ニキ・ラウダ氏 逝く …安東弘樹連載コラム

2019年5月20日、F1世界チャンピオンに3度輝いた伝説のドライバー、ニキ・ラウダさんが亡くなりました。70歳でした。

1949年にオーストリア、ウイーンに生まれ、その正確なドライビングから“コンピューター”と呼ばれたクレバーなドライバーでしたが、1976年のドイツGPでクラッシュし生死をさまよいながら6週間後には包帯を頭に巻いたまま復帰し、4位入賞。そして、翌年には世界チャンピオンになっています。75年と84年にも世界王者になっており、合計3回世界を制しましたが、そのうち2回は大怪我の後、という事を考えれば正に“不死鳥”という名に相応しい、生ける伝説でした。

更に彼は、現役時代からドライバーの安全についての提言も行い、近代F1には欠かす事の出来ない存在であったという事は、誰もが認めるところだと思います。多くの関係者が、その死を悼み、F1界は大きな空虚感に包まれている様です。恐らく、日本よりもヨーロッパでの衝撃の方が大きいでしょう。

映画「ラッシュ」(日本では、2014年公開)では、現役時代のライバル、ジェームス・ハントとの関係性が色濃く描写されていて、その実直な人間性が、良く分かります。

それにしても今回、ニキ・ラウダさんの事や、関係者について色々と調べたのですが、欧米のドライバーが如何にスピードや勝負に拘り、命を懸けてきたかを知ることになりました。

ニキ・ラウダさんは大怪我の後、6週間で復帰しますが、当然、皮膚はケロイド状態のままで、そんな頭を、悲鳴を上げながらヘルメットに収め、レースを行い完走どころか4位入賞を果たします。映画「ラッシュ」で、そのシーンを観た時には涙が出てきました。

事故の前年には既に世界チャンピオンになっているので、その年には、そんなに無理をしなくて良いのに、等と映画を観ながら思ってしまった私。ライバルのジェームス・ハントも、ほぼ毎回、レースの前に嘔吐を繰り返す程、緊張しながらも、唯ひたすら、誰よりも速く走り誰よりも早くゴールする為に、毎回、死闘を繰り返したのです。

こんな精神性は日本人だけではなく、もしかしたら基本的に移動が必要でない農耕民族であるアジア人には理解が出来ないのかもしれません。

以前にマン島TTレースという、平均すると毎年2人以上のライダーが亡くなっているオートバイレースの事を紹介しましたが、彼らにとって、誰よりも速く移動する、というのは本能の中でもかなり優先順位が高いのだと思います。

その時に驚いたのがレースで亡くなったライダーの妻が、泣きながらも「夫を誇りに思うので子どもたちにもバイクのレースをさせる」と言っていた事です。とにかくマシンを操り誰よりも速く移動するという事が、名誉であり、生き甲斐という人が多い様です。

モータースポーツの頂点と言われるF1に於いて、まだ日本人どころかアジア人は表彰台の2番目に高い所にすら立てていませんが、これは仕方がないかもしれません。そんな命懸けのモータースポーツですが、その魅力や意義は単にエンターテインメントとしてだけ、存在している訳ではありません。

市販車の技術の発展にも大きく寄与しています。速く走る為には、エンジンを含めて、マシン全ての構成部品の効率を極限まで高めなければなりません。その為、その技術は燃費の向上にも役に立ちますし、更に安全性や、操作をする上でのコクピットの快適性等、あらゆる事が競争によって、磨かれていくのです。

たまに、「モータースポーツは資源の無駄遣いだし、うるさいし、全てやめてしまえば良いのに」等と言われる事があるのですが、市販車の開発にも無くてはならないものである、という事を日本を含む世界中の皆さんに認識して頂きたいと思います。

そのモータースポーツを愛してやまなかったニキ・ラウダさんと、そのニキ・ラウダを愛してやまなかったモータースポーツ界と、ファンは、その損失を悲しみつつも、彼の遺志を継がなければならないでしょう。

安全に考慮しつつ、フェアに、しかし全力で闘うレースを、これからも続けていって欲しいと思います。

ちなみに、明日は(この原稿を書いている日の翌日)世界3大レースの一つ、F1モナコGPの予選です。ニキ・ラウダさんが最後まで非常勤の会長を務めたメルセデスAMG F1のマシンは特別なカラーリングを纏い、他のチームのマシンも彼の母国オーストリアの公用語であるドイツ語で「有難うニキ」“Danke Niki” という文字を刻んでモナコの市街地コースを走る様です。

ここ数年、圧倒的な強さを誇り、今年はここまでの5戦、全て1、2フィニッシュを決めているメルセデスが悲しみを乗り越えモナコも勝って、6連勝を飾るのか。ラウダさんの古巣の一つであるフェラーリが一矢報いるのか。いつでも特別なモナコGPですが、今年は様々な想いが詰まった更に特別な一戦になりそうです。

ニキ・ラウダさんは、どんな顔をして、天上から今年のモナコGPを観るのでしょうか。珍しくレンタルではなく、“購入した”ブルーレイの「ラッシュ」を、もう一度見直してからモナコGPを予選からテレビで観戦したいと思います。

モータースポーツファンとして、最大限の感謝と共に、ニキ・ラウダさんの安らかな眠りを祈念致します。

安東 弘樹

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