「右京」の名を受け継ぐ若獅子・笹原右京が見据えるF1ワールドチャンピオンへの道
笹原右京という22歳のドライバーがいます。「右京」とは、言うまでもなく片山右京から取った名前。自動車修理工の父と熱狂的な片山右京ファンの母によって名付けられました。
F3ドライバーとして活躍中の右京選手ですが、“今”はあくまで“過程”でしかない。目標はあくまでF1だと、彼は断言します。
そんな笹原右京が今までに辿ってきた道のり、片山右京さんからの影響、そして意外な“ドライバーあるある”等について話を聞いてきました。
名前と攻め気を片山右京から受け継ぐ
――2015年まで右京選手はオーストリアを拠点に欧州で活動されていました。現地で、「右京ってあの片山右京の?」とピンと来る人はいましたか?
「あのウキョウ・カタヤマから取っているのか」と言う人は、レースの世界では多かったです。片山右京さんはF1にも出ていますし、特徴のある走りをする選手でもあったので。右京さんってすごく攻めていくスタイルなんです。とても全開では曲がれないようなコーナーでも、右京さんは全開でした(笑)。
- 1996年10月、F1日本GPにて幼少期の笹原右京選手(左)と片山右京さん(右)。
――そういう部分は、ご自身にもあると自覚されていますか?
そうですね。少しでも気持ちの弱いところがあると、悪影響が出てしまいます。「勝つんだ!」という強い気持ちがないと、1000分の1秒の世界でロスが出てしてしまう。レース以外の時の自分は「優しいね」とよく言われるんですが、レースになると全く違うというか(笑)。むしろ、アグレッシブに攻めていくほうです。そうじゃないといけないと僕は思っていて。マシンの調子が良く、ドライバーの差がない場面で、最後に何で決まるかと言うと気持ちしかないです。
――その辺りも「右京」が受け継がれているわけですね! では、右京選手の幼少期から振り返っていきたいと思います。6歳でレーシングカートデビューし、13歳でカートの世界ジュニアチャンピオンになる。運命のような流れですが、物心ついた時から「クルマに乗りたい!」という思いをお持ちだったんですか?
父は元々、ラリーやダートトライアルを楽しんでいた選手で、実際に競技をしている姿を見ていました。加えて、母はモータースポーツのファンだったので、当然のように「車が好き」という感覚になっていたんです。保育園児の頃は乗り物系の遊具を乗り倒しましたし(笑)。当時、僕はどんな乗り物もドリフトさせるのが好きで、面白がった父親が工場内にオイルを撒いて滑りやすくしてくれました。寒い時期、工場前のスロープに水を撒くとすぐ凍るんですけど、あえてツルツルにしてドリフトの練習をやっていましたね。レーサーに育てようという目的が父にあったのかわかりませんが、僕にドリフトの練習をさせようという意図はあったみたいです。事実、スロープやオイル上での練習によって車のコントロール能力が身に付きました。例えば、レースの最初の1~2周はタイヤが温まり切ってなくて、氷の上みたいに滑りやすいです。逆に言えば、その時のタイム差で下位とのギャップを作ることができる。今まで「レーサーになれ」と親から言われたことは1回もありませんが、僕がレースを志すような環境づくりはされていたような気がします。
――右京選手がオーストリアに行かれたのは何歳の時ですか?
中学の卒業式が終わって数週間後、16歳の誕生日前です。中1で1度目のワールドチャンピオンになった後、中2で僕が初めてヨーロッパのカートレースにシリーズ参戦した時にお世話になったオーストリアのチームがあるのですが、そこのオーナーが僕のことを気にしてくださっていて。僕自身、「早くヨーロッパに行きたい」と事あるごとに言っていたので、「学校も面倒見るから来てくれないか?」と声を掛けてくれたんです。もちろん、即決しました。
フォーミュラ・ルノーで優勝した小林可夢偉以来の日本人レーサー
――15歳でオーストリアへ行き、19歳になる2015年まで向こうで活動されています。ヨーロッパでは良い成績を残し、いくつかのチームからオファーをもらったそうですね。なのに、帰国された理由は?
2011年にカートのヨーロッパと世界チャンピオンを獲得したので「カートは最後にして2013年シーズンからはフォーミュラで勝負したい」と考えるようになりました。ずっと「F1に行くためには」と逆算して考えていたんですが、2008年にホンダさんが、2009年にトヨタさんがF1を撤退し、当時は日本国内からF1へ進む道が見えなくなっていた。でも、渡欧して居場所を得た自分にはヨーロッパのフォーミュラカーレースに参戦するチャンスがある。2015年には3勝をした上にランキングは3位で終え、「日本人F1ドライバーとしても小林可夢偉選手の後に続きたい」という思いを強くしました。そして、ユーロF3やGP3を視野に入れ、いくつかのトップチームのオファーの中から絞りこんでテストを受けたんです。でも、例えばユーロF3に参戦するには一年で1億円を上回る資金が必要になる。テストで僕のパフォーマンスを見たチームは「お前でどうしてもいきたい、通常の半分か3分の1くらいの資金があればいい」と譲歩してくれたのですが、毎年千万単位のレースを3シーズンギリギリで駆け抜けてきたし、最低限必要な資金の目処をつけることができなかった。仮にチームの好意に甘えたとしても、その先のF2、F1に自力でステップアップすることは難しいと理解しました。同じタイミングで、ホンダさんがパワーユニットのサプライヤーとしてF1に復帰した。GP3やGP2(現F2)に日本からドライバーの派遣を開始するという現実もある。F1への可能性をシンプルに考え、最終的に「ホンダさんの門を叩こう」と決めました。
- 2015年5月、ユーロカップ フォーミュラルノー2.0(ベルギー/スパフランコルシャン)優勝。
――前向きな形で帰国されたわけですね。
はい。2016年に「鈴鹿サーキットレーシングスクールフォーミュラ(SRS-Formula)」に挑戦し、ホンダさんのスカラシップ(ドライバーをサポートする制度)が取ることができました。「今さらスクールに入るの?」と対外的には随分なステップダウンに映ったかもしれませんが、僕の目標は明確だったので恥ずかしいことではなかったです。また、2017年はHondaフォーミュラ・ドリーム・プロジェクト(HFDP)でFIA-F4のレースでランキング2位を獲得し、今シーズンはHFDPに籍を残しながらThreeBond Racingさんで全日本F3選手権に出場することとなりました。現時点で目標への挑戦権はまだ残されていると信じ、精一杯やっていくつもりです。
- 2016年、鈴鹿サーキットレーシングスクールフォーミュラ(SRS-F)へ入校
――オーストリアにいた時は毎年帰国し、スポンサーを回って資金を蓄えてからオーストリアに戻っていたんですか?
たとえ一週間でも学校が休みの時は日本に戻り、スポンサー活動を行っていました。フォーミュラカーレースには数千万円が必要なんですが、そう簡単には集められません。僕はチームとの契約交渉を全部1人でやっていて、契約書にサインするのはいつもギリギリ開幕直前でした。通常は一括で支払うべきところを分割払いや掛け払いの提案をいただくなどチームには譲歩してもらっていたのですが、そのやり取りも全て自分で行っています。毎年、あの時期は生きた心地がしなかったです(苦笑)。
――オーストリアに戻りたいというお気持ちは今もありますか?
オーストリアに限定せず、ヨーロッパに戻りたいという思いは強いです。ヨーロッパは世界中から速いドライバーが集まってくる競争の激しい環境ですし、彼らの中で速さを見せることが重要。現在、ホンダさんからはFIA-F2へドライバーが2人派遣されていますが、そのルートに乗りたいと僕を含めたホンダ育成ドライバー全員が望んでいるはず。そして、そのルートに僕が乗った時、ヨーロッパで今まで培ってきた経験やネットワーク等が他の日本人選手にはないアドバンテージになります。そのためには、ホンダの中で常に一番じゃなきゃいけないし、目立つ成績を残すことが重要です。
- 2018年シーズンは ThreeBond Racingから全日本F3選手権に参戦。
サーキットより一般道のほうが怖い
――右京選手は日本での運転免許を取得されていますよね。レースのクルマと普通の乗用車に違いは感じましたか?
フォーミュラカーでリバースギアを入れることって滅多にないんです。だから、教習所で一番戸惑ったのはバックと縦列駐車です。これ、自動車免許取得前にデビューをしたレーサーにとって“あるある”かもしれません。あと、レース場は一方通行で、遅い車と速い車がハッキリしています。一般道には対向車がいて、予期せぬ動きをする自動車や歩行者がいて、何かが起きる可能性がいっぱいある。怖くてしょうがないです。常に気を張ってなくちゃいけないので、僕はあんまり一般道は運転したくない(笑)。一般道で飛ばす車がいたら「そういうのは頼むからサーキットでやってくれ」と思います(苦笑)。
――ちなみに今、右京選手はどんなクルマに乗っていますか?
僕のではなく父の整備工場の車なんですけど、シビックやエディックスに乗っています。乗りたいクルマはNSXです。
――ホンダさんからプレゼントされたりしないんですかね?
いや、まだそんな身分ではないです! 佐藤琢磨さんがインディ500で優勝しましたが、世界の中でレジェンドと呼ばれる方がようやくプレゼントされるようなクルマですから。まだまだですね(笑)。
ヨーロッパで「ヤバい奴」と警戒されている
――日本人選手が世界に出ると気後れしてしまう場面をよく見ます。右京選手はどうですか?
自分で言うのも変ですけど、僕は相当強いと思います。日本人がヨーロッパのレースに出ると「外国人はみんなアグレッシブだな」って感想を持つようですが、僕はカートレース時代から引かないですし、ヨーロッパ人から「こいつはヤバい奴だ」と警戒されています(笑)。向こうはわかりやすい実力主義で、速さを見せれば認めてくれます。
――F1ドライバーになる上で笹原右京に最も必要なものは何だと思いますか?
自分ではどうにもコントロールできないタイミングとか、ここぞという時の運が必要だと思います。世界にはF1ワールドチャンピオンを獲れそうな速くて上手いドライバーがたくさんいます。でも、それだけではF1に到達できないケースがほとんど。それは、資金がないという現実的な理由に加え、タイミングや運に恵まれなかったという例も数多いです。
――資金面で今までにたくさんの苦境があったと思うのですが、そんな息子の状況を知るお母さんが右京選手に何度か「もう、いいんじゃない?」と声を掛けたと伺いました。
毎年、何千万円というお金を集めてレースする自分を見て、母なりに感じるつらさもあったと思います。だからそういう言葉が出たと思うんですが、僕はどんなに厳しい局面でも諦めるとか投げ出すとかは全く考えてなくて。僕のゴールはF1ドライバーになることではなく、ワールドチャンピオンになることが人生における最終的なゴール。ずっと、それしか考えていないんです。
(取材・写真・文:寺西ジャジューカ 編集:ミノシマタカコ+ノオト)
[ガズー編集部]
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