レクサスRC 開発責任者に聞く(1/4)

“Sexy”なクーペが、レクサスを変える

草間栄一(くさま えいいち)
1983年トヨタ自動車入社。早稲田大学理工学部機械工学科卒。2003年までシャシー設計にてスープラをはじめとするプレミアムカーのサスペンション開発などを担当。その間、欧州に3年駐在し、欧州の競合車や交通環境を研究して車両開発に反映する業務に従事。製品企画の部署に異動してからは、マークXやレクサスHS250hなどの企画を手がけてきた。レクサスRCは開発初期から担当。趣味は合気道。4段の有段者。合気道の奥深さはクルマの走りと相通じるものがあるとか。
RC350“version L”

“AMAZING IN MOTION”のスローガンを掲げ、お客様の期待を超える驚きと感動を提供し続けるレクサス。そんなレクサスから待望のクーペが誕生した。「見るものを魅了し、誘惑する“Sexy”なデザイン」と「乗るものを情熱的にさせるAgile(俊敏)な走り」をコンセプトに開発されたレクサスRC。このレクサスのニューカマーはBMW4シリーズクーペやメルセデスベンツCクラスクーペ、アウディA5クーペなどジャーマン3のドイツ車を中心にライバルがひしめくニッチだがとてもホットな市場に、セダンの派生車ではなく、あえてクーペ専用モデルとして投入された。同時にLFAのDNAを継承するFシリーズとしてRCFも発表された。ここにレクサスの強い意思と覚悟が伺える。GSとISの中間に独立して位置づけられるこの新しい個性はレクサスブランドのエモーショナルモデルとして、「レクサスのイメージを変える」という大役を担うこととなる。

そんなエポックなクルマの開発を担当したチーフエンジニアはさぞかし尖った熱い人物に違いない。そんな想いを巡らしてトヨタテクニカルセンターを訪ねた。しかし、草間チーフエンジニアは予想に反して、じつに合理的で気負いのない自然体。いままでお会いしたチーフエンジニアとは少しタイプの違うリーダーだった。ただ、技術論やマネジメント論などの話の端々に、ロマンチックな職人気質や負けず嫌いの一面が垣間見えた。

日本のサスペンションを世界一に!

非日常感へ誘うクーペインテリア

トヨタのチーフエンジニアにはクルマが大好きで、話し出すと止まらないくらい熱く語る人がたくさんいますが、僕はそこまで熱い方ではありません(笑)。もちろん、サーキットを走るのは大好きですし、子どもの頃からクルマは身近にありました。いわゆるスーパーカーブームの中で幼少期を過ごしましたから、“普通”にクルマ好きです。ちなみに、最初に自分で買ったクルマはKP61。当時、ラリーの神様といわれていたオベ・アンダーソンがCMに出演していたFRのスターレットです。

大学で機械工学科に進んだのは就職でいちばんつぶしがききそうだと思ったら。そして自動車メーカーに就職したのは機械工学で学んだことを一番活かせそうと考えたからでした。ただ、どうせならナンバーワンの会社でやってみたいと思って、就職先にトヨタを選びました。ですから、トヨタのクルマが大好きだったとか、トヨタでクルマの開発をしてみたいという大志を抱いて入社したわけではありません。

そんな無粋な動機で入社しましたが一つだけ「これをやってみたい」と配属先面接で力説したことがあります。それは「シャシー設計にいって、ヨーロッパのクルマを追い越したい」という希望です。もっとも、それもトヨタに内定したとき、家庭教師先で「日本のサスペンションはヨーロッパのサスペンションにまだまだ追いついていないらしいよ」と教えられたのがきっかけでしたけど…。

そんな願いが叶い、晴れてシャシー設計に配属になりました。しかも配属先は当時、最先端のサスペンションを開発していたスープラMA70のグループでした。これは後で知ったことですが、僕が学生時代に専攻していた破壊力学はシャシー設計でも幅広く使われていて、ちょうどアルミのサスペンション開発を始めていたスープラのグループにぴったりハマったようでした。

以来、シャシー設計では約20年間、スープラやソアラをはじめ、センチュリー、クラウン、ハリアー、RX、クルーガなど、そして2003年に製品企画の部署に異動してからは初代マークXやHS250hなどさまざまなクルマを担当しました。たまたま家庭教師先で聞きかじった話がきっかけで抱いた「日本のサスペンションを世界一に」という大志ですが、いま改めて振り返ってみると、僕の会社人生は一貫して、これに挑戦し続けています。きっかけはともかくとして、やり始めるとハマって夢中になる性分なのです。そして、現時点での集大成がRCであることはいうまでもありません。