世界のレースを見据えて設立された『ラリーアート』が大成。一時活動休止を経て再び灯された情熱のDNA
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1993年のWRCに参戦したランサーエボリューションⅠ
自身の乗る自動車メーカーのファンの方はもちろん、新車を購入する際のオプション選びや、愛車をカスタマイズする際に気になるのが“自動車メーカー直系の”用品、カスタマイズブランド。メーカー品質で作られるそのハイクオリティな用品やパーツは、愛車への愛着をより高めてくれるものばかりだ。
そんなメーカー直系ブランドを紹介するコラム。第9回はWRCとダカールラリーで華々しい成績を残した三菱自動車のラリー活動を支えた「ラリーアート」をお届けしよう。
世界の舞台で“ラリーの三菱”を強くアピール
三菱自動車とモータースポーツの関わりは、2025年現在で既に60有余年となる歴史がある。その歴史の中に組み込まれていった伝説は、特にラリーのフィールドでの活躍が多く聞かれ、ファンの間では今も熱く語り継がれている。
デコボコ道で競われるオフロード系レースとなれば、クルマへの負荷は想像以上に掛かるもの。それに加えて、低μの路面でも確実なトラクション性能も必要となり、さらには確実なコントロール性能も持ち合わせていなくてはならない。
そう。それは、状況こそ違えど、市販車開発に於いても大きなテーマであるのだ。
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マカオグランプリに参戦した「三菱 500」
モータースポーツの黎明期であった1962年。世界に向けて先陣を切ったのは『三菱500』であった。
市販車をベースにしたこのマシンで、市街地レースとなる『マカオグランプリ』に参戦することに始まるが、なんと初めての挑戦にも関わらず、クラス1~3位を独占するという大金星を勝ち取った。
この勝利が、その後の三菱のモータースポーツ活動における大きな布石になるとともに“実戦による性能の証明”というテーゼも確立。クルマの開発とモータースポーツ活動を密接に結びつける戦略を取るようになっていった。
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1973年のサザンクロスラリーで1位~4位までを独占した『ランサー1600GSR』
1967年からは国際ラリーにも本格参戦を開始。オーストラリアで開催されていた国際ラリーイベントのサザンクロスラリーに2台の『コルト1000F』を投入。大排気量車を相手にいきなりの総合4位、小排気量クラスでは優勝。もう一台も3位入賞という結果を得て、世界の舞台で“ラリーの三菱”を強くアピールした。
その後もコルトやギャランの新型マシンを次々と投入、1972年には後にラリーアート・ヨーロッパの代表に就くこととなるイギリス人ドライバーのアンドリュー・コーワンにより初の総合優勝を飾ることとなった。1973年には『ランサー1600GSR』を5台体制で投入。1-2-3-4フィニッシュを飾り、さらに1976年までに3勝を挙げるなど、その快進撃は続いた。
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1974年のサファリラリー。『ランサー1600GSR』がWRCで初となる総合優勝を飾った
さらに1973年にスタートした『世界ラリー選手権(WRC)』には、まずはプライベート参戦としてサファリラリーにジョギンダ・シンがギャラン16L GSで参戦。
1974年のサファリラリーで予定されていたワークス参戦は第一次オイルショックの影響で参戦白紙に。しかし、プライベート参戦のジョギンダ・シンへのバックアップを行い、サファリラリー初出場となったランサー1600GSRは三菱自動車にとっての初のWRC総合優勝を飾ることとなった。
こうした実績によって、三菱の名は世界のラリーファンに広く知れ渡ることになったのだ。
ラリー以外のレースでもブランドの知名度を挙げた三菱自動車
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1971年の日本グランプリを制覇した「コルト F2000」
一方で、フォーミュラレースへのチャレンジにも熱が入り、1971年には永松邦臣のドライブによって『コルトF2000』が日本グランプリを制覇。その他にも各種ツーリングカーレースにも参戦するなど、速さに対して貪欲な姿勢でレースに挑むだけでなく、そこで得た技術を基に、市販車の高性能化にも取り組んでいた。
当時の日本国内は、自動車文化がまだ発展途上であり、各自動車メーカーは耐久性や走行性能をアピールする手段の一つとして、サーキットでのレースやラリーなどの競技に積極的に参加していた。その結果如何で自社ブランドの知名度の広がりや、延いては自動車販売台数を左右するほどの影響力があった。
以降、三菱はWRCへの本格参戦を見据え、国内外のさまざまな競技へ参戦しながら技術と戦略を磨いていった。そうして、サファリラリーやアクロポリスラリー等にも挑戦し、オフロードに強いクルマ造りが三菱の得意分野となっていく。
「ラリーアート」の設立で本格的に国際ラリーへ
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ランサーEX2000ターボ
国内外のモータリゼーションや、モータースポーツというコンテンツも一般化してきた1980年代。1983年にはアンドリュー・コーワンが創設者となって『ラリーアート・ヨーロッパ』を設立。国内では、翌1984年4月に『株式会社ラリーアート』が設立された。
ラリーアート・ヨーロッパは、WRCやヨーロッパ地区の競技全般を主たる目的として設立された。一方、国内のラリーアートはモータースポーツ活動を専門的に行なうだけでなく、モータースポーツ愛好者の増加による多様なニーズへの対応や、より健全なモータースポーツ意識の向上、モータースポーツ用パーツや用品の開発など各種サービス体制にも尽力することになった。
ラリーアートがこのような組織を構築することで、三菱は世界規模での競技活動を一層強化し、開発から供給、運用までのすべてを自社でコントロールできるという体制を整えたのだ。
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1987年のヒマラヤンラリーでは、篠塚建次郎のドライブでスタリオンターボが総合優勝を飾る
1977年で一度ラリー活動を終了していた三菱自動車だが、1981年にランサーEX2000ターボで国際ラリーに復帰を果たし、1982年には1000湖ラリーで総合3位に入った。しかし当時隆盛を極めていたアウディ・クワトロとの差が大きく、次なるマシンとしてスタリオン4WDを開発し、1984年にデビュー。着々と開発を進めてきたスタリオン4WDだが、1987年からWRCの規定が変わったことで、WRCへの参戦はならなかった。
だが、投入予定であった4WDのスタリオンターボは、1987年に篠塚建次郎のドライブによりヒマラヤンラリーで総合優勝を果たすなど、三菱自動車の4WDターボ車開発の礎となった。
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1992年にギャランVR-4を駆り2度目のWRC総合優勝を挙げた篠塚健次郎
1988年から1992年のWRCには、デビュー当時から300馬力以上を発揮した4G63型エンジンを積むギャランVR-4が投入され、ラリーアート・ヨーロッパはワークス体制で挑み、日本勢は篠塚健次郎がセミワークスとして参戦。1989年の1000湖ラリーではミカエル・エリクソンが総合優勝、この年4戦中2勝という戦績を残した。
1991年のコート・ジボワールでのアイボリーコーストラリーでは、篠塚が日本人ドライバーとして初となるWRC優勝を挙げた。篠塚は翌年のアイボリーコーストラリーで連覇を果たすなどの速さを見せ、91年、92年と2年連続でマニュファクチャラーズ選手権3位の獲得に貢献している。
ちなみに、1992年の最終戦に出走したVR-4は、次期マシンとなるランサーエボリューションに装備する、新4WDシステムが実戦テストとして導入されていた。
WRCで数々の栄光を築いたランサーエボリューションとラリーアート
そして1993年。後の伝説ともなる『ランサーエボリューション』が登場する。
初代ランサーエボリューションは『三菱・ランサー』の高性能バージョンとして開発され、250psを発揮するターボエンジンと新開発された4WDシステムを搭載。ホモロゲーション取得に必要な最小生産台数2500台をクリアし、WRCのグループA規定に適合させた。
その真価を発揮したのは1995年のこと。ケネス・エリクソンのドライブによって、スウェディッシュ・ラリー(ランサーエボリューションⅡ)と、ラリー・オーストラリア(ランサーエボリューションⅢ)で優勝を果たしたのだ。
その後も、1996年にはトミ・マキネンがランサーエボリューションⅢを駆り、初のドライバーズチャンピオンを決め、1997年にはランサーエボリューションⅣへと進化。翌1998年にはレギュレーションで車幅が1770mmまで認められるようになり、日本で言うところの3ナンバーサイズへとワイドになったランサーエボリューションⅤで、悲願のマニュファクチャラーズ(コンストラクターズ)タイトルを獲得。1999年にはトミー・マキネンが4連覇を達成した。
これらの結果によって『ラリーアート』と『ランサーエボリューション』は、その名の通り、華麗な進化を遂げ、世界的なカリスマブランドへと成長。同時に、市販モデルにも高性能技術がフィードバックされ、世界中のファンから熱狂的な支持を受けたのだ。
ダカールラリーで伝説を作り上げた三菱自動車とラリーアート
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1983年にパジェロでパリ・ダカールラリーに初参戦。市販車無改造クラスで優勝
そんなラリーアートの活躍はWRCに留まらない。1983年から参戦を始めた『パリ・ダカールラリー(現・ダカールラリー)』において、『パジェロ』が築いた伝説は数知れず。ラリーファンならば、誰もが語りたくなるほど多くのドラマが詰まったものであった。
初参戦となった1983年、翌84年は市販改造車クラスで優勝、1985年にはプロトタイプ仕様のパジェロを投入、パトリック・ザニロリとコーワンが総合順位で1-2フィニッシュ! 市販車改造クラス、市販車無改造クラス/マラソンクラスでもプライベーターのパジェロがクラス優勝を果たすなど華々しい結果を残した。
1992年には2度目の優勝を1-2-3フィニッシュで飾り、1997年には篠塚が日本人初のパリダカ総合優勝を挙げた。2001年にはユタ・クラインシュミットが史上唯一の女性ウィナーとなり、2002年には増岡宏が総合優勝、2001年から7連覇を飾ったパジェロは、ダカールラリーで12回の総合優勝を果たし、極限環境での走破性と揺るぎない信頼性を見事に体現した。これはラリーアートが支える開発体制と戦略の賜物であり、パジェロの堅牢性が世界中で高く評価されたきっかけともなった。
一時姿を消したラリーアートブランドが2021年に復活
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ラリーアートが一時撤退する直前、2010年カタログの一部。モータースポーツファンを満足させるべく数々のカスタマイズパーツがリリースされていた。
時は2005年。三菱はWRCからの撤退を発表。翌2006年にはダカールラリーのワークス活動を段階的に縮小し、2010年3月をもってラリー活動は事実上の停止となった。
また、ラリーアート製のいくつかのパーツやアクセサリーは残すものの、同6月にはラリーアート製パーツの品番であった『RA』は消滅し、ミツビシモータースコーポレーションの『MN』品番へと切り替えられた。
さらに、生ける伝説となっていた『ランサーエボリューション』も、X(テン)を最後に2016年の販売をもって終了。40年間続いた名車『パジェロ』も2019年に国内生産が終了することに。これまでラリーアートと共に積み重ねられてきた“走りの象徴”は一時姿を消すこととなってしまった。
ところが2021年、三菱は突如として『ラリーアートブランドの復活』を発表する。まずは東南アジア市場において『トライトン』と『パジェロスポーツ』に特別仕様車の『ラリーアート』グレードを設定し、純正アクセサリー等のパーツ展開を開始した。
2022年には国内復活第一弾として、『アウトランダー』『エクリプス クロス』『RVR』『デリカD:5』用のアクセサリーを設定するなど、新世代ユーザーに向けて、新生ラリーアートをアピールした。
これは、単なる過去の栄光への回帰ではなく、新たな時代に合わせたブランド価値の再構築という試みでもある。
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『アジアクロスカントリーラリー(AXCR)』に参戦したトライトン
2023年には、アセアン最大級のイベント『アジアクロスカントリーラリー(AXCR)』に、技術支援という形で『チーム三菱ラリーアート』として“トライトン”での参戦を表明。チーム総監督には、ダカールラリーを2連覇した増岡 浩氏を迎え、初参戦で見事に総合優勝を飾った。
それは、ラリーアートが“勝つブランド”として存在感を示した瞬間であった。その挑戦は2025年現在も進行中である。
WRCでの栄光、ダカールでの伝説を経て、AXCRでモータースポーツのフィールドへと回帰してくれたラリーアート。
『ラリーアート』とは、三菱自動車の挑戦の歴史であり、勝利への執念でもある。そのDNAは、走ることそのものに価値を見出してきた勝負師の魂。この先もきっと、革新と情熱の象徴として『RALLI ART』は走り続けてくれるはずだ。
(写真:三菱自動車工業)
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