レガシィ、インプレッサ開発者、STI商品開発部部長 森宏志氏に聞く

ここ数年、国内市場で販売を牽引していた軽自動車が増税の影響を受けたことが響き、2015年上半期の新車販売台数は前年比マイナス11%と落ち込んだ。ただ、今年に限らず消費税導入前の駆け込み需要を除けば、ここ10年、自動車の販売が伸びていない。

そんななか、スバル(富士重工業)は5月に発表した2015年3月期決算は、売上高、営業利益、経常利益、当期純利益すべてにおいて増加し、国内外の売上台数も過去最高を記録した。「クルマが売れない」といわれる国内市場でも登録車が増加している理由は、“スバリスト”と呼ばれるスバルファンによって支えられていることが大きい。
特にスバルテクニカインターナショナル(以下、STI)が販売するコンプリートカーは400万円以上の値がつくものが多いにもかかわらず、あっという間に予定販売台数全てが完売するモデルが珍しくない。なかには発売当日のうちに販売を終了するモデルがあるほどだ。

「走りのスバル」の立役者のルーツは、航空機機体設計部門。半年足らずで、自動車部門の配属に

今回、話を聞く森宏志さんはSTIの商品開発部部長であり、過去に富士重工業でレガシィやインプレッサの開発に携わり「走りのスバル」という定評を盤石なものとした立役者として、とくにスバリストにはおなじみの人物である。

1981年4月、富士重工業に入社した森さんだったが、当初は航空機機体設計部門に配属された。当時、富士重工業は航空自衛隊の次期中等練習機計画(MT-X)に参加し、その採用を見越し多くの航空機技術者を募っていたのだ。

「子どもの頃からクルマだけでなく航空機にも興味があり、日本で航空機の仕事ができるのは特殊な会社だと思っていたので、航空機の技術者を募集していた富士重工業に入社しました。しかし、MT-Xは川崎重工業の設計案を採用したことから、わずか半年足らずの同年10月から、自動車部門に異動することになりました」

自動車部門に所属した森さんは、シャシー設計部に配属された。当時、スバルはレオーネに採用し好評を得ていたAWD(四輪駆動)を軽自動車のサンバーやレックスにも導入しようと動いていたため、それらの駆動系の設計開発を担当。その後、リッターカーのジャスティのAWD駆動系に関わるなど、主に軽自動車やコンパクトカーの足まわりに携わった森さんは、初代レガシィの開発に参加する。

初代レガシィに求めたのは、ハンドルを切っただけですっと曲がるクルマ

1989年にデビューした初代レガシィは、スポーティかつAWDの操縦安定性が評判となり大ヒット。とくに AWDにもかかわらずドライバーの意のままに操れるという、いまのスバル車にも繋がる定評を最初に受けたクルマだった。
ステアリング操作に対する車両の回頭性能を高めた初代レガシィの開発に森さんも大きく関わったが、そこには当時乗っていた1台のクルマが影響していた。

初代レガシィ

「運転免許を取得し最初に乗ったクルマは中古で買った三菱ギャランFTOでしたが、富士重工業に入社後、2代目レオーネのエステートバンに乗り換えました。スバル車で初めてターボを搭載した速いクルマで悪路走破性が高かった2代目レオーネでしたが、コーナリングは苦手でした。曲がるときは50mくらい前からフェイントをかけて曲がる。我々の仲間はみんなレオーネを購入しましたが、いいところがある反面、気持ちよく走るには足りないところが多いと考えていて、これをなんとかしなければいけないと初代レガシィの開発に取り組んだのです」

スバル・レオーネ

森さんをはじめ、当時の開発者が初代レガシィに求めたのはオンロードでも雪上でもどこでもハンドルを切っただけですっと曲がるクルマだった。そこで、オールニューレオーネと名乗った3代目から車体構造を含め一新することにした。

ポジティブ・キャンバーが強くドライブシャフトに角度がついていたレオーネはリアサスペンションがセミトレーリング式だったことも合わせアンダーステアがどうしても直らなかった。

そこで、サスペンションは四輪ストラット式に変更し、ジオメトリーはゼロからやり直した。アクスルも直接アクスルから間接アクスルに変更した。いずれも気持ちよく走れるクルマにするには必要な変更だった。
その結果、初代レガシィは、現在のスバル車すべての基本になる高い性能を有するクルマに仕上がったのだ。

車両開発の主査として4代目レガシィに携わり、日本カー・オブ・ザ・イヤーを獲得

その後、3代目レガシィの足まわりをまとめた森さんは、1999年に商品企画本部に異動し4代目レガシィの車両開発を主査として取りまとめを行うこととなる。
2003年に発表された4代目レガシィは、歴代モデルで初めて3ナンバーボディとなる一方で、約100kgの軽量化を実現。スタイリッシュな外観と相まって歴代モデルのなかでも、いまだに人気が高いモデルである。

「2代目レガシィに追加設定したGTBがヒットしたことで、日本のユーザーはスポーティなクルマを求めていることをはっきり感じていたので、4代目を担当するときはまず国内でベストなワゴンを作ることを目指しました。クルマを進化させていくうえで、世界基準で開発することに決めたのです。そこでターボ車だけでなく、燃費が悪くトルクもないため評価が良くなかったNAエンジン搭載車をますは楽しいクルマにしようと力を注ぎました」

これまで評価が低かったNAエンジンの性能をあげるために、エンジン開発部隊からのリクエストを受け、排気系は等長等爆エキゾーストマニホールドを採用するなど先代モデルから一新した。

軽量化のため高価なアルミパーツを採用するなど、プレミアム性が増したことなどで高い人気を博した4代目レガシィは、2003年の日本カー・オブ・ザ・イヤーを獲得するなど各方面から絶賛されるクルマに仕上がった。

4代目レガシィ

2代目インプレッサの開発責任者に就任。いまだから話せる、横置きエンジンの初代インプレッサ

2003年の東京モーターショーでレガシィ・アウトバックを発表するため会場にいた森さんに一本の電話がかかってきた。

「上司からモーターショーの会場に『インプレッサ(の開発担当を)やるよね』と電話がかかってきたのです。以前から、インプレッサはずっと関わりたかったので、すぐに承知しました」

森さんは2003年11月、2代目インプレッサのPGM(プロジェクト・ゼネラル・マネージャー/開発責任者)に就任。その後、3代目インプレッサWRXの開発全体を取りまとめることになるのだが、それ以前にも森さんとインプレッサは少なからず関係があった。

「いまだから話すことができますが、1992年に登場したインプレッサは、横置きエンジンでマルチリンクサスペンションを搭載した車体にすることを、初期の段階では検討していました。私は初代レガシィを担当した後、エンジン横置きレイアウトの足まわりを中心に先行開発をやっていたのです。結局、レガシィと全く違うシャシーや横置きエンジンを新規で作るのはリスクが高いと、初代インプレッサはレガシィのホイールベースを短くする方針になったので、私は3代目レガシィの開発に移りました」
いわば、幻の初代インプレッサに関わっていた森さんだったが、趣味であるジムカーナにも初代インプレッサで参加するなど、思い入れが強いクルマだった。
インプレッサのPGMに就いた森さんは、モータースポーツでちゃんと使えるクルマにすることに注力する。

2代目インプレッサ

3代目WRXは、WRCで勝つための5ドアハッチバック

当時、スバルはWRC(世界ラリー選手権)で活躍し、大いにブランドイメージを高めていた。ラリーで勝つことことに、会社一丸で取り組んでいた。
インプレッサが3代目となり、WRX STIも2007年10月にモデルチェンジされたが、従来セダンをベースにしていた同車が5ドアハッチバックとなったが、ファンやユーザーは驚きを持って受け止めた。

3​代目インプレッサ

「なぜ5ドアなのか、という声は当初あちこちからあがりましたが、初期スケッチの段階からWRCで勝つために5ドアでいくことを決めていました。当時、スバルワークスチームのドライバーだったペター・ソルベルグの、『セダンの後ろ(トランク)はいらない、前後オーバーハングはゼロでいい』という意見などを元にしたのです。当時のライバルだったシトロエン・クサラやフォード・フォーカスに勝てないと意味がなかったですしね」

残念ながら、スバルは2008年にWRCを撤退してしまうが、WRXの人気は衰えるどころかより一層増していく。それは、森さんの「走る」「曲がる」「止まる」ことに妥協しない、というクルマ作りにおける信条がユーザーに浸透していったからではないだろうか。

「3代目WRXの開発に着手したときハッチバックボディでいこうと決めたと共に、安定性を高めるためリアサスペンションをダブルウィッシュボーンにすることを決めていました。サスを変更しリアのグリップが上がりましたが、そうなるとフロントのグリップも上げることができます。クルマをロールさせてもタイヤのグリップがちゃんと出るように使えるようになると、サスをガチガチに固める必要がなくなるのでしなやかに走らせながらもグリップが最大限稼げるので、タイヤの接地がよくなり乗り心地も良くなったのでみんなが不思議がりますね(笑)」

STIが目指すのは、お客様からいつまでも乗っていたいと思うクルマを開発すること

現在は冒頭に述べたように、STIの商品開発部で各カテゴリーのスバル車のコンプリートカー開発の取りまとめを行う森さんに、クルマ作りのこだわりや開発のポイントを聞いた。

「目指すのは、お客様からいつまでも乗っていたいと思うクルマを開発することですね。具体的には試乗したとき、関東から九州までこのまま行っちゃおうか、と思うくらい乗っているときが楽しいクルマです。乗って楽しいクルマというのは、走行性能をあげるためサスペンションを固めた結果、疲れてしまうとか悪路で走ると横っ飛びして、接地がなくなるような安心して走れないクルマではありません。雨が降っていようと台風であろうと、安心して走行でき、ハンドルを切ったらスパッと曲がる。そういうドライバーの意のままに動くクルマだからこそ、長く乗っていたいと思うはずなのでそういうクルマをずっと作りたいと思っています」

原則、ディーラーで試乗することができないSTIのコンプリートカーが完売するのは、森さんの思いをユーザーが理解し、浸透しているからだろう。
低迷している国内自動車市場で売れるクルマを作るためには、作り手の思いがユーザーに伝わるクルマを作ることが一番必要なのかもしれない。森さんのクルマ作りに対する想いは、そう思わせるほど深かった。

(文:手束毅 写真・小林和久/富士重工業)

[ガズー編集部]