モータースポーツの聖地、鈴鹿にて

怒涛の4連戦が終わりまして、周回遅れとなってしまいましたが、スーパーフォーミュラ最終戦を通してシーズンを振り返りたいと思います。

2021年、鈴鹿に来るのはこの時が最後となりました。来月、スーパーフォーミュラ・スーパーフォーミュラライツのルーキーテストがあるようですが、そこはお楽しみということで報道されるのを楽しみに待ちます。

すでにパドックでは、最終戦ということもあり来季のシートの噂がちらほら出ていました。知ってる~?知らなーい(笑)、はい知る由もありませんがこの時期の毎年の風物詩です。

  • シリーズチャンピオン Honda野尻智紀選手

  • 第7戦優勝 Honda福住仁嶺選手

  • ルーキー・オブ・ザ・イヤー Honda大津弘樹選手

それはさておき、スーパーフォーミュラのシーズンはHonda勢の圧勝で幕を閉じました。シーズン後半に入り、SUPER GTも含め毎週、野尻智紀選手、福住仁嶺選手のお名前を聞くことを羨望のまなざしを持って見ていました。最後、頑張ったトヨタ勢ではありましたが、平川亮選手の2位が精いっぱい。

  • carenex team Impul 関口雄飛選手、星野一義監督、平川亮選手

ただ、チームタイトルを獲得したのは、キセキとしか言い様がありませんが本当に良かったです。そしてドライバーランキング3位の関口雄飛選手は喜ばしい。チームインパルを筆頭とするトヨタ勢も来季はぜひゼッケン1、ドライバーチャンピオン争いにからんで欲しいです。

  • レース後のTOYOTA 阪口選手と宮田選手

ルーキー・オブ・ザ・イヤーは、逃してしまいました。阪口晴南選手と宮田莉朋選手が奮闘してくれたシーズンでしたが、最終戦でTOYOTA勢失速。残念でした。

  • Honda松下信治選手

Honda松下信治選手がポールポジションを獲得。決勝ではスタートでのペナルティを受けてしまいましたが、彼の今後ってどうなるんだろう?注目ですね。

最終戦では、グランツーリスモSPORTのeスポーツ大会、GT Young Challenge 2021が行われ、そこにもはや中堅となったドライバーさんたちが登場していました。

さて、今季は何度も書いておりますが、コロナ過の2シーズン目でイレギュラーなことも多かったです。代役参戦というのがどう扱って良いのか悩んだシーズンでした。それも長きに渡りの代役。WEC参戦のドライバーの中嶋一貴選手は2レースのみ、可夢偉選手は1レースのみの参戦。嗚呼…さみしいねえ。スケジュールの都合でしょうがないのだけれど。

その2人は来季どうなるんだろうと思っていたら、最終戦が終わってからの11月3日、中嶋一貴選手のWECからの勇退が発表されました。夏を過ぎるとその噂をパドックで耳にするようになりましたが、そうならなければ良いなと思っていたので、今もさみしくてたまりません。

小林可夢偉選手がル・マンウイナー(ル・マン24時悲願の初優勝)となり、中嶋一貴選手はWEC参戦にあたり、タイトル、ル・マン24時間のポールシッターなどを含め、どれも全て手にしておりレジェンド。もしかしたら…と心の準備はしておりましたよ。年齢的に36歳は若くはないけど、年寄りでもないというのが私の勝手な判断。とにかく文句(まだ早いよ~と言うだけ)しかないです(笑)。

WECにメーカーがワークス参戦として復活し、その2年目かな?2013年ル・マン24時間に取材で行かせていただきました。その当時は、中嶋一貴選手の密着レポートとSNS投稿をさせていただきました。フランスのシャルルドゴール空港から中嶋選手と共に当時の担当者と車移動。あれはとても良い思い出。隅からすみまでの10日間の密着レポは寝不足続きでしたが、本番の24時間レースが始まった時の夜は、せっかく現地へ来たのでホテルへは帰りたくないです…というわがままを聞いていただき、当時のTMGのトランポの2階でブルゾンかぶって爆睡したのを記憶しています。夜中のサーキットも楽しかったです、酔っ払いばかりで(笑)。

当時の中嶋選手は、TOYOTAとして海外レースに出ることはとてもうれしそうでしたね。レーシングスーツを新調していよいよウィリアムズから移籍でトヨタF1チームから参戦か!となった時にF1から撤退をしてしまったので、WECがTOYOTAとしての初の世界戦ですね。

ル・マンの現地に行った時、小林可夢偉選手もホスピに遊びに来られていましたが、メーカーとの関係ももちろんあった?はずですが、F1から離れこの年はAFコルセというチームからフェラーリでWECに参戦していました。その後、2016年にTOYOTAのWECで参戦することになりましたが空白の期間がありましたよね。

前置きが長くなりましたが、中嶋選手、彼は10年間WECで走り続けて来たわけですが、さて今後です。アレックス・ブルツ氏と同様にアンバサダーになるのかしら?もう走れないのであれば国内に戻って来てくれないかなと期待をしてしまいます。いきなりそれはプライドが許さないのかなあ。ご本人は、これから他メーカーも加わりますます盛り上がるWECを見届ける為にチームへ帯同したいとコメントしていましたけどね。

スーパーフォーミュラをもし卒業したら、そこにおさまりたいドライバーはいるでしょう。でもTOYOTA勢若手が育っていないというか足りないと思います。どこのメーカーも足りないかもしれませんが。ここ数年は足踏みすることになるのか、すでに足踏みなのか?ベテランもまだまだ必要とされラインナップが成立するのか?若手を早急にステップアップさせてシーズンを戦うのか?どうなるのか?神のみぞ知るですね…。結局少し待てば発表になるのであれこれ言ってもしょうがないですが(笑)。

中嶋選手には、SUPER GTなど国内でもまだまだ走って欲しいのです。走ることをやめないでという思いが強くありますね。走ってください!

そして、モータースポーツの聖地で思うこと。国内のトップカテゴリーの行く末です。F1に乗ることが全てではありません。話を戻しますが、野尻選手のように7年もの時間をかけ手にしたタイトル…。その価値を伝えて欲しいのです。欧州に根付くモータースポーツ文化に日本は到底かなわないのはわかっています。しかし、これだけ高い技術のレースをしているのだから、伝えて欲しいのです。そこはNEXT50へ期待します。これも何度も書いていますが、変化を。

そして、来年、F1日本GPが開催されればいいなと。世界へ日本から発信です。鈴鹿のピットロードでこちらを発見。2019年に日本GPが開催された痕跡ですね。鈴鹿のピットロード、搬入日くらいしかのんびり眺めることのないですがメカニックたちと話してたら、見つけてくれました。ありがとう。これまでたまに痕跡を発見しますが、これは気づかなかった。

新東名も120キロ区間があるので自走での鈴鹿がだいぶ近くなりました。鈴鹿にまた来春来ることが出来ればいいなあ。そう思いながら帰還しました。では、また!

(写真、折原弘之 大谷幸子、テキスト 大谷幸子)

[ガズー編集部]

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