関谷正徳 レジェンドコラム 第7回 誰が本当に速いのか?

今回は、私が主催するインタープロトシリーズ“IPS”についてお話ししたいと思います。

インタープロトシリーズ?ほとんどの読者がそう思うと思います。生まれてまだ3年なので、認知度は低いと思います。スーパーGTが生まれた20数年前は、スーパーGTといえども多くのファンに認知されていたわけではありませんでした。今でこそ、スーパーGTは最も成功し、今、最高に面白いレースと言えるのではないでしょうか。インタープロトシリーズ“IPS”、IPS細胞ではありませんよ。モータースポーツにとってIPS細胞になるかもしれませんが(笑)。

このレースをやろうとしたきっかけは、非常にシンプルです。上手いのは誰?という疑問が、私たちのスポーツには付いて回ります。私たちの時代は、星野VS中嶋、星野VS亜久里、星野VS右京、星野VS虎之介、セナ、プロスト、マンセル、ピケ、ラウダ、Jハント、とドライバーはヒーローでした。

そして日本では、日本一速い男「星野一義」という偉大な男が日本のモータースポーツを牽引してくれました。日本一速い男を倒した男が世界へ!という大きな夢や、誰が本当に速いのか?が、私たちの業界にはありました。今、日本一、いや世界のモータースポーツ界で本当に速い男は誰でしょう。即答できるのは、関係者の中にもいないでしょう。

どうして?
解らないから答えようがない訳です。
その昔、グランドチャンピオンというレースが富士スピードウェイで行われていました。自動車メーカーが、石油ショックでモータースポーツから撤退した時期でした。トヨタ7VSR380VS、ポルシェ906、910が戦い、ポルシェを破る日本車という図式に、日本中が歓喜しました。トヨタもニッサンも世界に出ていこうとしていました。

その時期に、石油ショックです。残念なことに、メーカーはモータースポーツから去って行きました。横道にそれますが、メーカーが、石油ショックに負けずに世界にチャレンジしていたら…、というほのかな希望的観測を入れると、もっと早くにポルシェを破ることができていたかもしれません。

1985年に、私は初めてル・マン24時間レースに出場しました。メーカーがモータースポーツから去って、20年近く経っていたわけです。その時のポルシェの速さは、異次元の速さをもって優勝しました。結果的に思ったのは、このブランクは途方もなく大きな時間になってしまった…、という事です。

そして生まれたのが、グランドチャンピオンシップです。マーチ、シェブロン、ローラ、GRDという2シーターレーシングカーがヨーロッパから入ってきて、日本でもシグマ、ムーンクラフト、童夢、トムスなど今でこそビッグネームのガレージ、コンストラクターが生まれた時期にあたります。シグマは、現在はサードに社名変更しています。

このグラチャンの前座レースが、サニーVSスターレット「トムスのKP47」で戦うマイナーツーリングでした。このレースは大変面白く、マイナーツーリングをみたらメインのグラチャンを見ないで帰る人がいるぐらい見応えのあるレースだったのですよ。

サニーからは、高橋健二、和田孝夫、都平などが出場し、対するスターレットを操ったのは、トムスの舘信秀、鈴木恵一、星野薫。ここから多くのスター選手が輩出されました。

サニーでは、チューナーの東名、土屋、トリイ、などエンジンチュナーも育ちました。そしてもう一つのスーパーツーリングは、排気量がマイナーツーリングの1.3リッターに対して2リッター以上で行われ、セントラル20から柳田春人、碧南マツダから中嶋悟、マツダオート東京の岡本安弘、寺田陽二郎と私は静岡マツダから出場していました。

特にマイナーツーリングの面白さは、いつもトムスの鈴木恵一がぶっちぎり、その後をサニーの強者が強烈バトルを繰りひろげファンを釘づけにしたものです。この面白さは今でも忘れることはありません。本当に面白かった!

そしてメインのグラチャン。ここから「日本一速い男」の称号を勝ち取った星野一義の時代です。当時、星野一義のシリーズ全戦優勝が当たり前。この頃の星野は他に敵がいない状況でしたね。とにかく強かった。

星野一義とは、私達業界に希望、目標を持たせてくれた、私の尊敬する先輩の一人です。
常に日本一速い男として業界を盛り上げてくれました。そして常に若いドライバーの目標とされ、星野を破ると凄いという事で中嶋、亜久里、右京、虎之介は、世界に羽ばたきました。日本で一番速い男”星野一義“が存在したからこそ、その彼をうちまかす速さが証明された訳です。

今の時代はどうでしょう、日本一速いドライバーは?
難しいですね。モータースポーツファンでない人たちにとっては、全く答えようのない話になります。当時レースを知らない人でも答えられた日本一速い男「星野一義」は、やはり偉大です。

1980年代、星野一義をヒーローにしたグラチャン、F2、マイナーツーリング、スーバーツーリングで育った私も含め、沢山のドライバーが日本のモータースポーツを盛り上げました。 更に時代を遡ると、今年で富士スピードウェイは50周年を迎えますが、その富士スピードウェイや鈴鹿サーキットが出来たおおよそ半世紀前のドライバー達は、今では比べ物にならないくらい半端なくカッコ良くメジャーでした。

私を育ててくれたトムスの舘信秀をおして、かっこいいというのは今は亡き福沢幸雄。この人はテスト中に亡くなりましたが、レーサー、モデルとして私が高校生時代には憧れとヒーローの存在でした。勿論”マカオのトラ“と呼ばれた舘信秀もカッコよかったですよ。

そして忘れられないのは生沢徹。その当時、週刊誌プレイボーイ、平凡パンチの常連でレーサーの格が他のスポーツ選手に全く引けをとっていないどころか、他のスポーツ選手に負けていなかったのではないでしょうか。そうそう、また忘れました川合稔。この人もカッコ良すぎでした。当時の売れっ子モデル、タレントの小川ローザさんとの結婚も世の中を騒がせました。

レーサーがヒーローの時代があったんです。今のレーサーって世の中にどう見えているんでしょう?

長々と説明しましたが、そんなグラチャンとマイナーツーリング、スーパーツーリングを足して割ったのが”インタープロトシリーズ IPS“というのがイメージです。では、いよいよ本題のインタープロトシリーズ、IPSについては次回にじっくりと。お楽しみに?

関谷正徳

[ガズー編集部]

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