三式戦闘機「飛燕」に乗って改めて感じる戦争の恐ろしさ、平和の大切さ…安東弘樹連載コラム

4月中旬、あるネット記事が私の目に止まりました。ゴールデン・ウィーク(以下G.W.)中、岡山県浅口市で正確に複製された旧陸軍の三式戦闘機「飛燕」に乗れる。という内容の記事でした。

岡山県倉敷市に本社があるドレミ・コレクションというオートバイ部品、用品の企画、開発、製造、販売会社が企画している飛燕の展示。そして、ある程度の追加料金を払うと、そのコックピットに座れる、という事なのです。
私は、自分のスケジュールと「空いている」搭乗できる時間の枠を確認し、すぐに申し込んでしまいました。

今年のG.W.の「中日」の平日に、正に1枠だけ空いていて、運命を勝手に感じて、サイトの搭乗枠の欄をクリック。マネージャーへの正確なスケジュール確認は後で行う、という私には珍しい暴挙?に出たのです。

今年のG.W.中の仕事は見事に土日祝日には仕事、カレンダー上の平日は休み、という状況でしたので、結果的に前日に岡山県まで行って、宿泊し、ゆっくりと飛燕を見に行く事が出来ました。

今回も当然?自分のクルマで赴きましたが、まず浅口市より20kmほど東京寄りの倉敷に向かいます。高揚感?からか、今回の行程は、とても短く感じました。千葉の自宅から350km離れた新東名高速道路の岡崎S.A.で食事とトイレを済ませ、そこから残りの370km、一気に走って、結局720kmを一回の休憩だけで走りきってしまいました。
自分でも驚くほど、疲労感は皆無ですが、一般的に連続運転は最大でも2時間までと言われていますので、このスケジュールでのドライブは、しないで下さい。

今回、旅を共にした愛車は、マイルドハイブリッド・ディーゼルエンジンのSUV。低回転で高トルクを発生する特性によって、本当に疲れないですし、燃費も良好。長距離の高速道路の走行は、やはりディーゼルエンジンが効率的だと毎回、実感します。

倉敷・美観地区に建つホテルに到着。夜の美観地区を少し見学して、ホテルで食事をして大浴場で汗を流し、翌日に備えて就寝しました。翌日、小雨降る中、午前中にホテルを出発し、浅口市の展示場へ向かいます。

飛燕について

想像とは違う、のどかな田園風景の中、その格納庫は突然、目の前に現れました。
予約した見学時間まで駐車場で待機していたところ、スタッフの方から声が掛かります。
歩いて格納庫まで向かうと、扉が閉じた状態で、受付があり、注意事項などを聞きました。全員が揃ったところで、飛燕を展示している格納庫の扉が、人力により、ゆっくり開かれ、そのシルバーに輝く機体が現れました。

ここで、飛燕について少し、お伝えします。

三式戦闘機、飛燕は第二次世界大戦時の旧陸軍の戦闘機で開発・製造は川崎航空機(現・川崎重工業)が行い、1943年(昭和18年)に制式採用されました。

  • 「飛燕」ハ40型エンジン

当時の日本で唯一の量産液冷戦闘機で、ドイツの液冷航空エンジン、ダイムラー・ベンツのDB601を国産化したハ40を搭載した飛燕は主翼より後部の機体下部にラジエーター・ダクトを搭載しています。
このエンジン、液冷、倒立V型12気筒で公称馬力として約1100HPを発生しました。

この飛燕、どのような経緯で展示される事になったかを説明させて頂くと、オーストラリアのコレクターがパプアニューギニアで不時着した飛燕の原型に近い機体をオークションで落札し、それを元に復元する事を考えていたそうですが、不時着した当時のままの姿を、そのまま展示する方が歴史的にも意義が深いと判断し、完全な「複製」を造る元の資料として活用する事に賛同して下さったそうです。
更に不時着した飛燕をパーツ毎にドレミコレクションで展示させてくれた、という事です。
元々、KAWASAKIのバイクを中心に部品、用品を作っていた会社として運命を感じたとの事。構想に1年、製作に2年以上かかって、完成し、今年のG.W.に展示、という事になったそうです。
その記事を、たまたま見かけた私も、勝手に運命を感じて申し込んだ、という訳です。

  • 殆ど「実機のまま」という完成度の複製

扉が開く瞬間は、格納庫の外からの動画撮影は可能、という事でしたので、有難く撮影をさせて頂きました。素材を含めて、殆ど「実機のまま」という完成度の複製ですので、初めて飛燕を目の当たりにして、正に感動を禁じ得ません。しかしエンジンは搭載されておらず、プロペラはモーターで動かしているそうです。そして飛行灯はLEDで再現していますが、飛行機の、当時の「部隊毎に違う塗装」や翼の一部に書いてある「フムナ」(踏むな)と言った注意書きなども全て正確に再現されていますので、当時の方が見ても「違和感は無いレベル」の複製との事でした。

  • 翼の一部に書いてある「フムナ」(踏むな)と言った注意書きなども全て正確に再現

いよいよ「搭乗」

飛行機を外から見ながら一通りの説明を受け、いよいよ我々の「搭乗」の時間です。当時のパイロットの搭乗の仕方を教えて頂きつつ、我々は1人ずつ搭乗用のタラップを使って、慎重にコックピットに座ります。私は2番目でしたが、当日、1人の方が、急遽来られなくなったという事で、搭乗したのは2人だけになり、かなりの時間、操縦席にいられました。

  • 三式戦闘機 飛燕 コックピット

まず操縦の基本動作を教えて頂きます。その後、空中戦になった時、何処を見て、何に注意を払い、どう飛行機を動かし、どういう状況で機銃を撃つなどの攻撃に入るかを、当時と全く同じ操縦桿やスロットルレバーなどを動かしながらシミュレーションする、というアトラクション風な事までやって下さいました。

  • コックピットも正確に再現されていました

実際に空中において、この狭い操縦席で敵と対峙し、闘うと考えただけで息が詰まる様な感覚になります。実際にこの飛行機に乗り、命を落とした方がいらっしゃって、また誰かの命を奪ったかもしれません。
あらためて戦争の恐ろしさを感じました。

私が、その想いを伝えると、このドレミコレクションの館長も「博物館で客観的に様々なものを見るのも大切ですが、我々が目指しているのは、正に、そういう事で、これほどまで近くで見て、また実際に乗り込んでみると更に実感出来る事があるのではないか。それを多くの方に感じて頂きたい」と仰っていました。

館長の想い、私には、しっかりと伝わったのです。

勿論、私は子ども時代に飛行機自体への憧れから、プラモデルを作って空中戦のまねごとをやっていました。単純に、その機能美に惹かれ、スペックを覚えて「敵より早く上昇し、素早く撃墜!」なんて事を言ったりもしました。
しかし、撃墜の瞬間に多くの場合、家族を愛する「誰か」の命を奪うのです。

そんな当たり前の事をあらためて感じられた貴重な体験でした。

館長が飛燕について説明を終えた後、再度「皆さん、平和の大切さ、有り難さを、飛燕を見て感じて頂けたら、展示をした甲斐があります」と強調していたのが印象的でした。

ただ、最後に「平和でないと好きなバイクにも乗れませんしね(笑)」と笑いで締めて下さったのは流石です!

今回の「飛燕」に乗りに行く、一泊の岡山県への旅。とても充実した時間になりました。

自分も運転している「内燃機関」が80年以上前の飛行機と基本的には同じ機構であることを当時のエンジンを見てあらためて感じました。当然と言えば当然ですが、今のスーパーチャージャーと殆ど同じ形をした過給器を見た時には、思わず「同じじゃん」と呟いてしまい、館長に「そうなんですよ」と笑われてしまいました。

同じものが平時にも戦時にも使われる。やはり平和な時に、それを使って楽しみたい。今後も、ずっとそういう世の中で有って欲しいですね。そう願ってやみません。

ちなみに、この時の模様はYouTubeで動画を上げていますので、宜しければ、ご覧下さい。

安東弘樹