFRの商用車ベースで多人数が乗れて荷物もたくさん積めるワンボックス開発が進んでいましたが、ホンダのオデッセイやトヨタのイプサムの登場により、FFの乗用車ベースで3列シートや積載効率の高い車の開発の方向が主流になり、ミニバンという言葉も生まれました。
ミニバンやワンボックスというのは、ホイルベースが短いところに上から大きなドンガラを載せるので、どうしても重心が高くなり、足回りはかなり厳しい使われ方をします。安全性や操縦安定性、強度はもちろんのこと、回転半径などの取り回しの良さや振動や騒音、乗り心地の良さなどにも気を配らなければいけません。こうしたいろいろなもののバランスをとり、すべてを成り立たせなければいけない。裏返せばそこに仕事の面白さがありました。サスペンションもリーフ式の車軸懸架からトーションビーム式や独立懸架方式が主流となり、進化していきました。
そして、1999年に製品開発のセクションに異動となり、2代目イプサムの開発チームに入りました。そして、途中で2代目ガイアの製品企画に参加し、そのチームが発展する形で初代アイシスを開発し、発売までを担当しました。
タウンエース、初代エスティマ、ハイエース、グランビア(後のアルファード)のシャシー、そして2代目イプサム、初代アイシスの開発と入社以来、ずっと、ミニバン系の車に携わってきていたので、自分としては、人が生活の中でとことん使い倒す車を開発していきたいという気持ちが強くありました。そんな想いがある意味、違う形で結実したのが3代目アベンシスの開発です。今回日本に投入するアベンシスのワゴンはそんな私の想いが詰まった車です。