家康のおかげで完成? 首都高の歴史を振り返る

現在総延長300kmを超え、通行量は1日100万台以上の首都高速道路。2020年の東京オリンピックでも立役者になることは間違いなし。今回はその歴史を振り返ってみたい。

当初は東京オリンピックのために作ろうとしていたわけではなかった!?

1959年6月17日首都高速道路公団が発足。発足以前は、高速道路調査特別委員会が慢性的な渋滞を緩和するために首都高速道路開発の話を進めていた。1965年までに8つの放射路線と環状線、延長71kmを建設する予定だった。
日本では明治時代に導入された自動車。1918年にはクルマの登録台数が約3000台、1930年には約2万7000台、1940年には約5万8000台。関東大震災で鉄道や市電が大きな被害を受け、市バス、タクシーが海外から輸入され始め、次第に普通乗用車の数も増えていった。
当時のクルマは近場の移動手段として使われるものであり、人口の多い都内は渋滞が頻繁だった。平面道路の限界。高架、あるいは地下での道路建設が必要だったのだ。
ところが、公団発足1か月前に東京オリンピック(1964年)が開催されることが決まる。完成予定は1年前倒しされた。

徳川家康のおかげで完成した!?

江戸は水運の都。当時はクルマもなく、舟を使うことが唯一の大量輸送手段。生活必需品を将軍家に運び、買い取りが付かなかった品々を街中で売りさばく。江戸を繁栄させるためには水路の開拓は不可欠なものだった。
その90年後、高度経済成長期の真っただ中にあった日本。地価も高くなっていた。首都高速建設のための用地を確保するのには、時間と費用がかかる。そこで江戸時代に作られた水路の上にも高速道路を作ることにした。これにより用地買収にかける手間を大幅に削減されたのだ。
ちなみに、東京オリンピック関連の首都高速道路総事業費はおよそ700億円。水路を利用せずに新たな道路開拓から始めた場合、1兆円は超えていたと言われている。

東京オリンピック前にギリギリで完成!

1964年10月1日。日本橋~羽田空港の1号線、銀座~芝公園の2号線、隼町~霞が関の3号線、日本橋~大手町~幡ヶ谷の4号線、計4路線が完成し、延長は31.8kmになった。東京オリンピックが開催される直前のことである。
当時の道路事情は過密状態が続いており、羽田から選手村まで2時間はかかると言われていた。首都高の開通によって30分に短縮された。

21世紀の首都高の未来を60年前に予測していた男!?

1952年に連載開始された手塚治虫の『鉄腕アトム』。人間と同等の感情を持ったロボット・アトムが21世紀の未来で活躍する物語だ。マンガを見てみると、ビルの間を縫うように立体道路が続いているのが確認できる。当時、遠い未来だった21世紀、手塚治虫の予想した未来が首都高速道路で実現されているのだ。

5年後の東京オリンピックに向けて、今なお変化し続けている首都高速道路。今から60年後はいったいどのような姿になっているのだろうか。

参考文献
首都高ドライバーズサイト http://www.shutoko.jp/
『首都高物語 都市の道路に夢を託した技術者たち』(一般財団法人首都高速道路協会/青草書房)

(山川悠+ノオト)

[ガズー編集部]

MORIZO on the Road