ハイラックスで頂点を目指した3人のドライバー ダカールラリー2017同行取材で観た!(その4)

今年で39回目となったダカールラリー。第1回大会はクルマもバイクもカミオンもカテゴリー分けがなく、第2回大会からカテゴリー分けされ、フォルクスワーゲンが初の栄冠に輝いた。振り返れば三菱の12勝を筆頭にプジョー6勝、4勝はシトロエン、フォルクスワーゲン、MINI。2勝はポルシェ、シュレッサー、1勝はレンジローバー、メルセデス、ルノーが獲った。(第30回大会は大会中止のため勝者なし)。南米大陸に舞台を移した2009年以降は、フォルクスワーゲンが3勝、その後MINIが4勝、さらにプジョーが2勝している。トヨタは第2回大会からトップ10には入り続けていたが、プジョーと三菱のワークス対決全盛期の1989年に一度トップ10から陥落し、復活するも1994年以降再度トップ10に入れず21世紀を迎えた。久々にトップ10に返り咲いたのは2002年。なんと市販車部門に参戦していたトヨタチームアラコのランドクルーザー100で総合9位に入る快挙を成し遂げた。しかしその後も不遇の時代が続いた。

そして2012年、南アフリカトヨタ自動車(TSAM)が支援するチームがハイラックスで参戦するようになった。TSAMは2005年からアフリカ・欧州向けにハイラックスなど多目的世界戦略車(IMV/Innovative International Multipurpose Vehicle)を生産している。このハイラックスで世界一過酷なラリーで勝つことを目標に挑み、ベルギーの<Overdrive Toyota>と協力体制を組みながら2012年は総合3位、5位、2013年は3位、10位、2014年が4位、7位、2015年は2位、6位、2016年は3位、5位、8位。そして今年は4位、5位、9位と毎回トップ10に複数台のマシンが入り、トヨタ車の総合優勝に向け、確実に速くそして強くなっている。ここ数年は唯一のワークスチームであるプジョースポール、MINIで挑むX-RAIDチーム、そしてハイラックスで挑む<TOYOTA GAZOO Racing South Africa>、<Overdrive Toyota>が総合上位を競っている。今年は沿道では約440万人が熱狂し、動画サイトは通算2300万回もの視聴があるほど、世界中にファンが多い。しかし日本では残念なことにあまり知られていない。今回はハイラックスに乗って総合優勝に挑んだ3人のドライバーを紹介しよう。

母国の威信を賭けて走る
/ジニール・デゥビリエ

まだリタイヤしたことがないドライバー、ジニール・デゥビリエ選手

南アフリカ生まれで、父が大のモータースポーツ好き。4歳からゴーカートを与えられ、農場内のオフロードコースを走っていた。1997年から2000年まで国内ツーリングカーレースでタイトルを獲り続けていたが、突然レース自体が開催されなくなり、ジニール選手は行き場を失った。そのとき国内オフロードレースに参戦するドライバーに抜擢され、幼少のときオフロードを走っていた経験が覚醒し、2001年国内生産車部門でタイトルを獲得。そして2003年、ワークス参戦をする日産のドライバーとしてダカールラリーに初参戦した。2003年は1981年にWRCの覇者となり、ダカールラリーでは4度の総合優勝をしているアリ・バタネン選手、日本を代表する篠塚健次郎選手など過去総合優勝したドライバーたちのチームメイトとして主にマシン開発ドライバーを担当しながらラリーに参戦。そこでチーム最上位の総合5位でゴールした。翌年はアリ・バタネン選手、同じくWRCで数々の栄誉に輝いたコリン・マクレー選手などと一緒に走り、総合7位でまたもチーム最上位でゴールした。このときプレスツアーで私も参加していて、ノベルティでいただいたTシャツにコリン選手にサインをしてもらい、ジニール選手にもサインを求めたら「コリン選手のサインがあるのに、僕なんかがサインしてもいいの?」と謙虚な対応に驚き、以来ファンになった。翌2005年は、ステージ5勝、総合4位となり、開発ドライバーでありながら、常に日産ワークスのトップリザルトを獲り続けた。この年は三橋淳選手も日産チームから参戦し総合11位だった。

そしてこの年、突然日産ワークスがダカールを撤退。だが、すでにダカールラリーのトップドライバーとして認められていたジニール選手は、2006年からフォルクスワーゲンワークスに移籍し、総合2位になった。南米大陸初開催となった2009年にはついに総合優勝。2011年までこのチームで走ったが、南アフリカで自分を育ててくれたチームがTSAMとともにハイラックスでダカールラリーに挑むことになり、エースドライバーとしてハイラックスのステアリングを握った。マシン開発能力の高いジニール選手がエンジニアとともに仕上げたハイラックスは、デビューイヤーを総合3位でゴールした。フォルクスワーゲンワークスは2011年大会でワンツースリーフィニッシュをして有終の美を飾り、チームは舞台をWRCへ変えた。2013年、ヤリマティ・ラトバラ選手、セバスチャン・オジェ選手とともにデビューイヤーでドライバー、マニュファクチャラータイトルをともに獲る快挙を成し遂げた。ダカールラリーはフォルクスワーゲンに代わってMINIという強力なライバルがいた。ワークスではないが、エンジンはBMWの技術支援を受け、セミワークス級のチーム。ジニール選手は以降、2位、4位、そしてプジョースポールが参戦し始めた2015年も寄せ付けず2位とハイラックスを着実に強く速いマシンに仕上げてきた。しかし2016年から唯一のワークスであるプジョースポールは一気にマシンを向上させ、やっとMINIより速いマシンを仕上げたジニール選手だったが、圧倒的なライバルの前に今年は総合5位。ただ振り返るとジニール選手は、ダカールラリー初参戦以降、一度もリタイヤせずすべて完走している。このステディーな走りで必ずトヨタ初となる総合優勝を成し遂げてくれるだろう。

フライング ハイラックス。車重は2トン近くあるが軽快に駆ける
WRC同様、この道幅でも直線で見通しがよければ200km/hまで出す
こんな土漠でも熱狂的なファンは歩いて観に来る
渓谷のようなワジ(涸れ川)を走る
ジニール選手やナサール選手の乗るハイラックスを支えるエンジニア、メカニックたち
ナビゲーターは今回で10回目のコンビを組むドイツのディルクフォン・ツィツェヴィッツ選手

カタールの英雄、ダカールに挑み続ける
/ナサール・アルアティア

今回のダカールラリーで最も注目されたドライバー、ナサール・アルアティア選手

クレー射撃の選手として何度もオリンピックに参戦しているナサール選手。1996年のアトランタオリンピックを皮切りに、6大会連続出場しているアスリートだ。私も参戦していた2012年のダカールラリーでは、ナッサー選手は残念ながらリタイヤしたが、すぐ帰国してオリンピックの出場権がかかったアジア選手権に間に合い見事優勝。オリンピックへの出場権を得るだけでなく、そのロンドンオリンピックでは、見事クレー射撃のスキートで銅メダルを獲得した。オリンピアンでありながら同時にモータースポーツにも挑戦していた。2006年にはプロダクションカー世界ラリー選手権(PWRC)の年間王者となった。ちなみに2005年と2007年は新井敏弘選手がスバル・インプレッサWRX STIで年間タイトルを獲っていて、ナサール選手も同じスバル・インプレッサWRX STIに乗っていた。さらにナサール選手が年間タイトルを獲った2006年の第1戦であった第74回ラリーモンテカルロでは、三菱ランサーEVO Ⅳに乗る奴田原文雄選手が優勝した。2006年の年間2位がこの奴田原選手だ。ナサール選手は日本を代表する選手が出場していたPWRCとも、とても縁がある。

ダカールラリーは2004年にラリーアートからパジェロに乗って初参戦し総合10位。2005年から2009年までBMW(現在のMINIと同じX-RAIDチーム)で参戦した。2010年からフォルクスワーゲンに抜擢され、ジニール選手のチームメイトとして走り、2010年は2位そして2011年に総合優勝を果たした。その後アメリカの英雄、ロビーゴードン選手とチームを組みハマーで参戦したり、オリジナルバギーで出ていたが、2014年古巣のX-RAIDチームのドライバーとなり、MINIで2015年に2度目となる総合優勝を果たした。アグレッシブな走りで人気のあるナサール選手だが、マシンを降りるととても物腰柔らかい紳士。このギャップがかっこいい。フォルクスワーゲン、MINIでタイトルを手にしたナサール選手は、今度はほかのメーカーのマシンで総合優勝をしようとトヨタを選んだ。今回は初日からトップを獲り、ステージ2ではSSゴール手前でトラブルが出たが2位でゴール。しかしステージ3で右リヤを壁にぶつけタイヤが取れるほどのダメージを受けたが、エンジンルーム上に大きな石やタイヤを縛り付けてフロントを重くし、右リヤタイヤがなくてもなんとか走れるようにしてまでゴールを目指した。この真剣勝負でダカールラリーに挑む執念にファンは魅了された。次回もぜひ<TOYOTA GAZOO Racing South Africa>で走ってもらいたい。

常にフルアタックに見えるナサール選手の走り
WRCを走っていただけにフラットダートも得意だ
カタール出身なので砂漠も誰よりも得意だ
今回は残念だったが、3回目のコンビを組むスペインのマチュー ボウメル選手は、過去ハイラックスに乗っていたので、次回こそこのコンビで総合優勝を目指してもらいたい

モトとオートで総合優勝。さらに高みに挑む
/ナニ・ロマ

モト部門、オート部門ともに総合優勝しているナニ・ロマ選手

スペイン・バルセロナ出身のナニ・ロマ選手。スペインはモータースポーツ、特にMotoGPに代表されるバイクレース人気が高い。190cmと長身で手足が長く、1991年にバイクでクロスカントリージュニア選手権に出て年間2位を獲得すると、世界的なエンデューロレースで優秀な成績を収めた。1994年にはヨーロッパエンデューロ選手権のチャンピオンになった。1996年にダカールラリーに初参戦するとひとつのステージで優勝するなど、その才能に周りも驚いた。そしてナニ選手もダカールラリーに傾倒していき、ほぼ毎回ステージ優勝しながらもマシントラブルなどでリタイヤを喫することがあったが、2004年ついに総合優勝した。翌2005年にオートへ転向、しかも三菱ワークス入りした。チームメイトには同じくモト部門から転向し、今回のダカールでも総合優勝したステファン・ペテランセル選手や増岡浩選手がいた。ナニ選手のナビゲーターには、1997年篠塚選手とコンビを組んで総合優勝したアンリ・マーニュ選手が選ばれた。ベテランナビゲーターからさまざまなものを吸収し、翌1998年の完走率が約30%と過酷だった20回記念大会では、総合3位入賞を果たした。

2009年、三菱ワークス撤退まで乗り続け、2010年からステファン・ペテランセル選手とともにBMW(X-RAIDチーム)に移籍。ナサール選手がBMWからフォルクスワーゲンに移籍した。2012年からX-RAIDチームがBMWからMINIにマシンを変更してもそのまま乗り続け、2014年ついにオート部門でも総合優勝を成し遂げた。スペイン人らしい情熱の走りでファンを魅了し続け、南米大陸のスペイン語圏を走るので、なおさらスペイン人のナニ選手はファンとのコミュニケーションを大切にしている。そして今回は、ベルギーの<Overdrive Toyota>からハイラックスで参戦し、見事総合4位でハイラックス最上位となった。来年もぜひハイラックスに乗って、ドライバーとして正闘牛士(Torero matador)のように<TOYOTA GAZOO Racing South Africa>ではないほうの闘牛を仕留めてもらいたい。

モト部門出身なのでナビゲーションスキルも高い
土漠も果敢に攻める
全ステージトップ10と安定した走りを見せた
道のない砂丘でもミスコースせず、ナビゲーターとのコンビネーションもすばらしい
ナニ選手を支えたOverdrive Toyota。一番右がジャン・マルク・フォルティン代表。彼が今まで造ったマシンが、今回のダカールでも20台近く走っている
2005年からナニ選手とコンビを組むナビゲーターのアレックス・ハロ・ブラボ選手

3人のドライバーはみなジャパンブランドのマシンで育ち、ダカールラリーで強くなった。今度はトヨタというジャパンブランド、Made by TOYOTAのハイラックスで総合優勝を勝ち取ってもらいたい。

大歓声のなか、総合優勝してポディウムに登る日も近い

(写真:トヨタ自動車、寺田昌弘)
(テキスト:寺田昌弘)

[ガズー編集部]