わたしの大切な一枚
Instagramのハッシュタグ #10yearschallenge 、10年前の自分に立ち返って写真をアップするのが流行っているようですので、自分もやってみました。自分を振り返ると、もう少しだけウェイトの軽い自分がおりましたが、そこはどうでも良く。ちょうど10年前の2008年のシーンから思い出を…。
この年は、GAZOO.comがSUPER GTに以前から関わってはおりましたが、本格的に取り扱うようになった年だった?と思います。こちらのクルマのフロントフェンダー上にロゴがありますね。懐かしいです。
この年は、自分で受け止めきれないほど、サーキットでさまざまなことを吸収し、勉強した年でした。チームスタッフをしていましたので、現場最前線にいる分、刺激的で今よりも?ストレートに感動や悔しさがココロに刺さって来ました。ブログ流行りが始まる前からブログに書き留めていましたが、アクセスが増えてしまい公式ブログになり、内容もレース過多に軌道修正して行った思い出があります。あれはあれで楽しかったです(笑)。
さて本題です。気に入った写真が出てきたのでフォーカスします。Instagramへは、載せていたかな…。このコラムのヘッダーに置いた、↑上の一枚です。定番の写真ではありますが…。
以前、今のTGRF(トヨタ ガズー レーシング フェスティバル)は、TMSF(トヨタ モーター スポーツ フェスティバル)という名前でした。10年間開催され、2011年に、TGRFに生まれ変わりました。あれ?もう結構時間経ってますね!びっくり! そのTMSFの際の写真、2008年当時のトムスのアンドレ・ロッテラー選手と脇阪寿一TGRアンバサダーです。この黄金コンビは、2006年からタッグを組みました。以下、愛を込めていつもの呼び方で書かせていただきます。
素敵な笑顔ですよね。富士スピードウェイのピットにある控え室で撮影したものですが、ここにいたスタッフで、アンドレのお誕生日のお祝いをしたんです。あとから、ピットの前でファンのみなさまともお祝いしましたが、おふざけいっぱいで大変でした。アンドレのお誕生日なのに、寿一がろうそくを消しちゃう、それも何度も。そのうち、アンドレも諦め…(笑)。何気ないおふざけなのですが、感慨深かったのです。それには理由がありまして…。
2006年にドライバーを一新したチーム。このコンビでタイトルを2度獲得するなど、めざましい活躍で、私も味わえない経験をたくさんさせていただきました。でも、2006年当初から、この二人の関係が強固だった訳では当然ありません…。お互いエース格ですから、ぶつかりあいもありました。それぞれが思いを主張し、結構大変だったと思います。そばでつぶさに見ていたつもり、多少推測はありますが。まあ、苦労したのは彼らをマネージメントするチームだと思いますけどね。
アンドレは、うまく行かないレースでは、感情をあらわにするシーンもありましたし、寿一は、昔のあの尖った雰囲気で近寄りがたいオーラを出しまくっていました。この先、どうなるんだろうと思ったことも多々ありました、コンビ初年度は。
ピットウォーク、“脇阪寿一”の人気は、ハンパなかったです。今もだけど。アンドレは、みんなあいつのファンだろう?と、よく口にしていました。押すな押すなでピットウォークは常に危険。そこで私は、アンドレにフィーチャーしたブログをアップすることにしました。アンドレの布教活動開始です。SNSでも絶大なる人気の“脇阪寿一”のマメさにだけは、追いつくことができるかも?と思ってね。アクセス数は、足元にも及びませんでしたが。
アンドレ人気は、すぐに開花。って以前から当然人気はありましたが、さらに…。それは、もちろん私のブログなんかではなく、彼がアウディのサテライトチームのチーム・コレスで、ル・マン24時間を走り、世界へ羽ばたき始めたことに起因します。当時は、日本から居なくなっちゃうのかなと心配でよく動向を聞いていました。アウディワークスチームへの加入の話を具体的に進めていることを聞いた際は、いよいよバイバイなのか?と若干悲しくなったものです。
トムスのトランポで仕事をしていたので、そこで休むドライバーとは、よく話をしましたね。アンドレは、当時、私が購入した今のiPhoneと同じカタチをしたiPod を勝手に持っていって、ムービーを見たりゲームをして寛いでいました(笑)。マレーシアの空港に到着した際は、欧州から入ったアンドレと一緒になったのですが、すぐ横の滞在先のホテルへ、ゲームをしたままカート乗って向かっていったのを記憶しています。若かった。
ドライバーの二人は、私が仕事するすぐそばで着替えたりしていたのですが、いや逆か、ドライバーに近いところで仕事をしていましたが、私も慣れてきたら、着替えだからとその場を離れることもなくなり(笑)、平然とパソコンに向かっていましたが、脱いだ着替えを私のバッグに入れられたりと被害も増えていきました。リボン付きで入れておくところが、お育ちの良いお坊ちゃまだなと感心する母目線(笑)。セパンだったかな、寿一が、二人のお着替え中に“ねえさん後ろ向いてみ?”と、声をかけて来たのですが、やな予感がしたので振り向かず。今思えば、私の背後で二人が何をしていたか想像がつきます…見ておけば良かったかしら? キャー(笑)。
2009年、SUPER GTの2度目のチャンピオンになった最終戦を前に、アンドレのお父様がお亡くなりになり本当に悲しかったな…。日本に来たことももちろんあって、お話させていただきました。何度も書いてますが、小さい頃、熱があってもカートのレースに出て、とにかく速くていつもぶっちぎりで優勝していたと話してくれたんですよね。お母さまがひとりになってしまうのを心配していたアンドレ。しかし、このあたりからますます世界を転戦してのレース活動も激務になって行きましたね…。
2010年には、念願のワークス、アウディ チーム・ヨースト入りと一気に世界への階段を駆け足で昇り始めました。唐揚げを私のバッグに入れたりするアンドレは、もう居ない…。いや、いたか。
話を戻しますが、このコンビ、当初の心配をよそにお兄さんの寿一がうまくアンドレの良さを引き出すことで、ゆるぎない関係を築いていくことに、そんなに時間は要さなかったと思います。チームもますます強くなっていき、そんな彼らの姿をカメラで追いかけるのが、楽しかったです、写真は未だに進歩してないですけどね。チームのみんなは常に激務で大変だったろうなあ…。
二人の笑顔は、何度も見ています。シーズン一回は優勝するのが目標という寿一に、優勝のシーンは、何度も見せてもらいました。チームにも感謝です。この写真は、自分もとっても楽しかった頃を象徴しているんです。仕事だから、それなりに責任もありますが。フォルダを開くと、つたない写真に良い思い出がいっぱい詰まっていました。
今は、SUPER GT全体の盛り上げをする仕事もさせていただくようになりました。どんな苦労をしても良いと思うほど、話が来た時、うれしくてしょうがなかったです。ただ忙しさにだけ追われていて、しっかり伝えることがまだまだ不十分ではありますが…。レースへの関わり方は変わりましたが、いつも何かを追い続けている自分がいます。また、何かお伝え出来たらいいなと…。おまけのTMSF 2008の写真も。それでは、また!
(写真 / テキスト:大谷幸子)
レポーター(お)ねえさん・大谷幸子
随時、クルマに関する様々なイベント・テーマでレポートしていきます!
[ガズー編集部]
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