「日本だからクラシックカーに乗れる」フランス人パティシエのシトロエン愛

以前取材した、静岡市のミルクフラワーの淺井夫妻から「浜松に古いシトロエンを愛し、普段のアシではマセラティを愛用しているパティシエがいる」と教えてもらい、お邪魔したのが今回ご紹介する「Patisserie Abondance(パティスリー・アボンドンス)」。

浜松では「青いケーキ屋さん」と言って親しまれているそうで、お店に伺うとケーキを注文するお客様がひっきりなしに訪れていました。地元のみなさんから愛されているのがよくわかります。

店内では、お店を営むフランス人パティシエのベルナール・エベルレさんと奥様が接客中。ショウケースには、まるで宝飾品のようなケーキが並べられています。ケーキを選ぶお客様が悩んでいると、ベルナールさんがショウケースの右端を指します。流ちょうな日本語で「お勧めはここから……」と言ったかと思うと、その手をショウケースの左端まで移動させ「ここまでですね!」。それを聞いたお客様からは「全部じゃないですか!」と笑いがこぼれていました。ケーキを愛し心を込めて作るだけでなく、それを食べてくださるお客様とのコミュニケーションも手を抜かない。そんなベルナールさんのお人柄がうかがえる、明るいお店です。

パティスリー・アボンドンスのベルナール・エベルレさん。ユーモアにあふれつつも、職人としてのこだわり、愛車への愛情を強く感じた

愛車はシトロエン・トラクシオン・アヴァン

お客様が一段落すると、お店の裏に停めてある愛車シトロエン・トラクシオン・アヴァンのもとへ。こちらは11CVレジェというタイプ。シリーズの中核のモデルで、後継車種「DS」が登場した後も1957年まで継続生産されたようです。今では乗用車の常識になっていると言ってよい「FFモノコック構造」をいち早く採用した量産車。コンパクトなボディにゆったり広々としたキャビンを載せたこのクルマは大変好評でした。

ただ、よく見るトラクシオン・アヴァンとは、フロントまわりのデザインが異なりますね。やや寝ているオリジナルのフロントグリルに比べ、格子状の直立に張り出したようなデザインになっています。

ベルナールさんのトラクシオン・アヴァン。ボンネットの造形が個性的だ

「これは警察車両用のフロントグリルです。当時無線機を搭載するために、エンジンルームの内部のスペースを拡大させる目的で専用デザインのものが警察車両用では採用されていました」とベルナールさん。

かつて彼の叔父が持っていたトラクシオン・アヴァンと同型のものだそうで、これに憧れて探しだしたのだそうです。パリで見つけたという今の愛車は、もともと裁判所の偉い人が所有していたのだとか。かなりタイトなスケジュールの中、このクルマをすぐに決め、その日のうちにフランスの湾岸都市ル・アーブルに運び、2か月後に日本に届いたのだそうです。

このクルマを購入するきっかけになった写真も見せてもらった

少し離れた自宅にも別のクルマがあるというので、ベルナールさんの運転するトラクシオン・アヴァンで移動します。ボディも軽く、フランス社の実用エンジンがそうであるように、低速トルクがリッチでよく粘ります。

大柄なベルナールさんだが、室内の広さは相当なもの。当時からシトロエンのパッケージがいかに秀逸だったかを痛感させられた
トラクシオン・アヴァンの後席

自宅にも古いシトロエン

ほどなくしてご自宅に到着すると、きれいなシトロエン・2CVがお出迎え。グレーの2トーンはチャールストンですね。しかし、よく見るとドアの下の部分がガラスになっており、内部が見えるようになっています。

ウエストラインから下の部分にガラスが。また座席も3人乗り仕様に変更されている

2CVが設計されるとき、重要視されたテーマが「実用的な大衆車であっても、卵の割れない乗り心地」というのは有名な話。ケーキ屋さんにとって卵は欠かせない存在ということで、非常にアイコニックな1台としてオリジナルの仕様に仕立てられ、ドアも特注でガラスを入れたそうです。きれいなボディは、オリジナルの鉄板ではなく、ドイツ製のFRPの外販パネルになっています。

日本にいるからこそ、クラシックなクルマに乗れる

愛車に関する文献も多数コレクションしている

「11歳の時にちょっとだけ2CVを運転したのが初めての運転の体験です。クルマ離れはいまや日本だけの問題ではなく、世界的な現象のようですが、とても寂しいですね」とベルナールさん。パリに古いクルマが乗り入れられなくなるというニュースについても、「日曜日のみしか乗れないし、出入りもできない。あれは締め出しです」と話していました。

近年日本でも古いクルマには自動車税が重加算されるようになっていますが、それでも日本の方が古いクルマに乗る環境としては恵まれていると感じられる部分もあるそうです。

「フランスだとこういうクルマは停められません。治安が悪く、少しでも目立つクルマはいたずらをされてしまうので、停める場所も気を使います。日本はその点安心です。マセラティやシトロエンのクラシックモデルなどに乗れるのは日本にいるからに他ならないのですよ」。

自宅のガレージのラインナップ。これ以上何もいらないそんな3台との暮らし、うらやましい限り

来日されて既に24年。フランス中東部アルザス地方出身のベルナールさんにとって、日本はとても住みやすいそうです。「もう人生の半分日本にいますね。いい温泉もたくさんあり、皆さん優しいので大好きです! 浜松は天気がとてもいいですが、湿度が高いのは今でも苦手です。そして食べ物がおいしすぎなのは少し困ったものです(笑)」。そしてクルマ好きとして今の環境も気に入っているようです。「今後はいろんなクルマのオーナーさんと交流してお互いに勉強したいです。公私ともにクルマ好きに囲まれて暮らすのは幸せなことですね」。

シトロエン・トラクシオン・アヴァン(左)と普段のアシとして大活躍のマセラティ・ギブリ(右)
トラクシオン・アヴァンのエンジン。実にコンパクトだ

フランス菓子にこだわって

そんなベルナールさんにパティシエとしてのお話もうかがいました。「私はフランス菓子にこだわっています。フランス菓子ではないシュークリームはやりません。個人的にはゆずが好きですが、素材としてお菓子には使いません、フランス菓子ではなくなってしまうからです。そして日本の風土と同じように、私も『旬』を大事にしていきたいと思っています。またフランスでも基礎から地道にフランス菓子を作る職人は少なくなっています。私は日本のお客様に喜んでもらえるフランス菓子をこれからも作っていきたいと思っています」。

遠い異国の地で、母国を愛し、技を披露するベルナールさんだからこそできるディープで自由なクルマの楽しみ方をのぞき見たような気分です。ベルナールさんのシトロエンへのまなざしは、日本人の多くがそうであるような「フランスへの憧れ」ではなく「郷愁」や子供のころから抱いてきた純粋な「童心」の結晶だと感じました。

店内に飾られるミニカー。愛車でもあるシトロエンともう一台ブガッティが顔をそろえるところにフランス人自動車愛好家であり職人でもあるベルナールさんの誇りのようなものを感じた

シトロエン愛好家ベルナールさんのケーキを買って帰途に就くと、自分のカーライフも実に「豊か」=「Abondance」なものに感じられるから不思議です。皆さんもクルマの話をお土産に、浜松のベルナールさんのお店まで、お菓子を買いに行ってみてはいかがでしょうか。

(中込健太郎+ノオト)

[ガズー編集部]