鈴鹿サーキットの熱烈オファーで来日したパン職人、ドミニク・ドゥーセさんってどんな人?

三重県「鈴鹿サーキット」の近くに、古くからクルマ好きの間で名の知れたパン屋さんがあります。なぜ、有名なのかというと、店主のドミニク・ドゥーセさんが、「F1鈴鹿グランプリ」に呼ばれた人だから。

1987年に鈴鹿サーキットでF1グランプリが開催された際、「レーサーやFIA関係者たちに、おいしい料理とパンを振る舞ってほしい」と鈴鹿サーキットからオファーを受け、この地で店を構えるに至ったのです。それ以来、30年以上にわたり、鈴鹿でパンを作り続けています。

最初はしぶしぶだったけど……

ご自身の名前を冠したパン屋、「ドミニクドゥーセの店」を営むドミニクさん。取材中、何度も「鈴鹿が大好き!」「鈴鹿を愛している」とおっしゃっていましたが、オファーを受けた当初は鈴鹿……というより、日本に来ることにあまり乗り気ではなかったそうです。

  • フランスらしい雰囲気の「ドミニクドゥーセの店」

「フランスでパン職人をやっていたある日、フランスのパン・ケーキ職人の組織であるサンミッシェル組合を通じてホンダからオファーがきたんです。1986年のことでした。最初は詳細も聞かず、断ったんです。当時は日本という国にあまり興味がなかったのです。当時のフランスで日本といえば、電化製品のメーカーで見かけるな、というくらいの認識でしたし、ちょうどフランスで自分の店を構えようと考えていたときでもありましたからね」(ドミニクさん)

そんなドニミクさんが来日するに至ったのは、ドミニクさんと交渉を行ったホンダの担当者の粘り強い説得があったから。ドニミクさんが勤めるフランスのパン屋まで訪ねてくるほどの熱意に負けたのだといいます。でも、最終的な決断をしたのは「鈴鹿」という言葉が引っかかったからだそう。

「当時からモータースポーツ、特にオートバイは大好きだったんです。ですから、“スズカ”という名前は知っていました。そこでF1レーサーや関係者に料理を振舞ってほしいと聞いて、心が揺れたんです。ホンダの担当者の熱心さに負けたというのもありますが、話を聞いていく中で、日本で試験を受けることを決めました」(ドミニクさん)

来日3日目で350人分のパンを作ることに!

オファーがきたからといって即採用ではなく、関係者が満足のいく食事を提供できるかという課題に対する試験があったそう。ドニミクさんは1987年2月、日本での試験を受けるため1週間の休暇を取り日本へ向かいます。試験を受けるために日本に降り立ったドニミクさんを驚かせたのは、ホンダの手厚い“おもてなし”と厳しい試験内容でした。

  • 若き日のミハエル・シューマッハとドミニクさん(写真提供:ドミニク ドゥーセ)

「成田空港につくと、フランスと日本の国旗が揺れているホンダ・レジェンドが迎えにきてくれていて、東京の高級ホテルに連れて行ってもらいました。まるで王様になった気分でしたね。でも、王様気分もその日だけ。『明後日は試験を兼ねて、350人のジャーナリストにパンを作ってください』と言われたんです。材料や道具の準備や、手伝ってくれる人の有無など、何も知らない状態での話だったの驚きました。普通のフランス人なら逃げていたと思います(笑)」(ドミニクさん)

そうして、不安を抱えたまま鈴鹿へ向かったドミニクさん。現地についてみると、またしても“驚き”に出会います。そして、それがヤル気の起爆剤に!

「鈴鹿サーキットが素晴らしいのはもちろんですが、サーキットの中に遊園地があることに驚きました。当時、フランスには遊園地はもちろん、子どもたちがクルマやバイクを体験できる施設は私の知る限りありませんでした。笑顔と活気に溢れていて『ここで仕事ができたらおもしろそうだな!』と思いましたね。そして、無事に350人分のパンを作り上げました」(ドミニクさん)

記者会見の場にパンを持っていくと、たくさんのフラッシュを浴びて、「パンを作ってこんなに大ごとになるなんてフランスではありえない!」と、さらに驚いたと言います。

  • FIA会長のジャン・トッド氏と笑顔で話すドミニクさん(写真提供:ドミニク ドゥーセ)

こうしてドミニクさんは、鈴鹿サーキットの常駐シェフに就任。F1日本グランプリだけでなく、鈴鹿サーキットでおこなわれる数々のレースイベントで料理を振る舞い、世界中のモータースポーツ関係者から高い評価を受けるようになります。活躍の場は鈴鹿サーキットのみならず、F1チームが日本各地で行うパーティーで料理を提供してきたことからも、多くのモータースポーツ関係者が認めた味であることがわかります。

  • フランク・ウィリアムズ氏の誕生日にケーキを振る舞うドミニクさん(写真:ドミニクドゥーセ)

「鈴鹿サーキット大学」で学んだ気分

常駐シェフに就任したドミニクさんは以後、7年にわたり鈴鹿サーキットに従事。独立して鈴鹿市内に「ドミニクドゥーセの店」を構え、今に至るまで鈴鹿の地でパンや洋菓子を作りつづけています。来日してから、実に32年。ドミニクさんは「鈴鹿サーキットに育ててもらった」と言います。

「F1日本グランプリを始め、鈴鹿サーキットでの多くのイベントに携わることができました。本当に多くのことを学んだので、『鈴鹿サーキット大学に入学して学んだ』という気持ちですね。途中、ほかからもお誘いがありましたが、私を育ててくれたこの地を裏切ることはしたくないと、ずっと鈴鹿でやってきました。鈴鹿が好きで、この地に感謝しているからこそ、自分のお店をこの鈴鹿で持ち続けようと思っています」(ドミニクさん)

  • 現在の店舗へ改装した直後の様子(写真提供:ドミニク ドゥーセ)

数々の鈴鹿での思い出を語ってくださったドミニクさん。きっと、大変な思いもあったでしょうけれど、最後に「日本人の暖かさ」について話してくれました。

「5月にカヌレを作っている工場が、火事で燃えてしまったんです。従業員に被害はありませんでしたが、設備などが被害を受けて、とても落ち込みました。でも、日本の多くの仲間から暖かいメッセージをもらって、次の日には前向きになることができました。再建に向けたクラウドファンディングでも多くの支援をいただいていて、本当に感謝しています」(ドミニクさん)

  • 店内には生々しい火事の写真があった

これからも鈴鹿から離れず、「飾らないフランスの味を届けていきたい」と語っていたドミニクさん。目標はズバリ、「自分の銅像を鈴鹿サーキットに建ててもらうこと」とのこと! ドミニクさんの貢献を考えれば、それも夢ではないかもしれません。

ドミニクさんのパンは、インターネット販売も行っているので、気になる方はぜひ購入してみてください。世界のモータースポーツ関係者が認めた味は、格別ですよ!

▼ドミニクドゥーセの店
http://www.dominique.co.jp/

(取材・文:西川昇吾/写真:西川昇吾/編集:木谷宗義+ノオト)

[ガズー編集部]

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