織戸学 ドライバーズコラム 第2回 プロドライバーとしての半生(後編)
みなさま、こんにちは!レーシングドライバーの織戸学です。
では、前回の続きを書きましょう。
1994年より始まった、全日本GT選手権。現在のSUPER GTの前身のレースカテゴリーです。当時は、いろいろなカテゴリーのクルマを集めバトルロイヤルみたいなレースでした。今では、こんなにも成長したことに驚きは隠せません。
デビューレースは、なんとGT500クラス。95年にTEAM-JUNさんのスカイラインです。バカっ速のマシンで目ん玉飛び出たのをよく覚えている。
96年には、土屋エンジニアリングで土屋武士選手と当時土屋春雄さん(土屋武士選手の実父で土屋エンジニアリングの監督)が作ったMR2で一度参戦。この時は、毎日土屋さんのところに仕事終わりで通い、レーシングカーの制作を勉強させて頂き、レースでは武士と組んで走りました。ドライビングセンスの無さに愕然とした時期ですね。
僕が乗ると滅茶苦茶オーバーステア、武士が乗るとアンダーステア。全く乗り方が違う。この時に、土屋さんとトラックの中でハンドルもってブーンブーンってコースを何周も声出して走り、まわりから笑われたのは恥かしかったね。
データーロガーが自分でした(笑)。
しかし、ここから僕のドライビングは大きく成長しはじめたのも事実。
当時乗っていたシルビアの街乗りをわざとオーバーステアなセットにして、いかにリアタイヤの荷重を残すか?作るのかを通勤途中に毎日毎日やっていました。タイヤへの荷重の使い方やタイミング、リズムを覚え始めたのですね。
1997年より全日本GT選手権に坂東商会よりフル参戦。NISSANシルビアS14です。デビューレースで優勝し、その年にチャンピオンを獲得できました。98、99年はTOYOTAセリカFFです。シリーズは2位、3位でした。当時人気のあったJTCCのパッケージです。2リッターNA で300PS。TRDレースエンジンのレスポンスやパワー感の素晴らしさと、YOKOHAMAタイヤの使い方を多く学んだ時期ですね。
2000年より、僕個人の人生も多く変化がありました。30歳。独立して一人のレーシングドライバーに成長したのです。全日本GT選手権で、ずっと憧れていたGT500クラスに、土屋エンジニアリングよりデビューしました。感激で涙が出たのを覚えております。
- (2001年 全日本GT選手権・GT500クラス 土屋エンジニアリング/FK/マッシモADVAN スープラ)
そこから、2002、2003年はSARDさんでトヨタワークスドライバーも経験させて頂き、2003年には、オートポリスで初優勝。こんなにレースで勝つって嬉しいんだなーって実感しました。
- (2003年、全日本GT選手権・GT500クラス TOYOTA TEAM SARD/デンソーサードスープラ GT)
2004年からは、また土屋エンジニアリングでお世話になり、土屋監督の60歳還暦レース、全日本GT選手権からスーパーGTに変わり、翌年2005年開幕戦の岡山で優勝。2007年までの8シーズン、YOKOHAMAタイヤと共にGT500クラスを戦いました。
- (SUPER GT・GT500クラス TEAM ADVAN・ツチヤ/CLIPSE ADVAN スープラ)
多くのタイヤテストを経験させて頂き、タイヤについての勉強は本当に楽しかった。
2008年より、古巣、レーシングプロジェクトBANDOHへ移籍。僕が社員だった当時まだ子どもだった坂東マサ(現LEXUS TEAM WedsSport BANDOH坂東正敬監督)がオーナーになっていました。一緒にレースをするとは思ってもいませんでしたが、彼の熱い情熱で作り上げたLEXUS IS350を駆り、2年目には片岡龍也選手とチャンピオンを獲得しました。
- (SUPER GT・GT300クラス RACING PROJECT BANDOH/ウェッズスポーツIS350 シリーズチャンピオン)
このあたりで、僕のレーシングへの情熱もやりきった感が出てきて、悶々としていましたが、2011年より現在のJLOCに移籍。ここでは、今まで経験してきたすべてを出し切って、強いチームにしたいと思い続け現在に至ります。
原点であるドリフトの活動も、今年で一度終止符を自ら打ちましたが、最高に僕を夢中に、そして僕のスタイルを作りあげてくれた競技です。86は、新車から作り多くの斬新なパーツを使い苦労もしましたが、やりきりました。
その他では、スーパー耐久も、TOYOTAアルテッツアや、ポルシェにて谷口選手と多くのチャンピオンも取り、マカオGPにも挑戦したり、ル・マン24時間も2位表彰台に乗ったり、数多くのレーシングチャレンジをさせて頂き、最高のレーシングドライバー人生です。
一時は、アメリカNASCARにも挑戦。昔見たトムクルーズのデイズオブサンダーの影響は強かった(笑)。
GAZOO Racing 86/BRZレースは、初年度より参戦。
本当に小さなプライベートチームで頑張っておりましたが、何度かの優勝も手に入れて、自分の経験が生きていると実感、今年はチーム環境も大きく変わり、優勝こそできませんでしたが、優勝争いをできる環境まで作って頂きました。来季も引き続き参戦する予定です!来年は、チャンピオン取りに行きます!
簡単に?書きましたが、この経験を得るための、努力は惜しまずに楽しんで行動してきました。今後も今の自分におかれる環境を大事にして邁進していきたいと考えております。
また、新たな自分作りの挑戦も、クルマ好きやモータースポーツ好きの皆様の役に立てるように努力をしていきます。今後とも応援よろしくお願いいたします。
コラムは、続きます!
MAX織戸
[ガズー編集部]
最新ニュース
-
-
2倍の速さで自動駐車! メルセデスベンツのパーキングアシストが性能向上
2024.11.29
-
-
-
「超イケてる!」ホンダの本格SUV『パスポート』発表に日本導入を期待する声
2024.11.29
-
-
-
BMW『X3』新型はマイルドHV、Mパフォーマンスも…価格は798万~998万円
2024.11.29
-
-
-
レクサス、日本の伝統工芸に現代技術を融合…アート作品展開催中
2024.11.29
-
-
-
トヨタ『スープラ』生産終了へ、435馬力の最終モデルを発表
2024.11.29
-
-
-
トヨタ『RAV4』が一部改良、FF廃止で全車4WDに
2024.11.29
-
-
-
アウディ、新型『SQ5スポーツバック』発表…367馬力の高性能SUVクーペ
2024.11.29
-