緊急事態宣言…安東弘樹連載コラム

新型コロナウイルスの終息が見えない中、緊急事態宣言が発令されました。これまでと同様ですが、基本的に仕事や日用品の買い出し以外の不要不急の外出は自粛するよう、要請されます。法的に強制されるわけではありませんが、当然、要請には従うべきでしょう。

世界的に”Stay Home” ”Stay Safe”という合言葉で、この未曽有の危機に立ち向かおうとしている昨今、私も仕事以外の不要不急の運転を封印し、共に戦おうと思っています。

緊急事態宣言が発出される1週間ほど前、生放送の仕事を終えて、自分が書く記事に使う「桜と自分のクルマが一緒に写っている写真」を撮るために千葉県の内陸部に向かいました。当時は週末の不要不急の外出は自粛するように求められていた状況で、私の場合はメディアの仕事に必要な外出ですし、平日なので、迷った上、クルマを、とある桜スポットに向け走らせたのです。

天気も良く絶好のドライブ日和ですが、やはり、何処か後ろめたい気持ちが拭えません。実際、道義的にも物理的にも問題は全くないはずなのですが、千葉内陸の道が景色も良く、走っていて気持ちが良ければ良いほど、何となく引け目を感じてしまいます。

多くの人が感染のリスクを覚悟で会社のデスクで人と接触しながらも頑張っているのに、私は、こんなに気持ちの良いドライブをしていて良いのだろうか。しかも運転そのものが楽しいクルマだけに、快感を得れば得るほど、その想いが強くなっていきました。

「このドライブの目的は仕事だし、他の時間は私も十分に頑張っているのだ」とか、「誰とも接触していないのだから、万が一自分が感染していても、他の方に伝染させる心配は皆無なのだから問題はない」などと自分に言い聞かせながら、ステアリングを握り、目的地の某記念館に到着しました。

多くの桜の木が整然と並ぶ、その記念館の前の美しい庭には人っ子一人いません。平日とは言え、驚きました。

そしてインターネットで検索したとおり、それぞれの桜が見事な花を咲かせており、息をのむ美しさに文字どおり、言葉を失いました。一人で、その光景を独占している事に嬉しさというより異様さを感じ、少し怖いとさえ思いました。やはり、「平時」ではない、という事を実感せざるを得ませんでした。

それにしても、どの角度で撮影しても良い写真が撮れてしまうので、枚数だけが増え、後で記事に掲載する写真を選ぶのに苦労したほどです。人類の危機に際しても桜は全く動じる事もなく、毅然と、でも優しく咲き誇っていました。それが、また悲しくもあったのですが…。

撮影を終え、誰にも会う事もなく、不思議な余韻を感じたまま帰路につきました。そして、その道すがら、こんな事を考えたのです。

もし、これが緊急事態宣言発出後の自粛要請が出ている週末であったとしたら、私は道義に反する事をしたのだろうか。このまま、家に着いたら、私は誰にも合わず、ただ、クルマを走らせて帰宅する事になります。その場合、誰かに感染させるリスクも感染させられるリスクも皆無と言って問題はないでしょう。

もちろん、休日で有れば、記念館には、どなたか、いらっしゃったかもしれませんし、途中、トイレに行きたくなったら、サービスエリア等で誰かと接触する可能性もあるでしょう。ただ、私の場合、4、5時間、一度も休憩せずに運転し続けるのは、左程、珍しい事ではありません。

だとすると、クルマを降りないという前提で、自宅を出て2、3時間のドライブをして、自宅に戻ってくる、というドライブであれば、問題はないのでしょうか?外出の自粛要請というのは、あくまで感染リスクを減らすためであって、物理的に人を閉じ込めるための要請ではありません。皆さんは、どう思われますか?

クルマのメリットは何と言っても個室が移動する、ということです。もし自分が感染していて自覚症状がない場合、むしろ家に居るより一人でクルマで移動していた方が家族への感染リスクも減少するかもしれません。

これは何も運転マニアが屁理屈で言っているわけではなく、純粋に皆さんの意見をうかがってみたいと思っているのです。
「皆が我慢しているのだから、たまたま趣味が感染リスクの少ないツールだとしても、従うべきだ」という意見が真っ当な気もしますが、他の意見も聞いてみたいというのも本音です。

このコラムを読んで下さっている方は、基本的にクルマが好きな方が多いと思いますが、同じことを考える方が、いらっしゃるのか、それとも、「普通はドライブに出たら一度は休憩をするものだから、やはり外出は避けるべきだ」という方が多いのか…。

私には正直、判断ができません。家族の意見としては、やはり、いくらクルマから一度も降りないとしても外出は控えた方が良い、というものでした。

平時であれば、クルマというのは「魔法の絨毯」のように好きな時に好きな場所に連れていってくれます。しかも私にとっては「快感」という、最大の「特典」まで付いてくるのです。こんな素晴らしいものはないと普段は思っているだけに、物理的なメリットを生かすこともできず、運転の機会が減るのはまさに断腸の想いと言えます。

もう一度言いますが、世界的に”Stay Home” ”Stay Safe”という合言葉で、この未曽有の危機に立ち向かおうとしている昨今、私も仕事以外の不要不急の運転を封印し、共に戦おうと思っています。

ちなみに人類が、こうして経済活動を鈍化させている影響で、自然環境の負荷が減り、工場の稼働が減った中国の大気汚染は改善され、年間を通して訪れていた膨大な数の観光客が、ほぼ居なくなったイタリア・ベネチアの水質は、目に見えて良くなっているとの報道を見ました。

多くの尊い命が失われている中で、こんなことをお伝えするべきではないのかもしれませんが、なんという皮肉でしょうか。どれだけ我々の普段の行動(私の長距離ドライブも含めて)が地球に負荷をかけていたか実感させられます。

今後、コロナウイルスが終息した時「万歳!」と言って、以前の生活に戻してしまったら、また経済活動そのものが地球環境へ負荷をかける人類のままになってしまいます。尊い犠牲を無駄にしないためにも、人類はさまざまな意味で進歩しなければならないのかもしれません。

再生可能エネルギーの更なる効率化。自然エネルギーでの発電とセットにした電気自動車の普及。そして個人的(?)には環境負荷がない上に運転の楽しさを提供してくれるスポーツカーも登場して欲しいものです。

SFの開祖と言われるフランスの小説家 ジュール・ヴェルヌは、こう言っています。「人間が想像できることは人間が必ず実現できる」。そうであれば、地球環境に負荷を与えず、豊かな経済活動をしながら、多くの人が充実した人生を送れるようになるはずです。

ただ、はっきり言えるのは、エネルギー政策を含め、今のままでは、それを実現するのは不可能だということです。我々一人一人の意識の改革と人類の真の英知を発揮してこそ、実現が可能になるのではないでしょうか。

緊急事態宣言が発令された日、クルマの未来、人類の未来について、そんなことを考えました。最後に、改めてコロナウイルスの終息と、一日も早く、ささやかな日常が戻ることを祈っています。

安東 弘樹

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