モータースポーツ黎明期から活動していたダイハツのDNAが、『D-SPORT』との共闘によって再びコンペティションシーンに蘇る
自身の乗る自動車メーカーのファンの方はもちろん、新車を購入する際のオプション選びや、愛車をカスタマイズする際に気になるのが、自動車メーカーとともに開発を進める用品、カスタマイズブランド。メーカー品質で作られるそのハイクオリティな用品やパーツは、愛車への愛着をより高めてくれるものばかりだ。
そんなカスタマイズブランドを紹介するコラム。第11回は独自ブランドからダイハツと強力なタッグを組み、ダイハツ車のカスタムパーツやモータースポーツを体験する場を提供する「D-SPORT」をお届けしよう。
“リッターカー”で世界のラリーを驚かせたダイハツ・レーシング・サービス(DRS)
ダイハツ工業(以下:ダイハツ)の成り立ちは、1907年(明治40年)に創立された『発動機製造』がその出発点となる。1930年(昭和5年)になると、自社エンジン搭載の三輪自動車を製造するようになり、これを機に自動車メーカーへと移行し、1951年(昭和26年)に現在の『ダイハツ』へと改名された。
国内最古の自動車メーカーであるダイハツは、国内の自動車文化を牽引してきた“生き字引”でもあると同時に、モータリゼーションの黎明期には、技術革新をさせていく上での開発の場として、積極的にモータースポーツにも力を入れていた。
-
サファリラリーに投入された初代シャレード(G10型)。軽量が利点となりオフロードでの走行性が高く、『リトルジャイアントキリングカー(小さな大物食い)』の異名を取った。
1960年代には、東京ダイハツに設けられた“ダイハツスポーツコーナー”にて、『DRS(ダイハツ・レーシング・サービス)』、並びに、ダイハツ車の愛好家有志による『DCCS(ダイハツ・カー・クラブ・スポーツ)』も立ち上げられた。DRSの活動は主にワークスマシンの製作や海外でのレース活動、DCCSはチーム運営を主体とした位置づけで、ダイハツのモータースポーツ活動を活性化させていった。
当時、特に大きなトピックとなったのは、『サファリラリー』への参戦だろう。ダイハツは、サファリという過酷なステージに、リッターカーである『シャレード』を投入。1982年に初代シャレード(G10型)でクラス優勝を成し遂げる。そして1985年には、シャレード926ターボ(G26型)を駆って、再びクラス優勝(総合14位入賞)。さらに1987年に投入した3代目シャレード(G100型)では、毎年のようにクラス優勝を獲り、1993年には総合でも5位入賞するなど、驚きのパフォーマンスを世界に知らしめた。
その他にも、数々の活躍を重ねてきたダイハツのモータースポーツ活動であったが、2008年に起こったリーマンショックの影響を受け、ダイハツワークスは2009年をもってモータースポーツ活動からの撤退を余儀なくされてしまった。そうしてDRSの解散と、DCCS主催のジムカーナ競技会なども終焉。事実上、ダイハツワークスは消滅してしまった。
「D-SPORT」の誕生とダイハツ車で挑んださまざまなチャレンジ
-
K4-GP FUJI 10時間耐久に参戦するD-SPORT Racing Teamのミライースターボ
時を前後して2002年。DRSの活動時期と重なり、ダイハツ車専門のカスタマイズブランドとして『D-SPORT』ブランドが立ち上がる。これはダイハツ直系のワークスではなく、『SPK』によるブランドであった。SPK株式会社(以下:SPK)は1917年(大正6年)に設立された、こちらも歴史ある自動車関連企業で、1980年代には「TOM CRAFT」としてラリーにも自社で参戦した経験も持つ。現在もTOYOTA GAZOO Racing Rally Challengeのパートナーを務めるなど、モータースポーツやカスタマイズの分野において長年にわたり活動を続けている、“知る人ぞ知る存在”である。
後述するが、2022年からはダイハツと共同でレーシングチームも立ち上げている。よって、ダイハツとSPKの間に直接的な資本関係はないものの、実はこの両社の関係性は深く、ダイハツとSPKに長年の付き合いがあったからこそ、今に通じるD-SPORTブランドが生まれたというバックストーリーがあったのだ。
-
2006年の東京オートサロン出展の一枚。スポーツタイプのコペンだけでなく、軽ミニバンなどのカスタマイズパーツも数多く展開される。
『D-SPORT』のお披露目は、2002年1月に開催された“東京オートサロン2002”の会場であった。その披露会場でのアンベールは、なんとダイハツも同席した記者会見となった。“官民”ならぬ、“自動車メーカーと、いち企業”というコラボレートは、ユーザー側からすると、“D-SPORTの商品はどんなものか?”と、その好奇心はいやが上にも高まった。
“東京オートサロン”は、愛車のカスタマイズやモータースポーツ愛好家が集まる、国内最大のカーイベント。そこでのお披露目は、『D-SPORT』のブランドを訴求するに格好の場となり、瞬く間に全国区での知名度を得ることになったのだ。
そうして立ち上がった『D-SPORT』ブランド。以降、毎年開催される“東京オートサロン”では、ダイハツのブースに、D-SPORTのデモカーや商品が展示されるという、もはやワークス並みのプロモーション活動によって、より深い知名度を獲得していった。
それと同時に、実際にリリースされる商品群のクオリティは高く、ダイハツ車ユーザーが安心して手に取れるカスタマイズパーツとして、その信頼性を絶対的なものへと昇華させていく。
-
2007年にK4GP富士1000km耐久エコランに参戦したDSP weds ADVAN エッセ
熱心な自動車愛好家たちは、特に自身が乗っているクルマに関しては、皆が“マニア”と言えるほど、そのクルマに精通している。それだけに、特にクルマの性能に直結するようなパーツに関しては、『ホンモノ』しか装着しないといった向きが大半である。そんなマニアを唸らせるアイテムを創造するD-SPORTの部品開発には、弛まぬ努力と確固たる裏付けがある。
-
2004年のK-Car筑波2時間耐久レースにも参戦したD-SPORTコペン(L880K)
D-SPORTの誕生から半年後。2002年6月にダイハツの新型車、『コペン(L880K型)』が発売された。ダイハツが久々に世に送り出すスポーツモデルのコペンに合わせて、当然スポーツ&カスタマイズパーツを開発していたD-SPORTも、大きな波を捉えることに。
D-SPORTは、ブランド設立の翌年となる2003年には、『K4-GP FUJI1000km耐久レース』へ参戦を開始。2007年にマレーシアで行なわれたK4-GPでは、24時間耐久という過酷なレースも体験。こういった舞台に積極参戦することで、自社パーツの機能性や耐久性を徹底的に鍛え上げていった。耐久レースの場で得られた貴重なデータや経験は、市販品の開発に直接フィードバックされ、製品のさらなるレベルアップに大きく貢献していったのだ。
そして当然、街中での使い勝手も十二分に考慮され、スポーツ性能と快適性能の最適バランスを導いて初めて商品となる。こうしたユーザー目線での開発スキームが、質実剛健なD-SPORT製パーツの真骨頂なのである。
-
『D-SPORT CUP & DAIHATSU Challenge Cup』の記念写真
また、D-SPORTはパーツを開発するだけでなく、ユーザーがモータースポーツを楽しむための“場”を提供するということにも積極的に取り組む。
2010年から開催されている『D-SPORT CUP』は、ダイハツ車ユーザーに“走る楽しさの場”を提供。2022年からは、2008年まで開催されていたダイハツ主催のJAF公認のジムカーナイベント、『ダイハツ・チャレンジカップ』を復活する形で、ダイハツとSPKの共催『D-SPORT&DAIHATSU Challenge Cup』に発展。そして2023年には、『D-SPORT DAIHATSU Circuit Trial』といった、初心者でも気軽に楽しめるタイムトライアル競技もスタートしている。
これらのイベントでは、参加者が国内BライセンスやAライセンスを取得できる機会も設けられており、本格的なモータースポーツ参入への足掛かりとしても大いに活用できるコンテンツなのである。
コペンでラリーの最高峰、WRCにも参戦!
-
ラリージャパンに参戦したD-SPORT Racing Teamのダイハツ コペン GRスポーツ
-
2022年にはSPK(D-SPORT)とダイハツはタッグを組み、「D-SPORT Racing Rally Team」を共同で立ち上げ、国内のラリー競技だけでなく、世界3大レースである『WRC』の“ラリージャパン”へも参戦。2023年からは、「D-SPORT Racing Team」へ発展し活動の幅を広げるとともに、ダイハツの親会社でもあるトヨタ自動車の『TOYOTA GAZOO Racing』に続くべく、『DAIHATSU GAZOO Racing』としての活動もスタートしているのだ。
そうして2022年、2023年のWRCのラリージャパンでは、『D-SPORT RacingコペンGRスポーツ』が、2年連続でクラス優勝(JRCar3クラス)を獲得するという快挙を成し遂げた。
日本独自の軽自動車という規格が世界規模のレースでクラス優勝を遂げる、こうしたことを想像していた方は多くはないだろう。、それも、D-SPORTがダイハツ車に惚れ込み、これまで挑み続けてきた情熱があってこそなのだ。
軽量・コンパクトなダイハツ車が持つポテンシャルを、『もっと楽しくドライビングできるように』と、さらに引き立てるパーツ群の開発はもちろん、走る楽しさへの門戸をも開いてくれるD-SPORTのアクティブな活動は、この先もユーザーの期待と共に躍進していくのだ。
(写真:SPK/ダイハツ)
メーカー直系ブランドストーリー
-

-
70~80年代のスーパーカーブームで、少年達を熱狂させたレーシングカー・コンストラクター『童夢』の意気
2025.10.04 コラム・エッセイ
-

-
モータースポーツ黎明期から活動していたダイハツのDNAが、『D-SPORT』との共闘によって再びコンペティションシーンに蘇る
2025.10.03 コラム・エッセイ
-

-
超ド級の競技車両を開発し、ダート系モータースポーツ界を席巻した『SUZUKI SPORT』、そして進化を遂げた『MONSTER SPORT』の快進撃
2025.09.04 コラム・エッセイ
-

-
世界のレースを見据えて設立された『ラリーアート』が大成。一時活動休止を経て再び灯された情熱のDNA
2025.08.21 コラム・エッセイ
-

-
世界を獲った『MAZDA SPEED』から30年の時を経て、令和に蘇った『MAZDA SPIRIT RACING』の魂
2025.08.06 コラム・エッセイ
-

-
六連星に宿る青きスピリットと「人へのやさしさ」に磨きをかける『STI(スバルテクニカインターナショナル)』の真髄
2025.07.24 コラム・エッセイ
-

-
もっと自分らしく、もっと快適に。ホンダアクセスと『Modulo』ブランドが叶えてくれる充実のカーライフ
2025.07.07 コラム・エッセイ
-

-
どこまでも高みを目指し、技術と情熱を注ぐ『無限』スピリッツは、限界のその先へ挑み続ける
2025.06.24 コラム・エッセイ
-

-
“プレミアムスポーティ”をブランドコンセプトに掲げる『AUTECH』が紡ぐクラフトマンシップ
2025.05.31 コラム・エッセイ
-

-
モータースポーツから生まれ、モータースポーツと共に歩んできたサーキットの雄、『NISMO』の軌跡
2025.05.30 コラム・エッセイ
-

-
感性に響く上質なデザインで、日常の時間と心を豊かにする『MODELLISTA』のエアロパーツ
2025.05.12 コラム・エッセイ
-

-
サーキット産まれ、サーキット育ちの『TRD』が魅せる、各種アイテムやコンプリートカーにユーザーが歓喜
2025.05.10 コラム・エッセイ







