超ド級の競技車両を開発し、ダート系モータースポーツ界を席巻した『SUZUKI SPORT』、そして進化を遂げた『MONSTER SPORT』の快進撃

  • 全日本ダートトライアルを走るスズキスポーツのカルタス

    全日本ダートトライアルを走るスズキスポーツのカルタス

自身の乗る自動車メーカーのファンの方はもちろん、新車を購入する際のオプション選びや、愛車をカスタマイズする際に気になるのが“自動車メーカー直系の”用品、カスタマイズブランド。メーカー品質で作られるそのハイクオリティな用品やパーツは、愛車への愛着をより高めてくれるものばかりだ。
そんなメーカー直系ブランドを紹介するコラム。第10回はプライベートからスズキのワークスチームを担い、奇想天外なマシンメイクや独自路線のレース参戦、そしてスズキ車を中心とする高性能なパーツ開発で人気となった「SUZUKI SPORT」と、そのDNAを受け継ぐ「MONSTER SPORT」をお届けしよう。

「モンスターインターナショナル」を立ち上げ、プライベートで海外ラリーにも参戦

『スズキスポーツ』、そして『モンスタースポーツ』のファウンダーで、“モンスター田嶋”の愛称を持つ田嶋伸博氏。幼少の頃からレーサーになることを志していた田嶋氏は、当時からさまざまなメカニカルなものに惹かれ、中学、高校生の頃には自らの手でゴーカートの改造にも着手していたという。
最初にモータースポーツに参戦したのは1968年。当時大学生で18歳の田嶋青年はデビューレースとなるダートトライアルでいきなり優勝を飾るなど、早くからドライバーとしての実力が開花し、スポンサーが付くほどだった。日産のディーラーマン時代にも、ラリーやダートトライアルを中心としたモータースポーツ競技に活動に精を出していた。

そうした活動を続ける中で、海外のラリーなどより高みを目指すためには自ら一貫したマシン製作を行う必要性を痛感し、1978年に東京都杉並区に『モンスターインターナショナル』を創業。1983年に法人化し『モンスターインターナショナル株式会社』が設立された。

特に海外へ遠征してレース参戦をする場合、その予算は膨大なものになる。自動車メーカーの直系の組織であれば、その大義名分として販売促進やブランド力の強化などの目的があるので、それなりの規模となる予算が組まれるであろう。しかし、当時の『モンスターインターナショナル』は個人の会社であった。
当然、前者と比べれば、資金や人手などは潤沢とはいかなかったが、それらも工面しながら積極的に海外のレースに参戦するなど、グローバルな視点を持ちながらパワフルなモータースポーツ活動が続けられた。

なお、オーストラリアで開催されていたサザンクロスラリーに参戦した際に、現地ジャーナリストが「日本からやってきたモンスタードライバー」と報道したことが、後の“モンスター田嶋”という愛称の発端となったという。

「スズキスポーツ」を設立しスズキの実質的ワークス活動を担い、パイクス・ピークにも参戦へ

  • 1986年。ダートラ B-1クラス(市販車クラス)でデビューしたAA33S型カルタスGT-i

    1986年。ダートラ B-1クラス(市販車クラス)でデビューしたAA33S型カルタスGT-i。

そんな活動的なモンスター田嶋氏に目を付けたのが、当時の鈴木自動車工業(現:スズキ)であった。
鈴木自動車工業の担当者は、1986年6月のビッグマイナーチェンジを控えた「カルタス」を販売するにあたり、田嶋氏にアドバイスを仰いだ。そして、「カルタス」をセンセーショナルな形でデビューさせたいという意気を実現させるべく、田嶋氏はカルタスのダートトライアルマシンを製作して競技に参戦。当時ライバルだったスターレットやサニーを抑え、見事に勝利を収めたのだ。

すると、他車種でダートラに参戦していたアマチュアレーサー達は積極的に「カルタス」を選ぶようになるなど、田嶋氏の目論見はズバリ結実。同時にカルタスを駆ってモータースポーツに参戦するためには、競技用部品も必要になるといった流れで、1986年に鈴木自動車工業と資本関係は持たずに業務提携という形でタッグか組まれ、田嶋氏の会社として『スズキスポーツ』が設立された。その後は、事実上スズキのワークス的な立ち位置で、モータースポーツ活動を行なう運びとなっていった。

昭和最後期の当時、鈴木自動車工業にはモータースポーツで使えるような2リッターターボクラスのベースエンジンは存在していなかった。そんな条件下で、ビッグレースでトップを獲るには、レギュレーションで改造範囲が広いダートトライアルならば“Dクラス”、パイクス・ピークならば“アンリミテッドクラス”を選ぶという方策をとった。

その戦術とは、エンジンにスーパーハードなチューニングを施すという手法ではなく、『望む排気量のベースエンジンが無いならば、エンジンを2機積んでしまえ!』という奇想天外な発想であった。
となれば、エンジン1機当たり300ps出せば600ps。1機400ps出せたら800psといった具合に、1機当りのエンジンに過度な負担を課さなくともハイパワーが得られる。そういったロジックで、名実ともに破天荒なマシンを続々と生み出していったのである。

こうしたマシンメイクや自身の豪快な走りも、“モンスター”と呼ばれるにふさわしいものだったのだ。

ちなみに“パイクス・ピーク”とは、米国コロラド州東部のロッキー山脈にある山の一つで、そこで開催されるのが、『パイクス・ピーク・インターナショナル・ヒルクライム(PPIHC)』レースである。コース全長は19.99kmで、スタート地点の標高は2862m、ゴール地点の標高は富士山よりも遥かに高い4301m。156ものコーナーが存在する世界屈指の難コースである。

そこで迎えた、1995年。2機のエンジン合計で900psを誇る『ツインエンジン・エスクード』が、世界の頂点を極めたのだ。
さらに、ガソリンエンジンでは最後の参戦となった2011年。『モンスタースポーツ SX4 パイクスピークスペシャル』は、6年連続の総合優勝を達成すると共に、世界記録となる9分51分278をマークした。

“ダートトライアル”や“パイクス・ピーク”での精力的なチャレンジで知名度を上げていく一方、並行して世界ラリー選手権(WRC)、そしてWRCへの登竜門となるジュニア世界ラリー選手権(JWRC)、アジアパシフィックラリー選手権(APRC)や全日本ラリー選手権(JRC)等にも続々と参戦。
これら、国内外のオフロード系モータースポーツでの多大なる活躍によって、「スズキスポーツ」、並びに「モンスター田嶋」の名は、世界区へと昇りつめた。

  • スズキ・ワールドラリーチーム「SX4 WRC」で走行するトニ・ガルデマイスター

    2008年7月31日~8月3日開催の、『第9戦 ラリー・フィンランド』を疾走するトニ・ガルデマイスター。

この時代、会社としての動きにも大きな変化があった。
2005年には“モンスターインターナショナル”から『タジマモーターコーポレーション』へと社名変更され、モータースポーツの関連は『モンスタースポーツ事業部』が請け負った。

そして2007年には「スズキ」の本社が、田嶋氏の個人会社だった『スズキスポーツ』へと出資し、連帯がより強化された。
そうして設立された『スズキ・ワールドラリーチーム』は、2007年のWRC、ツール・ド・コルスでデビューを果たし、2008年シーズンのマニファクチャラーチャンピオンシップで5位という成績を残した。しかし、リーマンショック等、社会情勢の変化があり、残念ながらこの年でWRCから撤退。スズキ・ワールドラリーチームも解散となってしまったのだ。

  • ジュニア世界ラリー選手権(JWRC)に参戦した「スイフトS1600」

    2010年のジュニア世界ラリー選手権(JWRC)第1戦 Rally of Turkeyで優勝したスイフトS1600

そのような流れでスズキが資本関係からは外れ、2009年にはカスタマー向けモータースポーツ用品、カスタムパーツのブランドであった『SUZUKI SPORT Racing』は、タジマモーターコーポレーションのモンスタースポーツ事業部が吸収統合。順次『MONSTER SPORT』へとブランド変更された。
2011年に“スズキスポーツ”の社名は『アイアールディ』へと改められ(2015年にはタジマモーターコーポレーションに吸収合併)、独立チームとなってJWRCには参戦を続けた。

レース由来のカスタムパーツとして人気の「モンスタースポーツ」

  • モンスタースポーツのパーツを装着したスイフトスポーツ
  • モンスタースポーツのパーツを装着したスイフトスポーツのエンジンルーム

2025年現在でも、モンスタースポーツの看板車であると言える「スイフトスポーツ」。各種パーツやチューニングプランのステップアップ等、どんなカスタマイズのニーズにも応えることができる豊富なラインアップが魅力。

こうして新生『モンスタースポーツ』のブランドが立ち上がったわけだが、その勢いは以前にも増して力強かった。
ストリートカー向けのカスタマイズやチューニングパーツでは、自社の最新設備が駆使され、世界を獲ってきたレーシングクオリティのアイテムを続々とリリース。スズキ車用を中心として、エアロパーツやエアクリーナー等のライトな物から、ピストンやカムシャフト、タービンキットやコンプリートエンジン、果てはコンプリートカーまで。モータースポーツファンやスズキ車のオーナー垂涎の商品ラインアップ群が目白押しとなっていったのだ。

BEV事業ほか、さまざまな事業に参入するタジマモーターコーポレーション

  • 2013年に参戦したEVマシンの『E-RUNNERパイクスピークスペシャル』
  • 2013年のパイクス・ピークの表彰台の頂点に立つモンスター田嶋

2013年。EVマシンの『E-RUNNERパイクスピークスペシャル』で参戦。所々にウエット路面が混在するコンディションにも関わらず、2011年にカソリンエンジン車でマークした9分51分278を上回る、9分46秒530で総合優勝を果たした。

  • タジマモーターコーポレーションの袋井次世代モビリティー研究開発センターに並んだBEVラインナップ

    タジマモーターコーポレーションの袋井次世代モビリティー研究開発センター に並んだBEVラインナップ

こうしてさまざまモータースポーツカテゴリーやカスタムシーンで活躍してきたモンスタースポーツ。だがその先駆者精神はモータースポーツの枠のみに収まらず、本体であるタジマモ-ターコーポレーションはモビリティをはじめとしたさまざまな事業を展開し続けている。

海外ラリーに参戦し、特に寒い地域での氷や雪の状況から地球温暖化の現実を感じていた田嶋氏は、環境保全と持続可能なモータースポーツを目指し、2012年のパイクス・ピークに自社開発のBEVマシンで参戦を開始した。
そうした経験を基に、グループ会社として2018年に『タジマEV(現在は出光タジマEV)』を立ち上げ自社開発の超小型BEVモビリティを、それ以外にも次世代モビリティ事業部を立ち上げ3列シートのミニバン、10人乗りのグリーンスローモビリティまでをリリースしている。
さらには、キャンピングカーや防災用の津波シェルターなどの商品から、スキー場やキャンプ場などのレジャー施設なども手掛けている。多彩な事業を展開していくバイタリティを武器に時代をリードする企業として成長し続けているのだ。

  • タジマモーターコーポレーションの袋井次世代モビリティー研究開発センターに並べられた歴代マシンたちと写真に収まるモンスター田嶋

クルマを取り巻く環境が変わろうとも、『スズキスポーツ』、『モンスタースポーツ』のDNAはしっかりと受け継がれおり、弛まぬ進化を続けている。
カスタマイズパーツや、ニーズに合わせたチューニング、購入後に即レース参戦可能なコンプリートカーの提案など。スズキ車を中心とした、スポーツ性能やアクティブ性能を引き立てるアイテム群には、必ずや感動的な楽しみが詰まっている。
真のクルマ好きが集まった集団、『モンスタースポーツ』のスピリッツは、いつまでも熱く、我々の期待に応えてくれるであろう。

(写真:タジマモーターコーポレーション)

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