スカイライン60周年こそ行きたい! プリンス&スカイラインミュウジアム訪問レポ

日本のメーカー各社、かなり車種のラインナップを整理統廃合してきており、日産もその例外ではありません。しかしその中で、現在もなおカタログモデルとして残っているスカイライン。日本車の中でもクラウンと並んで歴史ある車種名のひとつで、初代のスカイラインが登場したのは1957年のこと。今年はちょうど60周年と還暦を迎えます。

今回はそんな歴史あるスカイラインをメインに展示している、長野県岡谷市の「プリンス&スカイラインミュウジアム」を訪ねました。

国道20号線で諏訪湖を過ぎて岡谷から塩尻に抜ける途中。丘の上にある、鳥居平やまびこ公園の一角に「プリンス&スカイラインミュウジアム」は建っています。眼下に諏訪湖が一望できるロケーション。ミュージアム見学者に限らず、地元の子どもたちも訪れる市民憩いの場になっているのです。建物は岡谷市が所有し、公益財団法人おかや文化振興事業団が運営。1997年に日本初の単一車種をメインに据えた自動車博物館としてオープン。以来多くのスカイラインファンをはじめクルマ好きがここを訪れてきました。

国産初の御料車を納めたメーカープリンスのクルマたち、気品と風格を感じる

広さ自体はさほど大きくはありませんが、このミュージアムに足しげく通う人は少なくありません。「多い方は年に数度と通われています。年に一度だけ展示車を入れ替えるほかは、一年を通して展示車両は入れ替えておりません。それぞれ別のオーナー様からお借りしたクルマが、この場所でお待ちしております」と、ミュージアムのスタッフの方は教えてくれました。

エントランスから階下に降りると展示室に至る

ショップは、エントランスの横に。そして。らせん階段を下りた階下が展示室になっています。

スカイラインを世に送り出したのは、まだ日産と合併する前のプリンス自動車です。どんな背景でプリンス自動車が生まれたか、いかに高い技術力を誇り、志のあるメーカーだったのか。展示車を見るばかりでなく、周辺のパネルなどでもわかりやすく学ぶことができ、クルマ好きなら誰でも心揺さぶられることでしょう。

また、販売台数の割に姿を消してしまったプリンスの商用車なども展示されています。故・櫻井眞一郎氏(スカイラインの生みの親と言われ、このミュージアムのオープンにも尽力。初代名誉館長を務めた)も、そうした商用車開発に携わったことがある、というエピソードも紹介されていました。

代替えとともに廃車になることも多く現存数が少ない商用車は乗用車以上に貴重だ

投機的なクラシックカーの見方をした場合に、このミュージアムにあるクルマは、必ずしも値が高騰する希少車ばかりではないかもしれません。しかしながら、R33をベースに、R34型の先行走行試験を行った試作車など、日本でも屈指の歴史を持つ乗用車の「それがなければ今はなかった」という貴重な1台に出会えることに、とても大きな価値を感じることができました。

スカイラインは各世代で自動車のイメージリーダー的なモデルが存在する
取材した日は来場者も少なかったため、1台のレーシングマシンのコックピットに座らせてもらえた。当時の熱い戦いの鼓動が、今にもステアリングを伝ってよみがえりそうだ

諏訪湖を見渡せる岡谷の鳥居平に建つ「プリンス&スカイラインミュウジアム」に対し、初代名誉館長櫻井眞一郎氏は「このクルマの命名の理由を想起させる」と言ったそうです。なぜならここは、頬を撫でる風で「スカイラインを感じることができる場所」。展示室で貴重なスカイラインをはじめとするプリンスの展示車を見た後、外の公園から諏訪湖を、そしてそれを囲むようにそびえる信州の山々の稜線を観るだけで、車名に思いをはせることができるのです。そんな環境を含めた展示手法に、自動車文化の神髄を感じました。

是非皆さんも信州を訪れた際には岡谷市やまびこ公園にある「プリンス&スカイラインミュウジアム」を訪れてみてはいかがでしょうか。

もっともポピュラーなモデルとして市場からの支持の厚かったケンメリのセダン
よく見ると2400㏄エンジンを搭載した輸出モデルだ。エンブレムもスカイラインではなくダットサンに
今とは違い、サービスカーも専用ペイントが施されていた
エントランス横の売店も必見だ。テールレンズを模した円がデザインされたTシャツやキャップなど、ファンならずともつい手が伸びてしまう

(中込健太郎+ノオト)

[ガズー編集部]