ゴーン氏の功罪 …安東弘樹連載コラム

現在、自動車関係の話をする時に、この話題を避ける事は出来ないと考えて、今回は敢えて言及したいと思います。

日産自動車のゴーン会長(当時)が金融商品取引法違反の容疑で逮捕されました。先日行われた日産社長の会見や、その後、報道されたコメントからは、これまで我慢してきたが、いよいよ腹に据えかねた、という日産幹部の“想い”が伝わってきました。

私の第一印象は「極めて日本的」というものでした。どういう事かと申しますと、何故、ここまで“被害”が膨らむまで「我慢」してきたのか私には理解できないからです。社長の会見からは「寝耳に水」というスタンスで「憤り」という言葉が出てきましたが、ゴーン氏、ケリー氏等に騙されていたという意味でしょう。

唯、有価証券報告書の虚偽記載が本当として、これまで日産として誰も疑問に思わなかったのか、が疑問です。これは「権力が集中していたから、誰も気付かなかった、もしくは何も言えなかった」では済まされません。「日本的」と私が思ったのは、自分の上司には疑念や異なる意見が有っても、進言、上申を、してこなかったのだな、という事を感じたからです。特に相手が外国人だからなのか、世間の風潮も日産幹部ど真ん中である社長に対して賛辞の声が多いのに驚かされます。

日本人幹部と外国人幹部の対決の様に問題が短絡化している事に危機感を覚えるのは私だけなのでしょうか。

今回は、捜査に協力する代わりに、他の者への処罰を軽減、もしくは免除する“司法取引”が行われたとされています。

何故、そこまで感情も事態も悪化するまで日産社内で自浄作用が働かなかったのか。

社員時代、上司に対して様々な意見や場合によっては暴言と言えるような発言も含めて反抗をしてきた自分には本当に理解できません。TBSは社員数1600名前後とメガ企業ではありませんが社員以外で実際に働いている人の数や規模で言えば中小企業とは言えない会社だと思います。その中で私の場合、反抗的行為によって会社から何らかの報復を受けた事は無いと信じています。TBSの寛容性やアナウンサーという仕事の特殊性もあるとは思いますが、意見に正当性が有れば、当該者を不当に扱う事は、特に大きな会社にとってはリスクも有りますので、過度に恐れず正しいと思った事は声を上げるべきだと私は信じています(私の場合は事案が小さい事でしたので、偉そうな事を言うのは烏滸がましいですが、精神性の問題です)。

ですから、内部告発する様な状況になる前に、「これはおかしい」、と止めるのも部下の務めだと私は確信しています。日本企業の場合、どうしても“絶対服従”の雰囲気がこの21世紀のグローバル社会になっても残っているのが残念です。物を言わないのは、その行為や方向性に賛同したのも同じと言われても仕方がないのではないでしょうか?会見で語られた「権力集中の弊害」というのも日産自体が、それを許してきた訳ですから、残念ながら、その責任は会社全体にあると言わざるをえません。

私は個人攻撃をしたい訳ではなく、日本の企業に蔓延する“上に何も言えない”という精神性を変えるべきだと申し上げたいのです。

東京地検特捜部は今後、法人として日産自体の立件も検討しているという事なので、そこにも注視していきたいと思います。

さて表題の“功罪”についてですが、罪の方は容疑が本当であれば、これは文字通りの「罪」なので語る必要はないですね。本当であれば罪を償ってもらいましょう。

では「功」の方は、何と言っても日産の奇跡のV字回復をもたらしたという事なのは言うまでもありません。コストカッターの異名の通り当時2万人以上の関係者が解雇されました。ゴーン氏を恨んだ人も多いでしょう。

唯、そこまでしなければV字回復は無かったのは間違いなく、日本人経営者のままであったら、ズルズルと同じような手法のままの経営で低迷が続き、今、日産という会社は無かったかもしれません。当時の日産を救った事に異論を挟む人はいないでしょう。

そして、クルマ好きとしてはゴーン氏の最も大きかった功績が日産の“スポーツカー”を救った事です。所謂“35GT-R”はゴーン体制でなければ間違いなく誕生しなかったと、当時の開発責任者の方から、直に伺ったので間違いないでしょう。細かい事は、その方との信頼関係に関わってくるので申し上げられませんが、思わず「成程!」と頷く事ばかりでした。同じく日産のスポーツカー、「フェアレディZ」すら、ゴーン氏が来なければ今は、消滅していたかもしれません。

もしこの両車が無かったら、日産の特に海外での存在感はかなり薄くなっていた筈です。特にGT-Rに対する海外での敬意は驚く程で、正に憧れのクルマとして世界のスーパーカーと比肩されています。

日本人経営者では、当時、巨額の経費を使ってGT-Rを生み出すという判断は出来なかったでしょう。

海外メーカーのトップの報酬が高いのは、大きなリストラクション(再構築)を個人の名前で断行するリスクを背負う事への対価が含まれているのだと思います。

日本企業の場合、トップの名前が大きくイメージされる事はありませんが個人名の存在感が大きい場合、場合によっては命を狙われてもおかしくないのが海外の大企業のトップで、更に芸能人以上の知名度により、私生活にも支障はあるでしょう。実際に少なくとも公表されているゴーン氏の報酬額は他の自動車メーカーのトップと比べて高額とは言えません。
(唯、容疑が本当であれば、何故、そこまで富を求めたのかは私には到底、理解出来ませんが。)

リストラというと日本では主に「解雇」の意味で使われますが、本来は単語の意味の通り、企業を、これまでの慣習に囚われず「作り直す」事で、GT-Rをつくらせるのもリストラの一つです。

今回の事件(刑事責任を問われているので)からは様々な事を考えさせられました。日本企業の体質の事、剛腕と言われる人に中々モノが言えない日本人の性格、(長いものに巻かれるという諺が示す通り)そして、世界のクルマメーカーの構成が大きく変貌して来た事による様々な問題。特に欧米では、ある企業の幹部が、次の日からは多額の報酬を得てライバルメーカーの幹部になる事も珍しくありません。そこに違和感を覚えないのが欧米文化です。いつでも自分の力を認めてくれる場所が有れば、そこに移るのは当然の事です。その文化と、忠誠を美徳とする日本企業文化とは違い過ぎるのかもしれません。

勿論、ゴーン氏の“会社の経済的私物化”が本当であれば文化の違い以前の問題ですが、欧米企業の場合、トップが全ての判断をし、全ての責任を負う代わりに“個人の物”というニュアンスが強いのも確かです。

さて、ゴーン氏は日産や日産のスポーツカーを救ってくれた救世主だったのか、金の亡者だったのか、残念なのは恐らく、その両方であった、としか現状は言えません。

最後に…。

私は学生時代、日産のクルマが好きだった事から販売店でアルバイトをしていましたし、カーオブザイヤーの選考委員になってからは、試乗会等を通じて日産の社員の方との交流も増えました。現場で「良いクルマを造ろう」「クルマを通して社会貢献をしよう」と真摯に頑張っていらっしゃる社員の方を多く知っています。熱い心でモータースポーツを盛り上げようと日々闘っていらっしゃる方と長い時間、本音で語り合った事もあります。

そんな皆さんの心中は察するに余りあります。必死に頑張っている現場の日産関係者の皆様が仕事に集中出来る様になる日が一刻も早く来る事を心から祈っています。

(執筆:2018年11月24日)

安東 弘樹

MORIZO on the Road