世界を獲った『MAZDA SPEED』から30年の時を経て、令和に蘇った『MAZDA SPIRIT RACING』の魂
自身の乗る自動車メーカーのファンの方はもちろん、新車を購入する際のオプション選びや、愛車をカスタマイズする際に気になるのが“自動車メーカー直系の”用品、カスタマイズブランド。メーカー品質で作られるそのハイクオリティな用品やパーツは、愛車への愛着をより高めてくれるものばかりだ。
そんなメーカー直系ブランドを紹介するコラム。今回は日本車として初めてル・マン24時間で勝利を挙げた「マツダ787B」を走らせていた『MAZDA SPEED』。そしてその魂を令和に蘇らせた『MAZDA SPIRIT RACING』をお届けしよう。
マツダ車販売店のモータースポーツ部門から世界へ飛躍したマツダスピード
マツダのモータースポーツ史を語る上で、その核となるのが『MAZDA SPEED』だ。
その発祥は、1968年に『マツダオート東京(現:関東マツダ)』がモータースポーツの相談室を開設することに始まる。主に店舗を切り盛りしたのは、後のマツダスピード監督としてル・マン24時間レースでの優勝を支えた大橋孝至氏と、マツダオート東京に社員ドライバーとして所属していた寺田陽次郎氏であった。
ここでは、マツダ車用の“スポーツキット“等の販売や取り付けを主とした『マツダ・スポーツ・コーナー』としての営業がされており、同年発売となったファミリア・ロータリークーペをはじめとするツーリングカーをレース仕様車へとチューニングしていく業務を主としていた。
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ファミリア・ロータリークーペ
そんな折、トヨタ自動車工業で『トヨタ・2000GT』や『トヨタ・7』のエンジン開発をしていた加藤 眞氏が1972年を以て退社。同年12月にレースへの参戦を目的として『シグマ・オートモーティブ』(後のSARDとなる母体)を設立する。
加藤氏は、翌1973年に日本人として初となる『ル・マン24時間レース参戦』を表明するも、諸々の事情から急遽トヨタ製のエンジンを入手することができなくなってしまった。
そこで一念発起。人伝てに、当時マツダの社長であった松田耕平氏を紹介してもらい、マツダオート東京が製作していたワークス用となる12Aロータリーエンジンを貸与してもらうという話を取り付けた。
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“SIGMA MC73”のベースとなった、富士グランチャンピオンレース車両『SIGMA GC73』。向かって右端が加藤 眞氏。
手に入れた12Aロータリーエンジンを、突貫工事で搭載した『シグマ・MC73』は、筑波サーキットでシェイクダウンと車両チェックを済ませ、急いでフランスへと送り出されることに。
そして、ル・マン24時間レースの予選。ル・マン用のセッティングなど誰も分からぬままの出走となるが、驚きの14番手を確保した。しかしながら、予選2日目にクラッチトラブルを起こしてしまう。
シグマの加藤氏は、現地からマツダオート東京へ連絡をし、それを受けたマツダオート東京の大橋氏がクラッチを持って羽田空港へ急行したという。そうして、どうにか決勝レースに漕ぎつけるも、結果は10時間30分(79周)でリタイアというリザルトで幕を閉じることに…。
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マツダオート東京製作の12Aロータリーエンジンを搭載しル・マン24時間に挑んだSIGMA MC73
このことがキッカケとなり加藤氏と大橋氏が知り合い、翌1974年には新造した『シグマ・MC74』で参戦。しかしながら、まだまだ勝利への壁は高かった。ル・マン24時間レース史上初めてとなる『レース中にエンジンオーバーホールを行なった』という逸話を残してチェッカーを受けたものの、周回数不足のために完走扱いには至らなかった。
なお、このMC74で寺田陽次郎氏がル・マン24時間デビューを飾っている。
ただ、これら波乱万丈の参戦によって、ル・マン24時間レースや国内の耐久レースなど、後に続くロングランのレース形態が、国内のモータースポーツ好きの間でブームとなったことは大きな収穫であったと言えよう。
マツダスピードの設立とル・マン24時間レースでの勝利
1979年にマツダ・スポーツ・コーナーは「マツダスピード」に名称変更が行われ、この年マツダスピードとして、RX-7(SA22C型)のレース仕様車RX-7 252iでル・マン24時間に挑戦(結果は、予選不通過)。
1982年には、RX-7(SA22C型)の改造車『RX-7 254』で参加し、ル・マン24時間レースで日本チーム初となる、総合14位というリザルトを残した。
そして、これを契機に、1983年にマツダの前身となる東洋工業、マツダオート東京などの出資によって『株式会社マツダスピード』が誕生するに至った。
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1987年のWRCスウェディッシュラリーに参戦し勝利を挙げたファミリア4WD
その後、マツダスピードと東洋工業/マツダとの関係は益々強くなっていき、JSPC(全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権)やSWC(スポーツカーワールドチャンピオンシップ)、ファミリア4WDがベースのグループAマシンでのWRC(世界ラリー選手権)参戦など、マツダのモータースポーツ部門として隆盛していった。
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1991年のル・マン24時間レースで日本車メーカーとして初めての総合優勝を果たしたマツダ787B
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マツダ787Bのドライバー達が登壇したル・マン24時間レースの表彰台
そして1991年。遂に、ル・マン24時間レースで『マツダ787B』が世界を制覇する。
しかも、日本車による初の総合優勝を飾るという快挙。モータースポーツ専門誌が大きなミダシを立てるだけでなく、各新聞社も大きなスペースを割き、テレビでのライブ中継を見守っていた視聴者をも巻き込んでモータースポーツファンを沸かせた。
空前のスポーツカーブームで存在感を現したマツダスピード
時はバブル崩壊直後。ル・マン24時間での歴史的な勝利を区切りとして、マツダ及びマツダスピードは、1992年10月に大規模なモータースポーツ活動を休止することとなった。
ただ、この時代の日本は、空前のスポーツカーブームの真っ只中。バブル崩壊もなんのそので、各自動車メーカーからは次から次へと魅力的なスポーツモデルがリリースされていた。そんな中、マツダからはRX-7(FC3S型/FD3S型)、ユーノスロードスター(NA6CE型/NA8C型)が登場。手頃なプライスで、世界のスポーツカーにも負けない高いドライバビリティ性能を楽しませてくれた。
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当時のMAZDA SPEEDの広告。エアロパーツやサスペンション、アルミホイールに留まらず、ツインプレートクラッチや、リミテッドスリップデフ(LSD)、車種によってはエンジン内部の強化パーツなど、速く走ることを目的とした多様なチューニングパーツがラインアップされていた。
自動車メーカーとしてのモータースポーツ参戦は終息してしまったが、数年のオーバーラップ期間を含み、時を同じくしてユーザー車のカスタマイズパーツ販売の動きは顕著になっていた。
街中には多くのスポーツカー、そしてそれを楽しむ20〜30代の好奇心旺盛なユーザーが膨大な数に登っていたのだ。彼らの多くは、より“スポーツ性”を強調させるべく、愛車には『MAZDA SPEED』製のパーツを装着。そして、同ステッカーをボディに貼るなどして、全国各地の人気ドライブルートに足を運んでいた。
さらに同時期には『サンデーレース』と言われる、一般ユーザーが気軽にサーキット走行を楽しめるというムーブメントも訪れていた。
マツダ車では、RX-7やロードスターを駆って参加するエントラントが多く、ライバルに負けまいと、サーキット走行向けへと各々は愛車をチューニングして参加することに。そこで選ばれるパーツは、マツダスピード製のチューニングパーツを中心にチョイスされたのは言うまでもない。
しかし、1999年7月。マツダ本社に吸収される形でマツダスピードは解散。これに伴って、チューニングパーツやレース専用パーツ等の供給も終焉を迎えることに。
マツダ本体への統合後は、マツダ車専用のカスタマイズパーツのブランド名、そしてスポーティテイストの限定仕様車のブランド名称として存続することとなった。
MAZDA SPIRIT RACINGが目指す新たなモータースポーツへの入り口
そして時は流れて2021年。ル・マン24時間レースで総合優勝を果たしてから30年の時を経て、マツダの新たなるモータースポーツシンボルが狼煙を上げる。それが『MAZDA SPIRIT RACING(マツダ スピリット レーシング)』である。
再びモータースポーツへと参戦することで、およそ一般公道では見つけることのできない、その先の強度や耐久性など、より高いポテンシャルを持ったクルマ造りにも貢献するだろう。そして、一貫してマツダが提唱する“人馬一体”を体現、継承していく人材育成にも一層の期待が高まる。
そんなMAZDA SPIRIT RACINGの取り組みは、じつに多彩である。
まずは『倶楽部MAZDA SPIRIT RACING』というアプリで、スピードスポーツに挑戦する仲間や、それを応援する仲間と繋がり、情報を共有したり収集することで“モータースポーツの地図”が把握できる。そして、モータースポーツへの新たな入り口として話題の『eSPORTS』で、サーキットを走る歓びをシミュレート。ここまでがバーチャルでの世界だ。
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ロードスター・パーティレースのスタートシーン
そして、いよいよリアルな世界へ。
普段乗っているマツダ車で、気軽に参加できるエントリーレース『マツダファン・エンデュランス』は、決められた燃料の量で、決められた時間を走らなくてはならない。よって、“速いドライバーと速いクルマ”だけでは勝てないという、エコラン要素も含まれる頭脳戦となる。
そして、インターミディエイトクラスとなる『パーティレースⅢ』は、ロードスターNR-Aによるワンメイクレースで、国内3地域で行なわれるローカルシリーズと、全国の主要サーキットを巡るジャパンツアーシリーズを設定。『富士チャンピオンレース』は、歴代ロードスターによるワンメイクレース(クラス別けあり)で競う本格レースとなっている。(※いずれも2025年時点)
これらのレースを経験していれば、すでにレース環境には順応しており、その先にあるスーパー耐久レース(S耐)等への挑戦する経験や資格を得られるのだ。
このように、参加者のスキルに合わせてどんなコンテンツにもアクセスを可能とすることで、参加型モータースポーツの門戸を開き、拡大に貢献しているというわけだ。
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スーパー耐久のST-5Rクラスに参戦する「倶楽部 MAZDA SPIRIT RACING ROADSTER」は2025年の第5戦SUGOでクラス優勝!
今から30年前、マツダスピードのレースカーに熱狂していた若者が親世代となり、その子供達がモータースポーツに興味を示す。そして、その気持ちを受け止めてくれるメーカーがモータースポーツを介し、マツダもユーザーも一緒に育っていく。
これこそが『MAZDA SPIRIT RACING』に託された本当の使命なのかもしれない。
(写真:MAZDA、SARD)
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