こだわりとフルスイング [アクア 小木曽聡 チーフエンジニア](1/2)

「クリーンはあたりまえ、AQUA(水)のような自由な広がりを」。従来のハイブリッド車のイメージにとらわれることなく、自由に楽しんでいただけるクルマとなることを願って、このクルマは「アクア」と命名された。このネーミングにも「アクアは、環境性能だけでなく、デザインも含めたすべてにおいて新しいトライをするクルマである」という決意が表現されている。アクアはただ単に、プリウスを小さくしただけのクルマではない。また、コンパクトカーのサイズにハイブリッドシステムを搭載しただけのクルマでもない。初代プリウスは「21世紀のコンパクトセダンのあるべき理想の姿」を追求した結果、できたクルマであった。そしてそれを具現化するための手段としてパワートレーンにハイブリッドシステムが採用された。同様に、アクアは「2020年のコンパクトカーのあるべき理想の姿」を追求して開発された。ここでもハイブリッドシステムは手段であって、コンパクトなハイブリッド車を作ることが目的ではない。ハイブリッドシステムがもたらす圧倒的な燃費性能を武器に、世界で最も競争が厳しいコンパクトカー市場のど真ん中で優れた競争力のあるクルマを創り上げ、次の10年を見据え、コンパクトカーの革命を起こすようなクルマとなることを目指して開発された。その開発に掛けた熱い想いを聞くべく、小木曽聡チーフエンジニアをトヨタ製品企画本部に訪ねた。

自分の手でクルマを開発したい!

小木曽 聡
小木曽 聡
1961年生まれ。1983年トヨタ自動車入社。シャシー設計部で主にFF車のサスペンションの設計などを担当後、プラットフォームやシャシーの先行開発を経て、1993年、後に世界初の量産型ハイブリッド車『初代プリウス』の開発プロジェクトにつながる『G21プロジェクト』の立ち上げに参加。以来、初代プリウスから2代目、3代目、そしてプリウスα、プリウスPHVまですべての製品企画・開発に携わる。途中、iQの開発も担当。アクアの開発においても2007年の企画段階から一貫して開発責任者として開発を陣頭指揮。現在はこの他にもチーフエンジニアとして、次世代環境車(HV/PHV/EV/FCV)を担当。2011年4月より常務理事。
初代プリウス(1997年発表)

子どもの頃から機械やコンピュータが好きで、特にクルマは大好きでした。中学や高校の頃は本屋でひたすら自動車雑誌を片っ端から読みあさる。お金を持っていなかったのでほとんど立ち読みです(笑)。あの頃はどの雑誌がいつ発売なのかすべて記憶していましたね。ですから大学では必然的に自動車部に入部。クルマの改造やラリーに夢中になっていました。
自動車メーカーに就職するにあたっては「自分が好きなクルマに乗れなくなるかも?」と迷ったこともありましたが、やっぱり「自分の手でクルマを開発してみたい」という気持ちを捨て切れず、入社を決意しました。トヨタを選んだのは就活中に会った先輩技術者から伝わってくる社風が自分に合っているように感じたから。そして、ちょうどいま話題のハチロク(AE86型:カローラレビン/スプリンタートレノ)が4A-GEU型の新開発エンジンを搭載して、自分が入社する83年に発売されるということを雑誌のスクープ記事で見て知っていたので「よし、トヨタに入社してハチロクを買おう!」と決め、実際に入社後に購入しました。
入社してすぐに製品企画の仕事はできないことは分かっていたので、20代のうちはシャシー設計部でひたすら技術と経験の習得に努めました。そして30代になってからは徐々に、タイミングを図りながら「製品企画の仕事がやりたい」と声高に主張を繰り返していきました。そして93年には東富士の研究所に異動になり、新しいプラットフォームとシャシーの先行開発を担当することになります。自分では「あれ?製品企画じゃないんだ」と思ってたところに、飛びっきりのチャンスが巡ってきました。
それが後に初代プリウスの開発プロジェクトにつながっていく「G21プロジェクト」です。このプロジェクトは当初、「21世紀に向けた量販コンパクトセダンの姿を探る」という目的で立ち上がったものですが、最初から製品企画の部署の中に立ち上げるのではなく、その前に先行開発の部署で技術的なところを整理しようということになった。「さて、誰にやらせようか?」となったとき、ちょうど「製品企画がやりたい!やりたい!」とずっと騒いでいる若手がそこにいたわけです(笑)。自らも「スタディだけでもやらせてください」と志願し、プロジェクトに参加しました。そして3ヶ月間のスタディの後、内山田竹志さん(現トヨタ自動車副社長)をプロジェクトのチーフに迎え、製品企画の部署に正式にプロジェクトチームが発足しましたが、その後もずっとプロジェクトに残り、そして17年間、ずっとハイブリッド車の開発に携わってきています。その中で、かねてからの希望だった「自分の手でクルマを開発する」ということを、とにかくたくさん実現できました。幸せです。もう毎日がずっと面白くって、楽しかった。そして、その気持ちはいまでも全く変わりありません。

小木曽 聡
小木曽 聡
1961年生まれ。1983年トヨタ自動車入社。シャシー設計部で主にFF車のサスペンションの設計などを担当後、プラットフォームやシャシーの先行開発を経て、1993年、後に世界初の量産型ハイブリッド車『初代プリウス』の開発プロジェクトにつながる『G21プロジェクト』の立ち上げに参加。以来、初代プリウスから2代目、3代目、そしてプリウスα、プリウスPHVまですべての製品企画・開発に携わる。途中、iQの開発も担当。アクアの開発においても2007年の企画段階から一貫して開発責任者として開発を陣頭指揮。現在はこの他にもチーフエンジニアとして、次世代環境車(HV/PHV/EV/FCV)を担当。2011年4月より常務理事。
初代プリウス(1997年発表)

お客様はクルマ開発の大切なパートナー

私の座右の銘は「こだわり」です。すごく凝り性な性格なので、何か気になり始めたら細かいところまでどんどん気になってくる。そうなると、とことんまでやり尽くさなければ気が済まない。「諦めが悪い」ともよくいわれます。
だから、どんどん現場にクチを出しますし、とことんまでメンバーと議論を重ね、妥協することなく、お客様の求める理想の姿を実現できたと納得できるまでトライを続けます。もちろん、その分、自分の手足を余分に動かす労は惜しみません。こういうことを成し遂げるためには実務目線、現場目線、そして実際の現場でいろいろと試してみることが必要だからです。
たとえば、今回のアクアのインパネについている3.5インチ液晶マルチインフォメーションディスプレイの開発では、私はどうしても「スッキリ、キレイに、グラフィックを見せたい。ちまちましたものであってはいけない」と考えていました。しかし、トヨタのインテリアデザイナーを通じてサプライヤーのメーターのデザイナーにリクエストをかけただけでは、なかなかすぐには思うような画面デザインが出てきません。だから、自分でもレイアウトしてみる。「このパーツはこういう形にした方がいい」「画面の横の余白は1ビット以内にしよう」「画面の背景色は絶対に黒のまま。そうした方がボーダレスになって広く見える。フルカラー表現ができていろいろな色が使えても背景色は黒。それ以外は禁止」と具体的なやり取りを繰り返しました。仕舞には実際の画面デザインのデータを取り寄せて、自分で手直しを加えました。
また、このメーターは走行中に見るものですから、実際のクルマの運転席から見た時にどう見えるかが重要です。それを確認するためにいくつかの画面パターンを実寸大の紙にプリントしてそれを自分の運転するクルマのインパネに貼り付けてみる。そしてその状態で実際に走ってみたりして、見え方を確認し、さらに手直しを加えていきました。
こうしたこだわりのプロセスを経て、3.5インチ液晶マルチインフォメーションディスプレイの画面デザインはどんどん進化していきます。そして最終的にでき上がったものを見ると、みんなが一様に「すごくキレイ。見やすい」といってくれるものになっている。つまり、本当にいいものは、大上段に構えた開発の仕組みの中で、自動的にでき上がってくるわけではないのです。
こんなことを開発のいろいろな節目節目でやっていくので、「このチーフエンジニアはパワートレインや全体のパッケージだけじゃなくて、メーターの意匠にまでクチを出し始めたぞ。いったい、どこでまで求めてくるんだ?」と半ば呆れられることもあります。でも、こうしたこだわりの積み重ねによっていいものはできる。そして、それによってでき 上がったもの、それは最終的にはお客様にとっての利益になるわけですから、必ずお客様は喜んでくださる。とことんこだわって、やり続けると本当に喜んでもらえる。私はそのことをこれまでのプリウスの開発を通じて学びました。初代、そして2代目プリウスをリリースした時、世界中を飛び回って多くの販売店を回り、直接お客様と接する中で、そのことを実感し、経験として確信しています。
モノづくりには設計から生産技術、さらには営業まで、いろいろな人が関わっています。それゆえ、クルマのような大きなものを作る場合ではその工程が非常に複雑で煩雑になります。そんな中、ややもするとお客様のことを忘れてしまうことがあります。もちろんそれではいいものは作れません。お客様はクルマの開発パートナーでもあるのです。お客様目線で見直し、こだわり続けること。それによって、お客様に喜んでもらえるものになる。そうなれば、企業価値が向上するとまではちょっと言い過ぎかも知れませんが、トヨタにとっても、きっといいことになると思うのです。

フルスイングが人を育てる

人より早く出勤し、夜も遅くまで、昼夜クルマ開発のことばかり考えている。一方、お昼休みは毎日6~8kmのジョギングをするという小木曽チーフエンジニア

私はどんなクルマ開発のプロジェクトでもいつも「フルスイング」することを心がけています。同時に、開発メンバーはもちろん、設計や生産技術などかかわるメンバー全員にもそれをお願いしています。
常に、お客様にとって理想的と考えられる高い目標(それもちょっとやそっとでは到底到達できないような高い目標)を掲げ、みんなで知恵を絞り出し、全力で、総力を結集して挑戦していく。その目標達成には一人ひとりが、文字通り、渾身の力で振り抜く「フルスイング」が必要だからです。
たとえば仮に「100」という目標を置いたとします。クルマの開発の場合、それをいろいろな分野のたくさんの人が分担して「100」という目標を担います。もちろん、その場合、全員が「100」を達成できれば、理屈の上では全体でも「100」が実現できます。しかし、もしかしたら、いろいろな事情で、運悪く、誰かが「100」を達成できないかも知れない。実際のクルマの開発においては、十分に起こりうることです。そうなると、途端に全体での「100」は実現できなくなります。
だからこそ、一人ひとりが「100」で甘んじていてはダメなんです。力を余すことなく、すべてを出し切って、「110」「120」を実現していく。それによって、全体としてなんとか「100」を達成できる。だから全員に「フルスイング」を要望するのです。
ただでさえ、達成が難しい高い目標を掲げているので、その上、「120」なんてのは無理難題なのは十分承知しています(笑)。みんな最初は「えっ、」って驚きますし、「無理です、無理、無理、絶対に無理…」と口を揃えます。でも、無理と思えるような高い目標に対して具体的な道筋を立てながら一緒に取り組み続けていくのがプロジェクトリーダーである、自分の役割です。
これは先ほどお話した「こだわり」の継続と相通じる理由もありますが、実はもう一つ、自分なりに考えがあります。それは「フルスイング」することによって、エンジニアは技術的に成長するし、モノづくりの醍醐味を実感できる。つまり、「フルスイング」は人を育てるのです。
トヨタには熱い想いを持った意欲のある優秀なエンジニアがたくさんいます。しかし、大きな組織で複雑なプロジェクトを進める場合には、そのベクトル合わせがとても大変になります。ベクトルが揃っていないと、みんなが右往左往することになり、やり直しなどエネルギーのロスが随所で発生します。その結果、モチベーションが下がってしまう。
しかし、逆に、かなりこだわって無理をしてでも、高い目標を掲げ、開発の方向性を明確にし、みんなのベクトルを揃えることができ、それを最後までやり抜く(高い目標を実現する)ことができた時、みんなとても嬉しそうな顔をするんです。そして同時に、みんなが成長している。自分が手掛けた初代、2代目、3代目プリウス、iQ、そしてプリウスα、プリウスPHVではそうでした。だからこそ、「みんな大変な思いをしながらも、こんなこだわりの強いリーダーについてきてくれているんじゃないのか?」と思っています。もっとも、みんなが本当はどう思っているのか?は聞いたことはないので、実際にそうなのかどうかは確認したわけではありませんけど…。(笑)

人より早く出勤し、夜も遅くまで、昼夜クルマ開発のことばかり考えている。一方、お昼休みは毎日6~8kmのジョギングをするという小木曽チーフエンジニア

開発にあたって、「苦労」したと感じたことがない

2代目プリウス(2003年発売)
3代目プリウス(2009年発売)

私は学生時代から機械一辺倒。パソコンが趣味。普段はあまり笑わない。真面目で、つまらない、技術に詳しいかも知れないけど、あまり好きになれない、若い頃はそんなタイプのエンジニアでした。もともと内向的な性格ですし、人とのおしゃべりも苦手。周りの友人から「説明する時は、もっと笑えよ。そうすればもっと伝わるのに…」とアドバイスされることもありました。いわば技術一本で生き抜いていた感じです。でもある時、そのやり方に限界を感じ、「変わらなきゃ」と考えるようになります。
若い頃は、周りの仲間を巻き込みながらとにかく自分がひたすら頑張ればよかった。でも、2代目・3代目プリウスの開発となると、自分がリーダーの立場になったので、(もちろんそれでも自分は自分で、ひたすら頑張るのですが…)チーム作りということが仕事の大きなテーマになりました。そのため、こだわりの強い性分やオタクの部分は如何ともしがたいから仕方ないとして、少なくともメンバーがコミュニケーションをとりやすいようにしなければと努力するようになりました。もっと「オープン」に、コミュニケーションの敷居を下げる。「仲良く、明るく、和気あいあいと…」。そして、自分の得意な製品企画や技術領域では細部まで「鋭く」「厳しく」接していく。プロジェクトをよい方向に進めていこうとした時、自然とそんなスタイルになり、それが自分の役割なんだと考えて実践していきました。そして、現在ではそんな役割を演じるというより、すっかりそれが自分のキャラクターとして自分の中で定着しています。「厳しく」とはいえ、さすがに怒鳴り散らし、メンバーを怒り飛ばすようなマネジメントはできません。違う意味で「厳しく」「しつこく」そして「ダイレクトに細部まで突っ込んで」課題を指摘する。自分なりに「にこやかだけど、実は一番厳しい」リーダーだと自負しています(笑)
ジャーナリストの人たちから開発の振り返りの取材を受ける時、決まって「この車の開発の中で、一番辛かったこと、最も苦労したことはなんですか?」という質問を受けます。実はこの質問に対して、いつもかなり戸惑いを覚えます。なぜなら、ここでいう「最も苦労」の意味は、きっと「乗り越えられなくて最も苦しんだ、死ぬほど辛い思いをしたこと」であり、それがどれほど「たいへんで、辛かったか?」ということを聞きたいのだと思うのですが、私にとっては、そのことこそ、まさしく「こだわりまくって、高い目標を置いて、お客様の理想に近づく開発をおこなった。そこにはモノづくりの醍醐味、エンジニアとしての醍醐味がぎっしり詰まった、一番、楽しく、面白いところ」だからなのです。
一般に言われる「苦労」とは、私にとっては「こだわりまくってフルスイングした最高に面白い、楽しいこと」なのです。

2代目プリウス(2003年発売)
3代目プリウス(2009年発売)