哲学のススメ …安東弘樹連載コラム

新年度、いよいよ非サラリーマン生活が始まって、意外に忙しい日々を送っている安東でございます。今年度も宜しくお願いいたします!

突然ですが私、とても好きな番組があります。NHK BSにて不定期で放送中の「地球タクシー」という番組。世界各国、主要都市で走っているタクシーにディレクターが普通に乗り、取材交渉をして承諾を得られたドライバーに街を車で案内して貰いながら、話を訊く、というドキュメンタリー番組です。

休憩時間に一緒にお茶や食事をして、話を訊く場合も有りますが、走っているタクシーの中でのインタビューが中心です。それぞれの国でタクシーに使われている車を観るだけでも楽しいのですが、何より、その世界各国のドライバーの皆さんの話、言葉が一つ一つ、胸に刺さるのです。

これまで、ニューヨーク、ローマ、プラハ、バンコク、上海、台北、ブエノスアイレス、サンクトペテルブルク、バルセロナ、リスボン編等が放送されていますが、ドライバーの言葉に、いつも感銘を受けるのです。

私が胸を打たれるのが、彼らの根底にある、“哲学”に触れた時です。一番最近、観たのがバルセロナ編ですので、それを中心に彼らの言葉を紹介すると…。

あるドライバーは、「タクシードライバーをやっていて、辛い時や辞めたいと思った事は有りますか?」と訊かれ、最初は、その質問の意味すら分からない、という表情でしたが、暫く考えて出てきた言葉が、「辞めたいと思ったことは無い。お客さんとの話は楽しいし、今のシンプルな生活にとても満足している。人間は、もっともっと…と思ったらキリがない。変な欲が無いから幸せ。辞める理由が無いよ」

また、他のドライバーは同じ質問に対して「僕はラッキーだから、色々なお客さんに恵まれている。大好きな“バルセロナ”(サッカーチーム)の会長も乗せたし、あのネイマールの妹も乗せた事がある」ここまでは有りがちな話ですが、話は続きます。「妻も美しくて素晴らしい女性なんだ」“ラッキー”を連発するドライバーにディレクターが、こう訊きました。

「どうしたら、そんなラッキーを呼び込めるんですか?」
ドライバーの答えは、こうでした。

「僕はイスラム教だけど、全ての宗教、人種、思想の人もリスペクト(尊敬・尊重)している。すべては愛だ。私はテロリストではないし、暴力を憎む。他者へのリスペクトを忘れなければ、幸運はついてくる」この辺りで、もう私の頬を涙が濡らしていました。

更に、彼は、こう続けます、「バルセロナでテロが起こった時(2017年8月17日に起こった車の暴走によるテロ、100人以上が死傷。ISILが犯行声明)我々イスラム教のタクシードライバーは、帰宅困難な人を無償で自宅に送り届けた」、やはり「全ての人をリスペクトしているから、そうした」と、彼は答えました。

そして彼は、信号待ち等で隣に停まったタクシードライバーに、窓を開けて相手が知り合いでなくても、「元気?仕事はどう?」と話しかけます。そうすると難しい顔をしていた相手のドライバーも、笑顔になって「まあまあさ」と答える。それだけで何か暖かい空気が流れます。それも、他者に対してのリスペクトが理由での行為だそうです。

また、ある女性のドライバーは最近、離婚をして、ロンドンに住んでいる子どもを心配させない様に、タクシードライバーをして自立しているそうで、ディレクターが「再婚はしないのですか?恋人は?」と訊くと、笑って、バルセロナを一望出来る、高台に連れていき、「多くの人はバルセロナに恋をするの」と言い、恋の相手は人とは限らない。と話を締めくくりました。

なんと、素敵な言葉でしょう!彼らは、ごく普通の、市民であり、思想家でも哲学者でもありません。

また中国、上海のドライバーは、日本人を乗せているからか、こう切り出します。「日本人は我々中国人が皆、日本人を嫌っていると思っているようだけど、それは誤解だ。我々は戦争が嫌いなんだ。要は人と人。今、あなたが私を尊重してくれているのが分かる。だから私はあなたを尊重する」。

お世辞にも、綺麗な服装をしている訳ではない、そのドライバーはディレクターの目を見て、こう、ハッキリと言い、その後、眼差しを遠くに向けました。この時も涙を止める事が出来ませんでした。ニュース等では絶対に伝わってこない、市井の人々の生の声。これがこの番組の魅力です。

勿論、ディレクターが嫌な思いをした時の事は放送しないのでしょうし、海外のタクシーで酷い目にあった方は反論もあるでしょう。日本のタクシーは世界一、安心、安全であると。しかし、少し違った観点でのお話ですので、もうしばらく、お付き合いください(笑)。

話を戻すと、少なくとも番組で紹介された“普通のドライバー”の言葉の一つ一つに心を揺さぶられるのは何故なのでしょうか?そこで今回のコラムのタイトルの話です。ご紹介したバルセロナでタクシードライバーをしている方達の言葉を聞いて、皆さんは、どの様に感じるでしょうか?

文化や習慣の違いは有るでしょうが、胸に響きませんか?そして哲学的でロマンチックとすら感じませんか? タクシードライバーに関わらず、私も含めて、今の日本人からは、何故か、こういう言葉が出てこない。

私の尊敬する白洲次郎は「プリンシプルのない日本」という著書で、日本人について、こう書いています。日本人は自分自身のプリンシプル(原則、思想、哲学)というものを持っていない。持たない様にされてきた。為政者や実権を握っている者に何も考えず追従してきた。という内容です。

確かに狭い集落や村の中でトラブルなく何となく、うまくやっていくのには、その方が便利なのかもしれませんが、今後ますます経済も社会もグローバル化し、国内の市場も確実に縮小していくなかで、日本人一人一人が、その様な性質では、世界の中で国として生き残れなくなっていくのではないかと私は危惧しています。何より一人一人の人生に“彩”が無くなります。

もう一人のバルセロナのタクシードライバーの言葉を紹介します。

彼はスペインからの独立か否かで揺れるカタルーニャ人で、友達の中には独立派も非独立派もいるが、いつも喧嘩ではなく、建設的な議論をしている、と言い、「話し合いこそ、解決の道だ」と断言しました。

その上で、独立紛争や過去の政権による圧政等で亡くなったカタルーニャ人の共同墓地にスタッフを案内し、「ここは“人生の書物”の様な場所だ」と呟く。やはり哲学的です。翻訳によるものなので、正確に、どのような表現を使っているのかは分かりませんが、言葉にも、その表情にも引き込まれてしまいました。

何故、“普通の”市民から、胸を打つ、哲学的な言葉が出てくるのか。背景には、多くの紛争や民族対立の問題に直面している緊張感の中に生活がある、という事も有るでしょう。唯、私は、教育の違いが決定的にあるのではないかと考えます。

日本の教育は、国語算数理科社会、と言われるように知識を教える事に特化されています。今、話題になっている道徳教育も、「人として、こう有りなさい」と上から教えるもので、考えさせる教育は決定的に欠けている様に思えます。

人間とは何か、自分とは何者であるか、社会との関係は?答えが一つではない根源的な問いを“考えさせる”手引きが無いのです。歴史的な背景も有るのでしょうが、日本の教育において、宗教や思想に関する内容は避けられています。歴史は学びますが歴史観について議論する事もありません。

先の大戦についても、同じ敗戦国のドイツがナチズムも含めて、十代の前半からその意味について徹底的に議論をする教育がなされているのに対し、日本では年号と出来事だけで済ませます。哲学というものは議論を通じて他者の意見を聞きながら、自分はこう思う、というやり取りからも育ってくるものです。自分や他者に向き合って人間の根本を考える“哲学”というものは、少なくとも小学校の高学年位になったら「教える」のではなく話し合う機会が有っても良いのではないでしょうか。

どうしてこのコラムでこの事を書くかと言いますと、この哲学の有無がクルマ作りにも反映されているのではないかと考えたからです。私はここ10年以上、輸入車ばかりに乗っています。

ステイタスシンボルとしてのクルマには興味が無い私が、なぜそうなるのか、地球タクシーを観て、改めて気付かされたような気がします。

私がイタリアのコンパクトカーに乗っていた時、久し振りに(敢えて書きますが)先代のプリウスに乗る機会が有りました。外観も、良く言うと近未来的でクールなのですが、暖かみを感じられないと思っていましたが、乗って久し振りにインテリアを見た瞬間、思わず、溜め息が出ました。あまりに無機質だったからです。

色はシートも含め、基本的に全て灰色。機能を考えたら、こうなりました。とインテリアが機械的に話しかけて来るようでした。

私がその時多くの時間を共にしていたイタリアの小さな車は、目の覚めるような黄色の外装で誰もが笑顔になる円を基調にしたデザイン。内装も何種類もの色がバランス良く配色されていて造形も楽しく、乗りこむ度に笑顔にさせられていました。他の人を乗せた時には必ずデザインを褒められる車でした。一目見て感想を言わない人は一人もいなかったと記憶しています。

何故誰もがこの車の形に惹かれるのか?それはデザイナーの、「車は楽しい物でなければならない」という“哲学”を感じるからではないでしょうか?しかも、この車、ヨーロッパでは所謂、大衆車で特別な車ではありません。本来、日本人は繊細な美意識を持ち、感性も豊かな筈です。

もし、その素養を教育がスポイルしているのだとしたら、早急に教育に“哲学”を導入すべきだと考えますが、如何でしょうか?

私は5歳~6歳の時、スペインで2年間ほど、暮らしていましたが、その時の近所の人たちの人懐っこい笑顔や、とにかくやたらと話しかけてくる声、街の豊かな色彩を覚えています。彼らは決して豊かではなかったのですが、全員が人生に一家言を持ち、毎日とにかく楽しそうでした。

勿論、現在一部を除いて、経済危機やテロなどヨーロッパ各国は問題山積です。しかし、日々を生きる人々の哲学は消えていません。将来教育が変わって、勤勉さに哲学も加わった日本人が作るクルマ、見てみたいものです。

安東 弘樹

[ガズー編集部]

MORIZO on the Road