元トヨタソアラ開発主査、岡田稔弘氏に聞く
クルマを移動手段として購入する人が圧倒的に多くなった現代では信じられないかもしれないが、かつて老若男女が憧れを抱く国産車が存在した。高性能と豪華さを合わせ持つラグジュアリー・クーペとして1981年に登場したソアラは、まさにそんな一台だ。
- 1981年に登場した初代ソアラ。高性能とラグジュアリーを合わせ持つ高級クーペとして、多くの人びとが憧れた
発表当時はどの国産車もなしえなかった欧州車に匹敵する高速性能を備えたうえ、豪華な内外装を身にまとったソアラは年齢性別を問わず、幅広い層から熱いまなざしを向けられた。
ソアラはコンセプトそのままに、4代目までモデルチェンジしたが、国内でレクサスチャンネルが発足した2005年にレクサスSCへと発展しブランドは消滅する。しかし、ソアラは日本車の歴史に名を刻まれるクルマだったことは間違いない。
そんなソアラの初代から3代目までの開発主査を務めたのが岡田稔弘さんだ。
デザイナーとして入社し、ボンドカーのデザインを手がけた
当時はまだトヨタ自動車工業だった1959年に入社後、技術部・工芸設計課、のちのデザイン部へ配属された岡田さん。そう、トヨタにはデザイナーとして入社したのだ。
- お話を聞いた、元ソアラ開発主査の岡田稔弘さん
「私は京都工芸繊維大学の工芸意匠学科で学んでいました。3年生になったある日、クルマ好きの工業デザイン専攻の学生を探しにトヨタの人事部とデザイン部門の代表の方が学校に来られたのですが、そのとき下宿で寝ていた私は『すぐに大学まで来い!』と大学のスタッフに起こされ、面接を受けました(笑)。その後、4年生の夏休みに、トヨタ本社のデザイン部門で夏期実習に参加したことがきっかけとなり入社しました」
入社後、最初に担当したのは初代クラウンのマイナーチェンジだった。丸みを帯びていたリアテール部がマイナーチェンジでシャープな形状へ変わったが、その形状に合わせ新しいサイドモールをデザインすることが最初の仕事だった。
その後、パプリカ(初代)やコロナ(2代目)などを担当。また、アメリカのカルフォルニアにあるクルマのデザインを専門教育する学校だったアートセンター・カレッジ・オブ・ロサンゼルスでデザインのテクニックを学ぶなど、カーデザイナーとしてのキャリアを重ねた岡田さんはトヨタ2000GTにも関わることとなる。
「当時、デザイン課はトヨタ本社にあったのですが、三河の田舎にデザイナーがずっと閉じこもっていたのではいかん、ということで、当時、日比谷にあった東京支社の中にデザイン分室を作ってもらい、そこに私は勤めていました。そこに、トヨタ2000GTのプロジェクトリーダーだった河野(二郎)主査が、たしか昭和41年の秋だったと思いますが、やってきて『映画007の撮影チームが日本に来ている。2000GTをボンドカーとしてもらうために売り込みに行くからおまえもついてこい』と、プロデューサーに会いに撮影チームが宿泊していたホテルニューオータニへ行ったのです。最初、すでにボンドカーはシボレー・カマロに決まっていると断られたのですが、河野さんが2000GTの写真を見せながら『日本が舞台の映画(007は2度死ぬ)なのだから、ぜひこのクルマをボンドカーにしてくれ』と売り込むと、相手がなかなかいいクルマだなと反応してくれたのです。ただ撮影の都合上、オープン仕様が無いと無理だと返され、『撮影が始まる1ヵ月半までに作ってくれば採用してもいい』という話になりました」
- 岡田さんが一週間でデザイン画を描き、1ヵ月半で製作したトヨタ2000GTのオープン仕様。
映画『007は2度死ぬ』でボンドカーの座を射止めた
クローズドボディからオープン仕様を作るには、デザインの変更だけではなく、屋根を切ったことで失われるボディ剛性を補強するために、本社の正規ルートではとても先方の要望する期間内でのオープンボディの製作は不可能だった。
そこで当時、レース用の車両を手がけていたトヨペットサービスセンター(現在のトヨタ・テクノクラフト)へ車両を持ちこみ、まさに突貫工事で2000GTのオープン仕様を完成させたのだ。
「トヨペットサービスセンターは、図面が無くても口頭で説明すればクルマを作ってくれる職人がいるグループでした。河野さんが依頼すると『やりましょう!』と快く引き受けてくれ、私がデザインを担当することになりました。本来はちゃんと1分の1のモデルを作り、線図を書いて、という行程が必要なのですがそれを全部簡略化しました。急いで書いたスケッチと5分の1の線図を持ちこみ、東京支社から工場があった綱島(神奈川県横浜市)まで毎日通いました。
ボディの補強は、すぐやれるところだけの応急処置で、幌については後部に格納されているように見えるだけのダミーで完成させました。」
苦労して仕上げたオープン仕様の2000GTは、日本を舞台にジェームズ・ボンドが活躍する映画『007は二度死ぬ』(1967年公開)のボンドカーとして無事採用された。劇中では女優・若林映子さん演じるアキの運転でボンド(ショーン・コネリー)を助手席に乗せカーチェイスを繰り広げている。
製品企画室へ異動。そしてソアラ誕生に繋がるプロジェクトに参画
2000GTに携わった後、デザイナーとして活躍していた岡田さんに転機が訪れる。それはデザイン部から製品企画室への異動だ。
「ある日、デザイン部の部長から『おまえはデザインだけではなく、走りやメカニズムに興味があるらしいから、製品企画室に行って勉強してみないか?』と言われたのですよ。入社以来、約17年間デザイン部で仕事をしていましたが、たしかに新米デザイナーの頃からレースが好きでクルマの運転や走行性能などに興味があったので、『はい』と返事をしました」
製品企画室に移った当時は「国産車の暗黒時代」とも呼ばれる厳しい排出ガス規制に対応することでどのメーカーも必死だった。もちろんトヨタもその対応に追われていたが、そういう時代ではありながらも規制をクリアした後を見据えた新しい高性能車の開発を始めることとなった。それが初代ソアラ誕生に繋がることになる。
- 初代ソアラの開発秘話を熱く語る岡田さん
「クラウンクラスの車格を持ったスポーティなクーペやスペシャリティカーがトヨタには要るのではないかという発想が社内にありました。そこで、当時、私が担当していたマークⅡのチーム内で自主的に考えてみようとなったのです。高性能スペシャリティカーという枠内で、具体的な構想作りをしなさいと指示をいただき、私をヘッドに3名でプロジェクトがスタートしました。後にそれがソアラになったのです」
こうして開発がスタートしたソアラだったが、岡田さんがとくに重視したのは「ドイツのアウトバーンを時速200kmで巡行できるクルマ」。時速200kmで巡行するには最高時速は250kmを出せる動力性能や、高速走行に対応できるブレーキ性能や安心して走行できるハンドリング性能にもこだわらないといけない。
社内は排ガス規制一色の中、スタートしたソアラの開発は苦労の連続だった。
「当時、日本の市場では『技術の日産、販売のトヨタ』と言われていたのですが、開発部門の我々にとって、このキャッチフレーズは、悔しくてしょうがなかったのです。
いつも私の頭に中にあったのは、ヨーロッパの高性能車、BMWやメルセデスベンツに追いつき、追い越すクルマでした。当時、トヨタは“高品質のクルマを安く提供する”という点では、かなりいい線まで到達していたと思いますが、“高速走行性能”という点では、彼らにかなり遅れを取っていたと思います。
具体的にわかりやすく言えば『時速200㎞で巡航できるクルマ』の開発です。クラウンやマークⅡの基本ユニットを使い、スタイルだけクーペに仕立てるのでは、開発費こそ抑えられますが、この目標を達成するには難しかったのです。」
そこで、専用のサスペンション、ブレーキ、またラック&ピニオン式のステアリングを新しく開発。またエンジンは当時、エンジニアが自主的に開発を進めていた直6ツインカムエンジンを自らが見つけ出した。
- 初代ソアラに搭載された5M-GEU型2.8リッター直6ツインカムエンジン。最高出力は170psを発揮していた
「当時あった既存のエンジンだと目標としていた性能に達しないため悩んでいた時、ふらっとエンジンの実験棟に行ったら1台変なエンジンがあったんですよ。その形状から一見、V12エンジンかと思いました。担当者に聞いてみたところ『5M型エンジンをDOHCにしたものだ』と言うのです。ただV12に見えるのが不思議だったのでそれについても質問したところ『(エンジンの)ヘッドをV型に左右で分けた』と。普通のエンジンはヘッドが一体だから、なるほどなあと。そこでエンジン担当の部長にソアラに搭載する専用エンジンにしたいから、エンジン部門の自主開発ではなく、製品企画室を通して正式な開発にしてもらうようお願いしました。このエンジンは最高出力が170psと、今では驚くほどの高出力ではないのですが、当時としては圧倒的でした。このエンジンなら時速200km巡行がやれそうだなと思いました」
まさに、1から全てを開発した初代ソアラは1981年2月に誕生した。初代ソアラは動力性能だけでなく、最上級グレードの「2800GTエクストラ」には専用2トーンボディカラーに合わせるため、当時国内では生産されていなかったブロンズカラーのガラスをフランスのガラスメーカー、サンコバン社からわざわざ輸入するなど随所にこだわり抜いたクルマだった。
ソアラの車名は同業他社から権利を購入した!!
従来になかった性能をひっさげ登場した初代ソアラに多くの人が注目したが、さらに加速したのが1986年に登場した2代目ソアラだろう。
- 初代登場から5年後の1986年に登場した2代目ソアラ。見た目こそ初代の面影を残すが、あらゆる性能が進化している。
発表当時、バブル経済直前でイケイケだった日本において、あらゆる面で進化しさらに豪華になった2代目は市場で熱狂的に受け入れられたのだ。
「2代目を見た多くの人から『代わり映えがしない』と言われましたが、ひと目でソアラとわかるアイデンティティだけは変えなかったんですよ。これは最初からデザイン担当者に理解してもらっていました。ただ、それ以外のエンジンやサスペンションなどクルマの中身はがらっと変えたんですよ。普通のモデルチェンジではなく、他車が追いつかないような一歩飛び抜けたクルマにしてやろうと」
もちろん変えたのは機能だけではない。インテリアなども大きく進化している。その中でもとくに特質していたのが最上級グレードに採用されたグランベールインテリアだろう。
- 2代目ソアラの最上級グレード「3.0GTリミテッド」に装備されたグランベールインテリア
「インパネはいくら黒くしても、条件次第では反射してガラスに映り込んでしまいます。映り込みをなくすにはマットなスエード表皮を使用することだったのです。欧州のモーターショーでたまたま見つけたドイツのベネケ社製の表皮を輸入し、現在では一般的ではない真空成形であのインパネに仕上げました。初代では原価企画(目標原価を達成させる管理活動)に泣かされましたが、2代目は初代の実績があったおかげで、なにをやるにも理解してもらいやすかったですね。
でも、ベネケ社のスウェード表皮は他の車種に波及しませんでした。やはり、コストが高すぎたのかなあ(笑)」
- 1991年に登場した3代目ソアラは、海外のレクサスチャンネルで販売を開始。シリーズ初となる海外販売モデルとなった
その後、登場した3代目の開発主査も務めた岡田さん。そんな岡田さんがいまだから話せるソアラについての衝撃的な裏話を語ってくれた。
- これまであまり表に出なかったが、ソアラという車名は商標を某社から買い取って命名されている
「じつはソアラという車名をつけるにあたり、商標を自動車メーカーの某社から買っているのですよ。社内の知的財産部は問題ないと判断していたのですが特許庁は某社が持っていた太陽を意味する『ソーラー(solar)』と発音が似ているからダメだと。当時、ソアラの他に“フェニックス(不死鳥)”、“メキラ(日本の仏像の十二神将の一つ)”が車名の候補に挙がっていたのですが、最上級グライダーを意味するソアラがクルマのイメージにもの凄く合っていたのです。そこで某社から権利を買おうと交渉したのですが、最初は断られました。しかし、私にはソアラを諦めることができずに、写真やデータを持参し2回目の交渉に参りました。そしてようやくソアラという商標を譲り受けることができました」
そこまでして名づけたソアラの名前が2005年に消滅してしまったが、そのときの岡田さんはどう思ったかを聞いてみた。
「それは残念でしたよ。何より『高性能』と『エコ』の両方のイメージを持っているのですから。名前がいいでしょ。今度、豊田章男社長に会う機会があったら『ソアラという名前をもう1度、復活させてもらえませんか』とお願いしようかと思っています(笑)」
トヨタ在籍中から、とくにポルシェ911が好きで長年、930型ポルシェ911を乗り続けた岡田さん。最後に初代や2代目ソアラが登場していた当時と比べ元気がない国内の市場を盛り上げるにはどうすればいいかを聞いてみた。
- 岡田さんと現在の愛車、ポルシェ・ケイマン。岡田さんはトヨタ在籍時から、ポルシェ911に乗っていたという
「トヨタはこの10数年、エコカーや環境先駆車の開発においてかなり頑張ってきたと思います。ハイブリッドカーや燃料電池車の市販化は世界で初ですよね。エコカーの先進的な技術を持つことは良いイメージなのですが、残念なのはスポーツカーが少なくなったことです。
トヨタはこれだけ大きくなり、リーディングカンパニーになった今、儲からなくても作らないといけないクルマがあると思うんですよ。それはセクシーなスタイルの高性能スポーツカーだと思います。現、章男社長のクルマ好き、レース好きは半端じゃありません。きっと近い将来、セクシーなスタイルの高性能スポーツカーが出てくることと期待していますよ(笑)」
(文:手束 毅 写真:小林和久)
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