「オートモビルカウンシル2017」で、モータースポーツが技術を進化させることを知る

先日、幕張メッセで開催された「オートモビルカウンシル2017」で、各メーカーのブースを観て気づいたことがある。トヨタ、マツダ、アウディはそれぞれ競技車両も展示していた。日本から自動車文化を発信するイベントのなかで、モータースポーツが関わるブースが展開されているのがうれしい。ではこれら3社は何を発信したのかお届けしよう。

オーナーとレースがクルマを進化させる

プリウス生誕20周年をキーにハイブリッド技術の進化を含む電動化技術を展示したトヨタ。プレスブリーフィングに登壇したのは、初代プリウスの開発責任者であった内山田竹志取締役会長。21世紀を前に「環境」と「資源」という自動車業界にとって壮大なテーマだが、いずれは誰かがやらねばならない問題に果敢に挑み、その答えとして1997年10月に誕生したのがプリウスだ。2つの異なる動力を効率よく使い、さらに余剰エネルギーの回収を行い利用することで低燃費と気持ちいい走りを実現するクルマは、圧倒的な個性を持ったクルマとして世間を驚かせた。

まったく新しい乗り物として「プリウス」は1997年に誕生した

エンジンにターボやスーパーチャージャーを装着することは、その装置の仕組みや効果がわかりやすいが、エンジンとは別にモーター、バッテリー、パワーコントロールユニットが装備されたハイブリッドカーは、当初は理解しにくいクルマだった。モーターのみで発進したかと思えば、突然エンジンが始動したり、ブレーキング時は、回生時に発生する音が電車の音に似ていたりと、あきらかに今までのクルマと一線を画していた。だから自動車専門家からは「プリウスに乗るのはgeek(オタク)」とさえ言った。しかし日本での発売開始から目標を大きく超える人気となり、翌年にはプリウスユーザーがインターネット上に「プリウスマニア」という掲示板を設置し、ユーザー間での情報交流が生まれた。アメリカでは、とある自動車ショーにプリウスユーザーが集まり、そこまで走ってきた燃費を愛車に掲示したりと、21世紀の自動車文明に先駆けて誕生したプリウスをいち早く理解したユーザーが多かった。

バッテリーとパワーコントロールユニットの進化。左から初代(1997年~2003年)2代目(2003年~2009年)3代目(2009年~2015年)4代目(2015年~)。小型化、軽量化が推し進められた

「環境性能でクルマを買うというスタイルは、むしろユーザーが作ったものだと思う」。と内山田会長は言う。私は1999年からプリウスとともに世界の環境最前線を体感する旅に同行したが、北米大陸横断、ヨーロッパ1周時に一般道で気づいたことがある。今までのクルマは、もちろんアクセルを踏むと楽しかったが、プリウスはアクセルを離したときもおもしろいということだ。回生が効き、充電していることがモニターで確認でき、何か得した気分になる。自分のアクセルの踏み方ひとつで燃費が大きく変わってくる。そこで新たなドライビングの楽しさを見つけた。

報道陣の囲み取材を受ける内山田会長

「私はgeekやnerd(オタクや変わり者)と言われてもよい」と内山田会長は言う。戦国時代や幕末でも歴史を振り返れば、時代を大きく変えたのは、いつもそのとき異端と呼ばれた者たちだ。最初は周りの人が理解できないことも、信念を持ってやりきれば、いつしかそれがスタンダードになっていることは多い。環境と資源をテーマに「もっといいクルマづくり」に挑み、ブレイクスルーして生まれたのがプリウスだ。プリウスは、自動車文明に静かな「文明開化の音」をさせて登場した日本が世界に誇るクルマだ。

ハイブリッドでモータースポーツを切り開く

そしてこのハイブリッド技術など電動化技術をさらに発展させるため、2005年12月、「ハイブリッドシステムを使ったレース活動を検討する」ことが決定。当時はまだハイブリッドのレーシングカーなど存在しなかったため、どのレースを目指すかといったところからの挑戦だった。2006年、十勝24時間レースに初参戦し、翌年には同レースで総合優勝する。そこから目標をル・マン24時間耐久レースにし、レースでハイブリッド技術を鍛えている。
すでにハイブリッドカーは1,000万台を超え、このハイブリッド技術など電動化技術が、さらにこれからの自動車文化を発展させていくことだろう。

WEC(FIA世界耐久選手権)に参戦するTS050 HYBRIDは、2.4リッターV6ツインターボ過給ガソリンエンジンに、8MJ対応のハイブリッドシステムを組み合わせ、総システム出力は1,000馬力を誇る

ロータリーエンジンに見るマツダのDNA

独創的な内燃機関であるロータリーエンジンは、国内ではマツダのひとつの代名詞と言える。このロータリーエンジン生誕50周年をキーに、マツダのクルマづくりへの飽くなき挑戦を表現したブースには、1991年にル・マン24時間耐久レースで総合優勝したMAZDA 787Bが展示されている。マツダの耐久レースへの挑戦は、1968年にドイツ・ニュルブルクリンクで開催されたマラソン・デ・ラ・ルート84時間レースに2台のコスモスポーツで参戦したことに始まる。このル・マン24時間耐久レースで日本車として唯一総合優勝したことは、その集大成である。

1967年に世界初の量産ロータリーエンジンを搭載したコスモスポーツ。これはその前年に完成したプロトタイプ
日本車初となるル・マン24時間耐久レースに総合優勝したMAZDA787B
エンジンはR26B。4ローターで総排気量の2,616cc(654ccx4)。官能的なロータリーサウンドにル・マンの観客は酔いしれた

量産ロータリーエンジンは2012年にRX-8の生産終了以降なくなってしまったが、マツダはロータリーエンジンそのものがマツダの技術の証明であり、そのエンジンでル・マン24時間耐久レースに勝ち、今も技術者たちの誇りとなり、スカイアクティブシリーズのような高性能エンジンを生み出す原動力となっている。

独創的なスタイリングに2ローターエンジン(491 cc ×2)を搭載し、940kgと軽量なコスモスポーツ。1968年にドイツ・ニュルブルクリンクでの耐久レースに挑戦し、総合4位に入る大健闘を見せた。その奥にはRX-7

ラリーで鍛え上げられたアウディ「クワトロ」

WRC(世界ラリー選手権)で最もエキサイティングだったグループB仕様のスポーツ・クワトロS1を最前面に配置したアウディジャパン。アウディの代名詞であるクワトロは乗用スポーツ4WDというカテゴリーを新たに切り開いた。そして4WD技術向上のため1981年にWRCに参戦し始め、1982年にはマニュファクチャラーズタイトルを獲得し、1983年にはドライバーズタイトル、1984年にはマニュファクチャラーズとドライバーズの両タイトルを獲得し、高い技術力とともに「アウディ=クワトロ」というブランディングにも成功した。

モンスターマシンとして名高いグループB仕様のアウディ・スポーツクワトロS1。その奥には日本初披露となったRS 5クーペ

トヨタ、マツダ、アウディ。今回のオートモビルカウンシル2017に出展していたメーカーのなかでこの3社は、それぞれ自社の代表的な基幹技術を、モータースポーツの現場で鍛え上げ、よりよいクルマ作りに活かしているのがよくわかった。

(写真・テキスト:寺田昌弘)