なぜフェラーリとポルシェのエンブレムは同じ「跳ね馬」なの? ルーツを探ってみた
フェラーリのエンブレムと言えば、「カヴァリーノ・ランパンテ」と呼ばれる跳ね馬です。黄色地に黒い跳ね馬のエンブレムは、フェラーリを象徴するアイテムと言ってもいいでしょう。しかし、ここで疑問が……。
ポルシェのエンブレムを見てみると、ここにも似たような跳ね馬がデザインされているのです。調べてみると、フェラーリとポルシェのエンブレムは、ルーツを同じくしているという説がありました。
跳ね馬のルーツはシュトゥットガルト市の紋章?
ポルシェはドイツ南西部のシュトゥットガルトで誕生し、現在も同地に本社がありますが、このシュトゥットガルト市の紋章が、跳ね馬です。ポルシェは、本社のあるシュトゥットガルト市の紋章と同市のあるバーデン=ヴュルテンベルク州の州章を組み合わせ、自社エンブレムを作りました。
では、イタリアのモデナ県マラネッロという別の国で生まれたフェラーリが、なぜシュトゥットガルト市の紋章に似たデザインのエンブレムとなったのでしょうか?
歴史をたどると、今から100年以上前にさかのぼります。第1次世界大戦中、イタリア軍にはフランチェスコ・バラッカというエースパイロットがいました。この人は、跳ね馬を自身のパーソナルマークにしており、撃墜したドイツの戦闘機についていた紋章を戦利品として拝借したと言われています。
それがシュトゥットガルト市の紋章だったというわけです。大戦中にバラッカは戦死してしまいますが、それがフェラーリのエンブレムに採用されたきっかけだと言われています。
創始者エンツォ・フェラーリがバラッカの母親からエンブレムを継承
フェラーリとバラッカには、どんな関係があったのでしょうか? そこにはバラッカの母親の存在がありました。
1923年、のちにフェラーリの創始者となる、エンツォ・フェラーリが、イタリアのラヴェンナで行われたレースで優勝した時のこと。バラッカの母親が、エンツォの勇姿に戦死した息子の面影を見たとして、エンツォに「ぜひ息子の愛用していたシンボル(跳ね馬)を使ってほしい」と申し出て、それをエンツォが受け入れたのです。
この跳ね馬のエンブレムは、もともと幸運を呼ぶとされており、エンツォは馬の背景にイタリアの国旗をモチーフにしたデザインと、当時仲間たちと作ったレーシングチーム「スクーデリア・フェラーリ」のSとFをあしらうことで、現在のフェラーリのエンブレムの原型を作り上げました。
そういった数奇な運命が重なり、ポルシェとフェラーリのエンブレムは、同じ跳ね馬がモチーフとなったのです。これが伝説の起源だとされてきました。
ルーツは同じだと信じられてきたが……。
しかし、両者の跳ね馬は無関係だという説もあります。バラッカの跳ね馬のマークは、ドイツ機から拝借したものではなく、所属していたイタリア陸軍第2騎兵連隊の部隊章がルーツであるという説です。
第一次世界大戦に参戦したイタリア空軍のエース(撃墜王)、バラッカが愛機につけていたもので、バラッカが戦闘機第91中隊の指揮官になった時に、そのまま部隊章として残ったとも言われています。
バラッカが由来することはたしかでも、諸説ある模様。どうやらフェラーリとポルシェの跳ね馬エンブレムがルーツを同じとしている説は、あくまでも夢のある伝説であるようです。皆さんはどう思われますか?
(参考文献)
エンツォ・フェラーリ F1の帝王と呼ばれた男。―跳ね馬の肖像(集英社)ブロック・イェイツ (著) 桜井淑敏 (翻訳)
ラ・ミア・マッキナ―僕が知っているイタリアの素敵な自動車人たち(二玄社)内田盾男
メルセデスの魂(河出書房新社)御堀直嗣
<関連リンク>
フェラーリ公式YouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCd8iY-kEHtaB8qt8MH--zGw
(取材・文:斎藤雅道 編集:木谷宗義+ノオト)
[ガズー編集部]